先古典期の展示室ですが、ここにはカミナル・フユ遺跡の出土品も含まれています。
彩色土器。
ワシャクトゥンの大仮面。レプリカのようですが。
マヤ文明では先古典期の終わりごろから古典期の初めころにかけて、神殿を巨大な仮面で装飾するということが流行しました。
キノコ頭の像は、良く作られていたようです。
妊婦の像。
Costa Sur (400~600年)の人頭 . . . 本文を読む
旅の最後に、国立考古学民俗学博物棺を訪れました。この博物館は、グアテマラにおける古代マヤ遺跡の出土品を展示しています。
向かい合う似た建物は、カルロス・メリダ国立近代美術館です。入館はしませんでした。
国立考古学民俗学博物棺の前に置かれているのは、ジャガー像でしょう。狛犬に似ています。
入口の両脇には、古代マヤ人の像が置かれていました。
博物館の見取り図です。中央の中庭 . . . 本文を読む
モンゴルに行ってきました。どこまでも放牧地が広がっていました。
アジア大陸のほぼ全体を支配したモンゴル帝国の母国ですが、その割に遺構が少ないのは、逆に印象的でした。
チョニジアの報告もまだ入っておらず、モンゴルの記録はしばらく先になります。 . . . 本文を読む
カミナル・フユ遺跡の見学を終えてグアテマラ・シティの中心地に向かいました。
街に切れ込む谷間には、谷底まで家が並んでいました。
これらは、電気や水道が引かれていない貧民街になっているようです。
中心街に入ってきました。建物はきれいですが、窓が厳重に金網で覆われています。
通りを歩く人はあまりいません。
カテドラルが見えてきました。
中央公園にやってきました。
. . . 本文を読む
グアテマラ滞在最終日、チチカステナンゴを出発し、グアテマラ・シティ郊外に戻ったところで、カミナル・フユ遺跡を見学しました。
遺跡公園として整備されており、草地の中に土盛が点在していました。
現在有名になっているマヤ遺跡の多くは古典期(250~900年)の物ですが、カミナル・フユ遺跡の歴史は、先古典期の紀元前900年ころに遡り、紀元前4世紀から紀元後6世紀という極めて長い期間栄えました。
. . . 本文を読む
セント・トマス教会の階段の上からは露店の日除けが一面に広がっていました。日除けの向こうに見えるのはカルバリオ教会です。かつてのマヤ神殿は、二つが向かい合うように造られていたため、その跡に造られた教会も向かい合うことになりました。
セント・トマス教会のテラスでは、キチェ族の伝統的衣装の女性がお香を焚いていました。
カルバリオ教会に向かって、露店の間を進んでいきます。
カルバ . . . 本文を読む
昼食を終えて、チチカステナンゴの街の見学を開始しました。
1521年にアステカを征服したエルナン・コルテスは、グアテマラ南部のマヤを征服する為に部下のペドロ・デ・ アルバラドを派遣しました。当時、グアテマラ南部では、キチェ族とカクチケル族が勢力を持っていましたが、アルバラドはカクチケル族の援助も受けて、1524年にキチェ王国の首都ウタトゥランを攻略し、キチェ族を制圧しました。ウタトゥランの街は完 . . . 本文を読む
6日目は、フローレスからグアテマラ・シティに戻り、バスでチチカステナンゴへ移動することになりました。早朝にホテルを出発し、空港のレストランで朝食をとって、飛行機に乗り込みました。
久しぶりのプロペラ機になりました。空港のゲートから飛行機までは、歩きました。
フローレスの空港は国際線と書かれていますが、結ばれているのは隣国のベリーズ・シテイくらいのようです。
1時間に満たないフライトで . . . 本文を読む