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イベント 鎌倉国宝館 鎌倉ゆかりの密教尊像・名宝が一堂に集結した特別展「鎌倉×密教」

2011年12月24日 | イベント

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特別展「鎌倉×密教」
鶴岡八幡宮境内にある鎌倉国宝館(鎌倉市雪ノ下2-1-1) で開催の特別展「鎌倉×密教」は、10月15日から11月27日まで行われましたので、終了寸前の快晴の11月25日に見てきました。
特別展は、主催が鎌倉国宝館(鎌倉市教育委員会)で、共済が神奈川県立金沢文庫の、後援が文化庁、NHK横浜放送局により行われ、入場料は、大人が600円、小・中学生が300円です。

 特別展「鎌倉×密教」パンフレット・入場券

鎌倉国宝館へは、京急横浜駅からJR横須賀線に乗り換えて鎌倉を下車して、いつも賑やかな小町通りを経て、鶴岡八幡宮の参道を直進して舞殿の手前を右に折れ東に進み、由比若宮遙拝所と鶴亀石の脇を抜け右に曲がると、その先が鎌倉国宝館です。

 国宝館アクセス図

・鎌倉国宝館
鎌倉国宝館は、1923年(大正12年)の関東大震災による鎌倉でも多くの歴史ある社寺が倒壊し、貴重な文化財を損失したのを契機に、こうした不時の災害から由緒ある文化遺産を保護し、鎌倉を訪れる方々がこれらの文化財を容易に拝観、見学できるよう一堂に展示する施設として企画されました。開館は1928年(昭和3年)で、設立の趣旨に賛同した「鎌倉同人会」をはじめ、多数の人からの多額の寄付と、多数の文化財の寄託を受けて町立鎌倉国宝館開館が開かれました。
1950年(昭和25年)に現在の文化財保護法が制定され、翌1951年には博物館法が制定され、法に基づく勧告・承認施設となり、翌1952年には登録博物館となりました。
1983年(昭和58年)に新館(収蔵庫)を竣工し、平成3年に本館(展示場)が改修されて施設が充実し、平成8年に公開承認施設となりました。 また、平成12年には本館が国の登録有形文化財(建造物)に登録されました。

 鎌倉国宝館(左:開館当初の鎌倉国宝館、右:現在の鎌倉国宝館)鎌倉国宝館ホームページから

平成19年には新館収蔵庫の空調設備の修繕を行い、翌年には免震装置を設置、平成21年には本館彫刻展示場にも免震装置を設置し、収蔵資料の安全な保管に努めています。
1928年(昭和3年)に建設された本館建物は、設計が日本銀行小樽支店や歌舞伎座を設計した岡田信一郎で、施工は松井建設(当時松井組)により建てられ、外観が奈良の正倉院を模し、内部は鎌倉時代の寺院建築の手法が用いられた、鉄筋コンクリート造による高床式校倉風建築で、面積が833.85平方メートルあります。構造は、寄棟状屋根の中央部には小屋裏位置に採光用の越屋根を隠し、内部には虹梁大瓶束形式で採光用越屋根の棟を支える造りとし、また入り口の窓には鎌倉を詠んだ平安時代の和歌に登場する星月のマークがかたどられたヨーロッパのステンドグラス(小川三知作)がはめ込まれ、和風表現と近代的技法の調和が図られています。

 鎌倉国宝館展示会場(左:彫刻展示会場、右:ケース展示会場)鎌倉国宝館パンフレットから

・密教
密教とは、秘密仏教の略称であり、「秘密の教え」を意味するとされ、灌頂の儀式を受けた者以外には示してはならないとされた点で「秘密の教え」だとされます。また、言語では表現できない仏の悟り、それ自体を伝えるもので、凡夫の理解を超えているという点で「秘密の教え」だとも言われています。
日本に密教が初めて紹介されたのは、唐から帰国した最澄(伝教大師)によるものであったが、本格的には、唐における密教の拠点の青龍寺において修学した空海(弘法大師)が、806年に日本に帰国して紹介されてからであります。 また、空海に後れをとるまいと唐に留学し密教を学んだ円行、円仁(慈覚大師)、恵運、円珍(智証大師)、宗叡らの活躍も挙げらます。
宗派としては、空海が唐の青龍寺恵果に受法して請来し、真言密教として体系付けた真言宗(東密:東寺(教王護国寺)の密教)と、最澄によって創始され、円仁、円珍、安然らによって完成された日本天台宗(台密:天台密教)が密教に分類されています。真言宗が密教専修であるのに対し、天台宗は天台・密教・戒律・禅の四宗相承である点が異なっています。
・・曼荼羅
曼荼羅(まんだら)は仏教(特に密教)において聖域、仏の悟りの境地、世界観などを仏像、シンボル、文字、神々などを用いて視覚的・象徴的に表したものです。
両界曼荼羅は、密教の中心となる大日如来を中心とした数々の「仏」を一定の秩序にしたがって配置したものであり、「胎蔵界曼荼羅」、「金剛界曼荼羅」の2つの曼荼羅を合わせて「両界曼荼羅」と称する。胎蔵曼荼羅は「大日経」、金剛界曼荼羅は「金剛頂経」という密教経典をもとに描かれています。(Wikipediaから)

 曼荼羅(左:胎蔵曼荼羅、右:金剛界曼荼羅)

・特別展の展示品
11月25日は大安吉日で鶴岡八幡宮の参道を国宝館に向かうと、拝殿では結婚式を挙げており目出度い日に遭遇しました(トップ写真参照)。拝殿から右に進み由比若宮遙拝所と鶴亀石の脇を抜けると展示会場の国宝館です。

 鶴岡八幡境内から国宝館へ(左:由比若宮遙拝所、中:鶴亀石、右:国宝館)

展示会場の国宝館入り口を入ると彫刻展示会場であり、会場中央に正方形の展示台があり、その周囲を取り巻いた壁際にも展示棚があり、そこには展示品目録一覧(クリックすると表示)に示された密教仏像が露出の状態で展示してあります。展示品は、展示期間を前期(10月15日~11月6日)と後期(11月8日~27日)に分けて展示仏像を出品してあります。
展示仏像は、中央の展示台に五大明王像が並び、入り口手前から反時計廻りに回ると最初に大日如来が4体展示され、角には不動明王(園城寺)が置かれ、それに並んで右壁際には不動三尊、不動明王(大山寺、覚園寺)、阿閦如来坐像、聖観音に続き、角には如意輪観音と並んでいます。それに並んで奥の壁際を左に進み千手観音、十一面観音、文殊菩薩、普賢菩薩、弁財天、歓喜天、荒神と並んでいます。左壁際には愛染明王(青蓮寺、五島美術館)が2体展示されてありましたので拝観しました。

 展示仏像(左:大日如来坐像 静岡・修禅寺、中:愛染明王坐像 東京・五島美術館、右:歓喜天立像 鎌倉・巨福呂坂町内会)鎌倉国宝館パンフレットから

彫刻展示会場の隣の会場はケース展示会場で、曼荼羅や密教絵画と鎌倉の密教に関する歴史資料の名宝が多数展示してありましたので観賞しました。

 展示名宝(左:虚空蔵菩薩像[部分] 鎌倉・円覚寺、右:五秘密菩薩像 神奈川県立近代美術館)鎌倉国宝館パンフレットから

一通りの見学が済むと、12時半となっていましたので昼食をとり、舞殿に戻り大石段の横の倒木した大いちょうの木の前を通り、車祓い所の前から大船行きのバスで帰宅しました。

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