8月12日から4日間の日程で、台湾の台北観光に行ってきました。
新潟空港からの出発ですと、成田発よりは便利ですが、コリアン・エアライン利用で、ソウルの仁川(インチョン)国際空港で飛行機を乗り換える必要があります。
仁川国際空港はヨーロッパを含めて世界各方面への便が発着するハブ空港になっています。
以前は、コリアン・エアラインというと格安航空会社で、飛行機も古びた感じでしたが、現在では、最 . . . 本文を読む
発見のモニュメントに続いて、その背後に広がるジェロニモス修道院を見学しました。
ジェロニモス修道は、エンリケ航海王子とヴァスコ・ダ・ガマの偉業を称え、また新天地開拓へ乗り出していく航海の安全を祈って、マヌエル1世が1502年に着工し、海外からもたらされた富をつぎこみ、約1世紀をかけて完成されました。
巨大な建物ですが、向かって左は海洋博物館になっています。
向かって右側にはサンタ・マ . . . 本文を読む
発見のモニュメントは、エンリケ航海王子の500回忌を記念して1960年に造られたものです。リスボンで欠かせない観光スポットの一つになっています。
エンリケ航海王子(1394~1460年)は、アヴィス朝を創設したジョアン1世の息子で、探検家・パトロンとしてアフリカ西海岸、さらにインド航路開拓を推し進めた大航海時代の重要人物です。
発見のモニュメントの置かれた広場には、世界地図とともにポルトガ . . . 本文を読む
リスボンでは、ラマダ・リスボンに2泊することになりました。
客室。
時差の関係で時間の感覚がおかしくなっていましたが、シャワーをあび、日本から持ってきたおにぎりとパンで夜食をとって寝ました。
一日目は、これで終わり。日本からの直行便が無く、乗り継ぎの必要なポルトガルは遠いですね。
二日目は、リスボンの市内観光です。まずは、リスボン中心地から南西部に位置するベレンの塔と発見のモニュメ . . . 本文を読む
1週後の2020年3月20日よりアイスランドに出かける予定でしたが、本日旅行会社の方から中止の連絡がありました。
1月前のキャンセル料発生時というのは、日本のダイヤモンド・クルーズ船における新型コロナウィルへの対処が欧米各国から問題にされていた時期でした。ヨーロッパにおける感染者も中国からの帰国者が中心で、アイスランドは感染者0という状態でした。ということで、アイスランド旅行は、戸外の自然風景や . . . 本文を読む
トルクメニスタン、バングラデシュと秘境系の旅を行ったので、久しぶりにヨーロッパに出かけることにしました。
選んだの次のツアー。なぜか、1月中には連日のようにポルトガル旅行が組まれていました。正月明けで乗客が少ないというような理由で、ANAの航空券が安売りされていたようなカラクリがあったのでしょうか。それでも参加者数は15名で、団体ツアーにはほど良い人数でした。移動中の大型観光バスでは、後方に陣取 . . . 本文を読む
バングラデシュ土産のまとめです。バングラデシュは観光国ではないので、土産に買うものはほとんどありませんでした。
バングラデシュ産の食べ物としては、このクラッカーが一押しでしょう。個包装なのもありがたく、日本で売られているものと同じプレーンな味でした。
インド産ですが、これまでのインド旅行でも買っていてお気に入りの、チョコ入りクッキーです。しっかりした包装のわりに値段も安く、ばらまき土産にう . . . 本文を読む
バングラデシュの食の続きです。
クシュティヤのレストランでの昼食。
まずはスープ。
バングラデシュの主食は米です。
エビ。
アイスクリーム。
クルナのホテルでの夕食。中華料理といってよいのかな。
他はビュッフェにて。
クルナのホテルでの朝食。
クルナのホテルでの夕食。
クルナのホテルでの朝食。
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バングラデシュの食のまとめです。シュンドルボン国立公園ボートクルーズの際の食事は、そちららの項に載せてあります。
ダッカのホテルでの朝食。首都のホテルだけあって、海外の一般的な朝食内容でした。ハムやソーセージは、イスラム教の国なので鶏肉を使っているのかあまり美味しくはないですが、これは仕方のないことです。
タンガイルのゲストハウスでの昼食。
赤米。
サラダ。オーガニック野菜を中心と . . . 本文を読む
ゴアルディ・モスジットの見学後昼食をとり、バングラデシュ最後の訪問地としてパナム・ノゴルを訪れました。
パナム・ノゴルでは、1895年~1905年の間に一本の通りに面して裕福なヒンドゥー教徒の豪華な家が50軒ほど建てられました。しかし、イスラム教徒を主な住民とする東パキスタン(後にバングラデシュ)がインドから独立すると、ヒンドゥー教徒の住民は不安を覚えてインドに移住してしまいました。その結果 . . . 本文を読む
バングラデシュでの最後の訪問地として、ダッカの東南約30kmのところにあるショナルガオを訪れました。ショナルガオは、「黄金の都」という意味で、川に囲まれて古来より水運の中心でした。12世紀にヒンドゥー教徒のセーナ朝のもとで発展しましたが、13世紀にイスラム教がベンガル地方に浸透してからは、多くのモスジット(モスク)やマドラサ(イスラム教の神学校)が作られました。
ショナルガオに到着して、まずはゴ . . . 本文を読む
第9日目は、ダッカとショナルガオンの見学を行い、その後、深夜に帰国となりました。
まずは、石炭船下ろし場に向かいましたが、その途中、国会議事堂が見えました。20世紀を代表するアメリカ人建築家のルイス・カーン設計によるもので、着工は1966年ですが、完成はバングラディシュ独立後の1983年になりました。コンクリート打ち放しの建築がカーンの作風で、彼の最大の建物になっています。
石炭船下ろし場 . . . 本文を読む
グラミン銀行の見学を終えた後に、一路ダッカに向かいました。途中の街で昼食をとりました。
ガンジス川の渡し場のマワ・ガットにやってきました。フェリーに乗船待ちの車で大混雑していましたが、警察が先導してくれて優先的に乗船することができました。普通に待つと数時間の単位で待たされるようです。護衛の警官も早く仕事を終えたいですしね。
バスごと乗り込むことになります。
船に乗り込んだら、車か . . . 本文を読む
シュンドルボン国立公園のクルーズ船から下船し、一路ダッカに向かうことになりました。その途中、サイクロンで延期になっていたグラミン銀行を別の村で見学しました。
まずは、グラミン銀行の支部を訪れました。左の家のマークが、グラミン銀行のシンボルです。
本当はトイレを借りるのが目的だったのですが、支部長さんがはりきって、お茶にお菓子の接待をしてくれて、予定が遅れました。
少し離れた村に移動し . . . 本文を読む
マングローブ林の歩きを終えて、後は船上でゆったり過ごすことになりました。
蛇行する水路を西に向かっているようです。
昼食は、エビカレー。添乗員が日本からSBゴールデンカレーのルーを持ってきて調理してもらったものです。バングラデシュ料理の基本はカレーですが、日本風のカレーはそれとは違って日本人にとって故郷の味になっており、美味しく食べました。
食後は、お昼寝タイムでしたが、デッキで . . . 本文を読む