チャング・ナラヤンの観光を終えた後にカトマンドゥに戻り、昼食後に飛行機でポカラに移動しました。
カトマンドゥの空港は、これが国際空港と思ってしまうように小さなものです。
ネパールの空港では、このような旧型の量りで重量を測定しています。
ネパールの国内線では、機内持ち込み荷物も含めて15kgと書いてあるのをウェブ上で見て、総重量を14kgにまとめたのですが、実際には、グループ全体の荷物を合 . . . 本文を読む
2時間ほど歩いた後に、ハイキングの終点のチャング・ナラヤンに到着し、チャング・ナラヤン寺院を見学することになりました。
チャング・ナラヤン寺院は丘の上にあり、そこまでは石段の混じる参道が続きます。
参道脇には、参拝者目当てのお土産屋も並んでいます。
チャング・ナラヤンは、世界遺産を構成する寺院に選ばれていますが、カトマンドゥやバタン、バクタプルなどと比べると観光客は少なく、落ち着いた . . . 本文を読む
ナガルコットのホテル屋上での夜明けのヒマラヤ展望を楽しんだ後、ホテルをチェックアウトし、バスでチャング・ナラヤン・ハイキングのスタート地点に向かいました。
バクタプルからナガルコットへ通じる車道のヘアピンカーブでバスを下りました。ここの標高は1480mで、1630mまで緩やかに上った後に、チャング・ナラヤンの入り口の1510mまで緩やかに下ることになります。距離はおよそ5.5kmで,歩行時間は2 . . . 本文を読む
ナパール初日の宿は、ナガルコットのクラブ・ヒマラヤ・ナガルコット・リゾートになります。このホテルは、標高2100mの位置にあり、屋上からヒマラヤの展望が楽しめることがうりになっています。
バスは、崖際に続く道を上がっていき、すれ違い困難で何度か停止することになった末、ようやくホテルに到着しました。
夕暮れ時にホテルに到着したため、部屋に入る前に屋上に上がりました。ようやくヒマラヤいご対面に . . . 本文を読む
トウマディー広場からは、ティブチェン・トールと呼ばれる道を歩いてタチュバル広場に向かいました。道には赤いレンガが敷き詰められています。
道の両側には、お土産屋や地元民あいての店が並んだいます。
このバクタブルの旧市街地は、後で訪れることになるカトマンドゥやバタンと比べると、比較的混雑度はひどくはなく、周りを見ながら歩くことができました。
ちょっと埃っぽい感じもしますが、ドイツあた . . . 本文を読む
バクタプル観光では、ダルバール広場に続いて、トウマディー広場を見学しました。
ここでの見ものは、ニャタポラ寺院で、名前の通りに五層の塔(五層櫂)を持っています。1708年に造られ、タントラ教の女神に奉げられています。高さ30mで、カトマンドゥ盆地にある寺院の中でも最も高いものになっています。
このような寺院建築様式は、チベット、中国を経由して日本に伝わったといいます。日本の五重塔と比べると . . . 本文を読む
パクタブルのダルバール広場の北側には、旧王宮が広がっています。
向かって左側の棟は、現在、仏画や神像が展示される国立美術館になっています。入り口の左右には大きな獅子像が置かれています。
また、入り口左側の壁には、ハヌマーン像が置かれています。
また、右に置かれているのは、ヴィシュヌ神の化身の一つであるナラシンハ像。
ハヌマーンにしてもナラシンハにしても、ヒンドゥー神話の基づ . . . 本文を読む
ネパールは、ヒマラヤの玄関口というイメージが強いですが、インドとチベットに挟まれた地域にあって、独特の文化を持っています。
ネパールの歴史は、古代のリッチャヴィ王朝(4~9世紀前半)、中世のマッラ王朝13~18世紀)、近世のシャハ王朝(18世紀~現代)に大きく分けられます。
そのうち、マッラ王朝時代は、インド・チベット間の中間交易で栄え、さらにこの時期にはイスラム勢力がインドを席巻していったこ . . . 本文を読む
今回は、ネパールに出かけてきました。山を趣味とするものにとって、ヒマラヤを眺めるためだけでもネパールを訪れることは憧れといってよいでしょう。ネパールに行きたいと以前から思っていましたが、インドのヒンドゥー文化の影響を強く受けていることから、予習としてインド旅行を行ってからと思っていました。
登山やトレーッキングを専門に扱う旅行会社もありますが、今回は、以下のネパールの一般ツアーを利用しました。
. . . 本文を読む
慕田峪長城(ぼでんよくちょうじょう)は、八達嶺の東に位置する万里の長城の観光スポットです。
ロープウェイで一気に上がりました。
慕田峪長城は、八達嶺とはまた違った雰囲気です。
観光客は八達嶺ほどおらず、静かに歩くことができました。
この日は、山の上まで歩く時間はありませんでしたが、先に見えている城楼まで進みました。
長城は、まだまだ先に続いています。
周囲は岩山 . . . 本文を読む
万里の長城は、紀元前数世紀のころの中国各地に分立していた国々が、北方の騎馬民族や他国の侵入に対して築いた防壁を、中国を統一した秦の始皇帝がつなぎあわせて整備したものです。勢力のあった唐時代には重視されませんでしたが、明の時代になるとモンゴル族の襲来を恐れて長城の整備が進められました。現在見られるのは、この明の時代に築かれたものです。
万里の長城は、多くの見学場所がありますが、この八達嶺(はったつ . . . 本文を読む
居庸関は、北京から八達嶺に行く途中にある万里の長城上に設けられた関所跡です。「天下第一雄関」とも呼ばれ、難攻不落の九塞に数えられました。着工は秦代にまでさかのぼることができ、残されている雲台と呼ばれる門は、元の順帝によって1345年に建てられたラマ式の仏塔の台座で、建造物は明代のものです。
以前は、道路脇にこの雲台だけがぽつんと残されているだけでしたが、現在では、観光地化されて周囲に要塞風の建物 . . . 本文を読む
昼食をとった後に、最後の観光になるフマユーン廟に向かいました。
西門から入場します。
西門をくぐると、フマユーン廟が姿を現しました。
フマユーン廟は、ペルシャ出身の王妃ハージベーガムが、ムガル帝国第二代皇帝フマユーンのために建築を命じた廟です。9年の歳月を要して、1565年に完成しました。
フユマーン廟は、タージ・マハルの原型になっています。フユマーン廟は王妃が皇帝のために建てたも . . . 本文を読む
デリーに戻ってきて、まずはクトゥブ・ミナールを見学しました。
クトゥブ・ミナールは、奴隷王朝からハルジー朝時代の歴史建造物が残るインド最古のイスラム遺跡群です。
遺跡内に入ると、クトゥブ・ミナールが目に入ってきます。
アライ・ミナール
奴隷王朝三代目の君主のアラーウッディーンがクトゥブ・ミナールの2倍の大きさの塔を建てようと計画しましたが、1316年に暗殺されて未完成に終わりま . . . 本文を読む