通でがんす

いろんな広島を知って、ひろしま通になりましょう!
(旧ブログタイトル:通じゃのう)

ピースウォークひろしまツーデー(その9) 鶴見橋から御幸橋

2012年12月28日 | 見て歩き
1日目
太田川リバーウォーク 35キロ

その9 南区
鶴見橋から御幸橋まで






「11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク(35キロ)。前回は、中区の平和大橋から鶴見橋(つるみばし)までを紹介したが」

「9回目の今日は、鶴見橋から皆実町(みなみまち)を通って、御幸橋(みゆきばし)まで」

「今までのルートを振り返ってみると…。

中央公園(中区)を出発して、太田川(おおたがわ)に沿って新こうへい橋(中区→東区)を通って、安芸大橋(あきおおはし)まで北に向かって歩く。
安芸大橋で折り返して(東区→安佐南区)南に向かって歩き、祇園大橋(ぎおんおおはし)まで戻ってくる。(安佐南区→西区)
新横川橋(しんよこがわばし)で太田川から離れて、天満川(てんまがわ)に沿って、南に向かって歩く。
緑大橋(みどりおおはし)からは平和大通り(通称:100メートル道路)に沿って東に向かって歩く。
西平和大橋、平和大橋を通って、ようやく鶴見橋でたどり着いた。

…というところじゃの」

「朝8時に中央公園を出発して、鶴見橋に着いたのが12時5分くらいじゃけぇ、すでに4時間歩いとることになるんじゃね」







「京橋川(きょうばしがわ)に架かる鶴見橋を越えると、中区の富士見町(ふじみちょう)から南区の比治山本町(ひじやまほんまち)に入るんじゃ。富士見町という町名は、文字通り、富士がきれいに見えるところからつけられた名前なんじゃの」

「富士って、ここからじゃ富士山は見えんけど?」

「似島(にのしま)があるじゃろ?」

「広島湾にある島じゃね」

「その島の北側に安芸小富士(あきのこふじ)と呼ばれる山があるんじゃ。その小富士がこのあたりから見えたんじゃそうな」

「へぇ、そうなんじゃ。鶴見橋をまっすぐに進んで比治山トンネルを抜けると、娘たちが通ったみみょう幼稚園があるんよ」

「わしが通っとった安芸幼稚園(あきようちえん)も、比治山のふもとにあるぞ」



地名の由来は、ここに比治何某という者が居住していたという説と、この山形が横に長く、肱(ひじ)を横たえたようなので比治山と呼んだという説がある。

(「比治山」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)




「今回、写真を撮り忘れたが、橋を渡った東詰北側には、被爆樹木の大きなシダレヤナギがあるんじゃの。今回のコースは、橋を渡って右に曲がり、右手に京橋川(きょうばしがわ)を、左手に広島電鉄皆実線(比治山線)を見ながら、南に向かって歩くんじゃ」



↓みみょう幼稚園については、こちら↓

みみょう幼稚園



↓安芸幼稚園については、こちら↓

安芸幼稚園



↓鶴見橋のシダレヤナギについては、こちら↓

「シダレヤナギ(鶴見橋東詰)(被爆樹木)」ひろしまナビゲーター







「ん? これはなに?」

「比治山橋の東詰北側に、こんな石標が立っとって、次のように刻まれとるんじゃ」



石標 電燈
寄附者
土手町 坂本常蔵
廣島電氣株式會社
大正十年十二月一日






「ここで、わしゃ失敗をしてしもうたんよ」

「なにが?」

「比治山橋から「電車通りに沿って歩く」と思い込んどったんじゃが、本当は京橋川に沿って歩かんといけんかったんじゃ」

「ありゃま」

「地図を確認せんかったわしのミスじゃ。というわけで、ここから御幸橋(みゆきばし)までは、実際とは違うコースを紹介しとりますけぇの」







「広島FM放送は今年(2012年)の12月5日、開局30周年を迎えたんよ」



↓広島FM放送については、こちら↓

HFM Web Site





「南区役所前交差点から、町名は比治山本町から皆実町(みなみまち)に変わるんじゃ」

「広島FM放送があるのも、皆実町じゃね」

「こうの史代(ふみよ)の『夕凪の街 桜の国』の主人公・平野皆実(ひらの みなみ)の名前は、この町の名前からとられとるんじゃの」



町名は江戸時代初期に比治山の南に造成された埋め立て地のうち「仁保島西新開」が、1821年(文政4年)、村民の願い出により「皆実新開」と改称したことに由来する。
「南」(みなみ)の嘉名によるものである。

(「皆実町(広島市)」ウィキペディア)




「嘉名(かめい)は、縁起のいい名前のこと。縁起がいいからということで、「南」でなく「皆実」にしちゃったんじゃろうの」







「おぉ、巨大なガスタンクじゃね」

「ここには広島ガスの本社があるんじゃ。わしゃ、小学2年まで皆実町六丁目電停の近くに住んどったけぇ、家からこのガスタンクが見えよったんよ。ガスが爆発するもんじゃと聞いてからは、「いつか爆発するんじゃなかろうか」なんて、いらん心配をしよったもんじゃ」

「あはは…」

「原爆が投下されたときは、ガスタンクに階段の影が焼きついたこともあるんじゃ」



瓦斯会社ガスタンクの陰影(爆心地から2,000m)

京橋川沿いの皆実町の広島瓦斯工場のガスホルダー。
熱線で表面のコールタールが溶け階段やバルブホイールの影が残った。

(「原爆十景」ウィキペディア)




「影といえば、銀行の入口の石段に、原爆犠牲者の影が焼きついたというのがあったね」

「「死の人影」というやつじゃの。爆心地から約260メートルにあった住友銀行広島支店(現在:中区紙屋町1丁目)入り口の石段にあったんじゃ。1971年に改築されるときに原爆資料館に寄贈されて、今は「人影の石」として展示されとるんじゃ」



↓広島ガスについては、こちら↓

広島ガス株式会社



↓人影の石については、こちら↓

「人影の石」広島平和祈念資料館







「ゆめタウン広島の前を通って、皆実町六丁目電停を右に曲がる。猫田記念体育館を通ると御幸橋(みゆきばし)に着くんじゃ」

「御幸って、どういう意味?」

「天皇が外出することを「行幸」(ぎょうこう、みゆき)というんじゃが、「御幸」(みゆき)ともいうんじゃ」

「なるほど。うちは、なんで女性の名前がついとるんじゃろうかと思うとったんよ」

「さっき話をしたように、小学2年まで、わしゃこの近くに住んどって、宇品の花火大会もここから見よったんじゃ」



1885年(明治18年)、宇品築港事業にともない架橋された。
140間(約255m)規模の橋で当時広島でもっとも長い木橋であったことから「長橋」(ながはし)と呼ばれ、「川口橋」という別称もあった。
同年8月、山陽道行幸中の明治天皇が広島を訪問し、この橋を渡ったことから「御幸橋」と改称された。

(「御幸橋(広島市)」ウィキペディア)




↓猫田記念体育館については、こちら↓

「猫田記念体育館」男子バレーボールチーム JTサンダーズ





「御幸橋の手前で左に曲がって、ここで本来のコースに戻ったんじゃ」

「今回は、コースから外れてしもうた話じゃったね」

「次回は南区、御幸橋から暁橋(あかつきばし)まで を紹介する予定じゃ」





【メモ】

暁橋通過時間/12時25分ころ
(スタートから約4時間25分)






「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロ、鶴見橋から御幸橋までについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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ひろしまドリミネーション2012

2012年12月25日 | 季節の話題
「昨日、12月24日はクリスマス・イブじゃったね」

「みなさんは、どのように過ごされましたかの?」

「うちは、子どもたちのクリスマスプレゼントを買いに行ってきたよ。もー、最近のヤングの好みは分からんけぇ、本通り中の店を、あちこち見て回ったわいね」

「ヤングって…。その言葉、死語なんじゃないか?」

「えぇじゃん。うちが使いよるんじゃけぇ、死語じゃないよ。ところで、お父さんはどこへ行ってきたん?」

「わしゃ、ひろしまドリミネーションを見に行ってきたんじゃ」

「ドリミネーションか…。久しゅう行っとらんね」

「子どもたちが小(こ)まいころは、よう連れて行きよったがのう」

「人が多かったじゃろ?」

「休日じゃったし、クリスマス・イブということもあって、人が多かったのう」

「昼間は雪が舞って寒かったけど、ホワイトクリスマスというわけにはいかんかったね」

「というわけで、今日はひろしまドリミネーション2012を紹介していきますけぇの」





1)スターライトトレイン

2)ハート島

3)光の宮殿

4)エターナルロード

5)音楽の広場

6)スイーツの森

7)夢の中の遊園地

8)聖なる森の雫

9)冬の妖精たち

10)メープルワールド

11)明日へのセイル

12)スノーホワイト

13)ピースツリー

14)魔法の国

15)おまけ その1 ボンバス

16)おまけ その2 シークレット





1)スターライトトレイン






「これを見よったらワクワクしてきたで。BGMは、ゴダイゴが歌う、映画の主題歌『銀河鉄道999』じゃ」





2)ハート島





「『シンデレラ』に出てくる、カボチャの馬車じゃろか?」





3)光の宮殿





「この宮殿。実際はもっと大きいんじゃが、写真にするとちっぽけに見えてしまうのう」





4)エターナルロード



「」

「光のトンネルじゃね」

「そこを抜けると…」







「おー、フェニックスじゃん」

「造形もえかったが、この色合いがえかった」





5)音楽の広場



「この額の前では、写真を撮る人たちがたくさん並んどったのう」







「おー、パイプオルガンじゃね」










6)スイーツの森

















「ケーキにバナナ、イチゴにいろんなお菓子があったのう」

「おいしそうじゃね。あー、お腹がすいてきた」





7)夢の中の遊園地





「おー、メリーゴーランド」

「ここでも、たくさんの人が写真を撮りよっちゃったのう」





8)聖なる森の雫





「こりゃ、滝をイメージしとってんかね?」

「川の水かもしれんが、分からん。ほとりには、ドラゴンもおったのう」





「中を通っていくと、トンネルに出るんじゃね」





9)冬の妖精たち





「これは、カープの帽子をかぶった雪だるまじゃろうかの?」





10)メープルワールド





「広島県の花も木もモミジじゃね」

「今回は、赤(朱色)の発色がきれいに見えたのう」





11)明日へのセイル





「えぇのう。これを見とるとワクワクしてくるで。BGMは、羽田健太郎(はねだ けんたろう)作曲によるテレビアニメ主題歌『宝島』じゃ!」





「これは?」

「たぶん、クジラの口の中じゃと思うんじゃがのう」





12)スノーホワイト





「おー、ガラスの靴じゃね」





13)ピースツリー











14)魔法の国







「空には月も見えて、いかにも魔法の家という感じじゃね」

「小道具も効いとると思うで。ネコにホウキ、コウモリにフクロウ」





15)おまけ その1 ボンバス





「おー、クリスマスのラッピングをしたボンバスが走っとるよ」

「中に乗っとる女の子が、ずっと手を振ってくれたのう」





16)おまけ その2 シークレット



「これは?」

「結婚式前に写真を撮りに来たカップルが、音楽の広場のパイプオルガンの前で写真を撮りよったんじゃ。ひょっとしたら、こりゃ演出なんかの、とも思うたりしたんじゃが…」

「2人ともサンタクロースの衣裳なんじゃね」





「おー。男性が女性に花束を渡しとるんじゃね」

「この瞬間、みんなが拍手しちゃったのう」

「やっぱり、幸せな姿を見るのはええねぇ」





↓ひろしまドリミネーションについては、こちら↓

広島 イルミネーション | ライトアップ事業 ひろしまドリミネーション





「今日は、ひろしまドリミネーション2012について話をさせてもらいました」

「来年(2013年)の1月3日までやっとりますけぇの。ほいじゃあ、またの」
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ご当地ごみに採用して! 劇団四季『キャッツ』広島公演

2012年12月24日 | 広島の話題
「ご当地ごみに採用してって、どういうこと?」

「この間、ご当地ごみを探せ! 劇団四季『キャッツ』広島公演というタイトルで話をしたのは、覚えとるじゃろ?」

「広島に関係する12個のごみが、劇団四季のミュージカル『キャッツ』のステージに隠されとる、という話じゃったね」

「今回は、全国シェア1位の広島産品を紹介することで、ご当地ごみに採用してもらおうという企画じゃ」

(※全国シェアについては、広島県統計協会発行の『広島県民手帳 平成25年版』を参考にさせてもらいました)

「あはは…。そんな、うまくいくわけないじゃん」

「うまくいくもなにも、こればっかりは、やってみにゃわからんわいのう」

「それじゃま、やってみようか。それで、採用してもらいたい広島ごみは?」

「次の7個じゃ」





1)レモン

2)ネーブルオレンジ

3)ウスター・中濃・濃厚ソース

4)毛筆、その他の絵画用品

5)やすり

6)ゴム手袋

7)鋼製外国船舶の改造・修理





1)レモン


「平成21年の生産量が5542.2トン、シェアが58.7パーセント」

「最近は、広島レモンサイダーとか、いろんなメーカーから商品化さよるよね」

「広島県産のレモンを皮ごと使った「レモン鍋」とか」

「ハートの形をしたハートレモンとか、いろいろあるよ」

「レモンといえば、瀬戸田(せとだ)。広島県産のレモンの約4割が、ここで生産されとるんじゃけぇの」

「レモン谷という地名が残っとるほどじゃもん」

「最近は、エコレモン、皮まで食べられる安全で安心なレモンの栽培も行われているそうじゃ」



↓レモンについては、こちら↓

「広島レモン」JA広島果実連





2)ネーブルオレンジ

「平成21年の生産量が2510.9トン、シェアが39.3パーセント」

「広島県は柑橘類(かんきつるい)がたくさん取れるよね」

「温暖な気候を利用して、瀬戸内沿岸の島しょ部で生産されとるんじゃ。レモン、ネーブルオレンの他にも、こんなものがあるんじゃの」



●はっさく
 生産量 7121.5トン(平成21年)
 シェア 18.4パーセント
 全国第2位


●キヨミ(清見)
 生産量 990.0トン(平成21年)
 シェア 5.2パーセント
 全国第3位


●不知火(デコポン)
 生産量 3825.9トン(平成21年)
 シェア 8.1パーセント
 全国第4位


●みかん
 生産量 35000トン(平成23年)
 シェア 3.8パーセント
 全国第7位




3)ウスター・中濃・濃厚ソース

「平成22年の出荷額が124.8億円、シェアが25.5パーセント」

「ソースといえば、お好み焼には欠かせんよね」

「広島は、ソースの生産量も、ソースの購入数量も全国1位なんじゃ」

「お好み焼のソースといえば、あの「とろみ」じゃね」

「ふつうのソースはサラッとしとるが、お好み焼のソースはドロッとしとるよの。あれをかけて食べるけぇ、うまいんじゃが」



このお好み焼き用ソースの最大の特徴は、「とろみ」。
様々なアイデアが、お好み焼きと相性の良い、とろみのあるソースを生み出しました。

その一つが「オリ」。
ウスターソースをつくると、必ず野菜・果実のパルプ(食物繊維)や香辛料の粉末などが沈殿します。
いつも廃棄していたこの沈殿物がオリです。
オリには、栄養やコクもあるので、捨てるにはもったいない、なんとか使えないかと考えていました。
そして、このオリを使ったあんかけ料理がヒントとなり、ソースのとろみづけに挑戦します。
何度も試作を繰り返して、お好み焼きから流れ落ちにくく、具材とよく絡むソースができあがったのです。

(「お好みソースの歴史」オタフクソース株式会社)





4)毛筆、その他の絵画用品

「平成22年の出荷額が50.1億円、シェアが36.4パーセント」

「女子サッカーのなでしこジャパンが国民栄誉賞を受賞したときに贈られたのが、熊野町(くまのちょう)の化粧筆じゃったよね」

「熊野といえば、筆の産地。もとは書道の筆を作りよったんじゃが、それだけじゃ立ち行かんようになったけぇ、化粧筆(化粧用の筆)を作り始めたそうじゃ」

「その化粧筆は、モデルさんはもちろん、映画の本場・ハリウッドの女優さん、ファッションの本場・パリの関係者たちも使いよってんよ」

「劇団四季の方も使いよってんかのう?」



↓熊野筆については、こちら↓

熊野筆





5)やすり

「平成22年の出荷額が6.6億円、シェアが76.0パーセント」

「やすりいうても、爪切りに付いとる「爪やすり」くらいしか使わんよ」

「やすりの産地といえば、呉市の仁方(にがた)じゃのう」



戦前までは、新潟、東京などもヤスリ産地として名をなしていましたが、戦災で打撃を受け衰退しました。
仁方は戦争の被害が少なく、戦前からのヤスリの加工・製作機械の考案や技術革新により高品質のヤスリが大量にできるようになり、ヤスリの一大生産地になりました。

(「ヤスリの歴史」ヤスリホームページ)






6)ゴム手袋

「平成22年の出荷額が18.1億円で、シェアが40.5パーセント」

「医療関係だけじゃのうて、食品関係の人もゴム手袋を使うようになったよね」

「バザーなんかでおにぎりをにぎる人もゴム手袋をはめとって、わしなんか「そこまで気を使わにゃいけんのかいの?」と思うてしまうがの」

「ここんとこ、ノロウイルスも流行(はや)っとるし、やっぱり気をつけんにゃいけんのじゃないんかね」

「ゴムといえば、総ゴム靴もあるのう。こちらは平成22年の出荷額が17.9億円で、シェアが33.1パーセントじゃ」





7)鋼製外国船舶の改造・修理

「平成22年の出荷額が77.9億円で、シェアが41.5パーセント」

「広島県で造船といえば、やっぱり呉(くれ)じゃね。戦艦大和を造ったのも、呉じゃったし」

「尾道や三原でも盛んなんじゃ」

「おぉ。尾道と大阪を舞台にしたNHK朝の連ドラ『てっぱん』(2010年~2011年)で、篠宮造船という造船会社も出てきたね」

「中国や韓国が追い上げてきて、日本の造船業界は縮小の一方なんじゃがの」

「今度、造船会社が合併するらしいね」

「来年(2013年)1月、いうてももうすぐじゃが…、ユニバーサル造船と、IHIMU(アイ・エイチ・アイ・マリンユナイテッド)が合併するんじゃ」



↓ユニバーサル造船については、こちら↓

ユニバーサル造船





「今日は、劇団四季のミュージカル『キャッツ』のご当地ごみに採用してもらいたい広島産品の話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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ピースウォークひろしまツーデー(その8) 平和大橋から鶴見橋

2012年12月22日 | 見て歩き
1日目
太田川リバーウォーク 35キロ

その8 中区
平和大橋から鶴見橋まで






「11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク(35キロ)。前回は、中区の平和公園から平和大橋(へいわおおはし)までを紹介したが」

「8回目の今日は、平和大橋から白神社(しらかみしゃ)前を通って鶴見橋(つるみばし)まで」





「元安川(もとやすがわ)に架かる平和大橋を渡ると、中島町(なかじまちょう)から大手町(おおてまち)に入るんじゃ」






北側(紙屋町方面)


南側(広島市役所方面)


「白神社交差点では、広島電鉄(広電)の宇品(うじな)線が南北に走っとるんじゃ」

「ここはむかし、西塔川(せいとうがわ)という運河が流れとって、そこを埋め立てて広電の電車の線路を通したんよね」

「今の中電前電停は、広電が開通したころは西塔橋という名前の電停で、場所も今より北側、平和大通りの中心あたりにあったということじゃ」







「白神社交差点西詰の南側には、広島三大プロの看板があるんよ」

「広島三大プロといえば、野球の広島カープ、サッカーのサンフレッチェ広島、音楽の広島交響楽団じゃのう」







「白神社交差点を渡ると、大手町から中町(なかまち)に入るんじゃ」

「「白神社」と書いて、「しらかみしゃ」と読む神社があります。「しろじんじゃ」とは読みません」

「ここは爆心地から約500メートルにあって、神社は焼けてしもうたんよ。ほいじゃが、原爆の熱線によって赤く変色した岩石や、被爆した常夜灯・クスノキが境内にあって、今も見ることができるんじゃの」



『知新集』には広島開府以前、まだこの地一帯が海面であり、岩礁があったために、そこに白紙を立てて往来の船のための目印とされたのが、やがて小社とされ紙を神として、白神明神といったという伝承をのせている。

(「白神社」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)




「広島開府以前ということは、江戸時代より前は、このあたりまで海じゃったんじゃね」







「白神社の横(東側)にはANAクラウンプラザホテル広島があるんじゃ」

「おぉ、サンフレッチェのバスがあるじゃん」

「この日(11月24日)は、サンフレッチェ広島がJ1初優勝を決めた日じゃったのう」

「この間の日曜日(12月16日)には、優勝パレードがあったね」



J1を初制覇したサンフレッチェ広島が16日、広島市中区で優勝パレードと報告会をした。
クラブ創設20周年の快挙に8万2千人(主催者発表)が集まり、喜びを分かち合った。

選手らはオープンカーやバスに分乗。
6万2千人で埋まった平和大通りの840メートルを約40分かけて走行した。
平和記念公園の原爆慰霊碑に献花し、2万人に優勝を報告した。
広島市内でプロチームの優勝パレードは広島東洋カープがリーグ制覇した1975年以来。
森保一監督は「多くの人に来ていただき幸せ。皆さんに感動をいただいた」と喜んだ。

(「サンフレ、Vパレードで笑顔」中国新聞 2012年12月17日)




↓ANAクラウンプラザホテル広島については、こちら↓

広島のホテル ANAクラウンプラザホテル広島







「白神社東交差点を渡ると、中町から小町(こまち)に入る。ここにラ・パンセ(瞑想の像)という像があるんよ。これは柳原義達(やなぎはら よしたつ)という方の作で、1953年(昭和28年)に設置されたそうじゃ」







「平和大通りは、日本の道100選にも選ばれとるんじゃ」

「日本の道100選?」

「これは、1986年(昭和61年)度と1987年(昭和62年)度に、建設省と「道の日」実行委員会によって制定された道路のことで、呉市(くれし)にある美術館通りも選ばれとるんじゃ。「100選」といいながら、実は「104」あるそうじゃがの」

「碑には、「昭和61年8月10日」とあるね」

「8月10日は「道の日」で、国土交通省が1986年に制定したそうじゃ」






三上義夫博士の顕彰碑

「三上義夫(みかみ よしお)? 聞いたことがない名前じゃね」

「高田郡(たかたぐん)甲立村(こうたちむら。現:安芸高田市(あきたかたし)甲立)生れで、和算を研究し、英文で西洋に紹介された方じゃそうな」



中国数学史も開拓し、1913年(大正2)に『中国(支那)と日本の数学の発達』(英文)を刊行、さらに1914年には『日本数学史』を世に送った。
前著は世界最初の中国数学史として欧米でも定本とされた。

(「三上義夫」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)







廣島第一縣女原爆犠牲者追憶之碑

「廣島第一縣女(=広島第一県女)って?」

「今の県立広島皆実(みなみ)高校じゃの」

「えっ、皆実って女子高じゃったん?」

「皆実に看護科があるのも、そういう歴史があるけぇかの。それはともかく、戦前までこの場所にあったそうじゃ」

「爆心地からの距離は?」

「約650メートル。建物疎開作業に動員されとった1年生をはじめ、生徒・教職員297人が犠牲になったということじゃ。余談じゃが、広島第二県女は宇品(うじな)にあって、今は県立広島大学になっとるんじゃの」






移動演劇さくら隊原爆殉難碑

「移動演劇?」

「戦争末期、軍隊や工場、病院などを慰問するために編成されたのが移動演劇で、桜隊はそのうちのひとつじゃったじゃ」

「その桜隊が原爆に遭われたん?」

「広島で巡演しとった桜隊は、爆心地に近い宿舎で原爆に遭って、9人のうち5人が即死。隊長の丸山定夫(まるやま さだお)は8月16日に亡くなり、園井恵子(そのい けいこ)は兵庫県芦屋市(あしやし)まで逃げたんじゃが、8月21日に亡くなった。そして、東京に戻った後、入院先の東大病院で8月24日に亡くなった仲(なか)みどりは、医学上認定された人類史上初の原爆症患者なんじゃ」



↓桜隊については、こちら↓

桜隊原爆忌の会






ワールドカップマラソンの記念碑

「マラソンもワールドカップがあるんじゃね」

「1985年(昭和60年)の4月に広島で行われて、中山竹通(なかやま たけゆき)が、2時間8分15秒の記録で2位。この記録は当時の日本最高記録で、世界歴代3位という記録じゃったんじゃ」

「おー、すごいじゃん」






にしき堂 平和大通り田中町店

にしき堂の にしき堂の もみじ饅頭~
(CMソング)


「おぉ、町名の紹介を忘れとったが、ここは田中町(たなかまち)じゃ」

「にしき堂といえば、もみじ饅頭のほかにも、生もみじ、やき餅咲ちゃん、新・平家物語といった商品があるよね」

「ほいじゃが、にしき堂といえばこの話題に触れんわけにはいかんのじゃ」



西部警察 PART-II

1982年の第18話「広島市街パニック!!」で撮影協力を行っている。
当時の店舗や工場の様子が撮影されていた他、大谷照三社長(当時)も出演した。
また、クライマックスシーンで爆破される電車を「にしき堂」号とまでする程の協力ぶりだった。
なお、この回にはB&Bもゲスト出演しており、島田洋七がにしき堂の社員、島田洋八が同じ広島の地場の乳業メーカー「チチヤス」の社員、と言う設定であった。

「にしき堂」ウィキペディア




「チチヤスは、ウィキペディアにも書いてあるように、広島の乳業メーカー。1917年(大正6年)、日本で初めてヨーグルトを発売した会社でもあるんじゃ」



↓にしき堂については、こちら↓

にしき堂



↓チチヤスについては、こちら↓

チチヤス











「おぉ、ひろしまドリミネーション」

「昼間見ると、面白うないよのう」

「やっぱり、夜、ライトアップされたのを見んにゃダメじゃね」



↓ひろしまドリミネーションについては、こちら↓

ひろしまドリミネーション2012







「というわけで、ようやく鶴見橋(つるみばし)にたどり着きました」

「ここを渡ると、いよいよ南区。次回は南区、鶴見橋から宇品にある御幸橋(みゆきばし)までを紹介する予定じゃ」





【メモ】

鶴見橋通過時間/12時5分ころ
(スタートから約4時間5分)

歩数/約27,300歩

歩いた距離/約18.1キロ

(注:距離は歩数計に示されたもので、公式のものではありません)





【参考文献】

高木茂登『ひろしま 水と緑と彫刻』(ひろしま文庫 1984年)






「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロ、平和大橋から鶴見橋までについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」
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冬至 二十四節気(その22)

2012年12月21日 | 季節の話題
「今日は、二十四節気(にじゅうしせっき)の一つ「冬至(とうじ)」じゃの」

「ひとつ前の大雪(たいせつ)は、12月7日じゃったね」



冬至(とうじ)は、二十四節気の第22。
十一月中(旧暦11月内)。

現在広まっている定気法では太陽黄経が270度のときで12月22日ごろ。
恒気法は節気を冬至からの経過日数で定義するが、基点となる冬至は定気と同じ定義である。
定気と恒気で一致する唯一の節気である。暦ではそれが起こる日だが、天文学ではその瞬間とし、日のほうは冬至日(とうじび)と呼ぶ。

期間としての意味もあり、この日から、次の節気の小寒前日までである。

西洋占星術は、冬至を磨羯宮(やぎ座)の始まりとする。

(「冬至」ウィキペディア)




「冬至といえば、一年で昼がもっとも短く、夜がもっとも長い日」

「文字どおり、「冬に至る」日じゃのう」

「冬至が過ぎると、昼が少しずつ長くなっていくんよ」

「毎日、「畳の目が一目ずつ伸びる」という言い方もあるんじゃの」

「へぇ。うまい表現をするもんじゃね」

「一陽来復(いちようらいふく)という言葉もある。これは、陰の気がきわまって陽の気にかえるという意味なんじゃ」

「少しずつ弱くなっていた太陽の力が、冬至を境にふたたび強くなると…」

「太陽が復活する、というところから、キリストが復活する、という話になったんじゃ。クリスマスの起源も、もとはユールと呼ばれる冬至祭じゃったんじゃの」

「そういえば、クリスマス(12月25日)と冬至(毎年12月22日ごろ)は、日にちが近いよね」

「太陽の力が弱くなるということは、ウルトラマンの力も弱くなるということじゃ」

「…えっ!?」

「たとえば、『帰ってきたウルトラマン』の第37話「ウルトラマン夕陽に死す」(1971年12月17日放送)。ナックル星人とブラックキングに敗れたウルトラマンが、円盤につながれた巨大な十字架はりつけにされてしまうんじゃ。これも、太陽の力が弱って、ウルトラマンの力が弱っとったせいじゃ」

「そりゃ、全然関係ないと思うよ」





「冬至に食べるものといえば、かぼちゃじゃね」

「かぼちゃは、南京(なんきん)とも言う。冬至には「ん」がつくものを食べるのがええと言われとるんじゃの」

「ほかには?」

「金柑(きんかん)や銀杏(ぎんなん)、人参(にんじん)、蓮根(れんこん)、うどん。うどんは、一説によると「うんどん」と呼ばれとったころもあるそうじゃ」

「あとは、ゆず風呂じゃね」



日本では、江戸時代頃より冬至に柚子を浮かべた湯舟に入浴する習慣がある。
「ゆず湯に入れば風邪を引かない」と言われている。
冬至の日において、柚子湯を用意する銭湯もある。

(「柚子湯」ウィキペディア)




「ゆず(柚子)には、こんな効能があるんじゃと」


体があたたまる

かぜを引かない

霜焼けにならない

香りで心がやすまる






「最後に、今日という日(2012年12月21日)について触れておかねばなるまいのう」

「あぁ。マヤ暦による、2012年人類滅亡説じゃね」

「マヤ文明では、5126年で一巡する循環暦(じゅんかんれき)を使うとって、この暦が一巡するのが今日、2012年12月21日になるそうじゃ」

「テレビじゃ、「終末の予言は書かれていない」とか、「今年の5月に、12月21日以降の暦が見つかった」とか言いよったよ」

「ノストラダムスの大予言を経験しとるんじゃけぇ、もちっと客観的な判断できるんじゃないかと、わしゃ思うんじゃがのう」

「なんで、こんなに広まったんじゃろうか?」

「社会に対する不安、というのが一番なんじゃろうの。五島勉(ごとう べん)の『ノストラダムスの大予言』が発行された1973年(昭和48年)は、第四次中東戦争でオイルショックが起こった年じゃったんじゃ。あと、公害問題もあったしの」

「オイルショックかぁ。トイレットペーパーの買い占めがあったよね」

「わしの家はまだちり紙を使いよったんよ。「世間様は、トイレットペーパーなんて高級な紙を使いよってんじゃのう」と思うたのは、わしだけじゃったんかのう」

「うちはトイレットペーパーじゃったけどね」

「あと、ガソリンも高うなって、燃費のようなかったマツダのロータリーエンジンは売れんようになってしもうたんよの」

「小松左京(こまつ さきょう)の『日本沈没』もこのころじゃなかったっけ?」

「『日本沈没』の小説が発行されて、映画が封切られたのも、アメリカ映画『ポセイドン・アドベンチャー』が日本で封切られたのも、この年(1973年)じゃ。『ノストラダムスの大予言』が映画化されたのは、翌年の1974年(昭和49年)じゃの」

「このころはパニック映画が流行(はや)ったんじゃね」

「1974年といえば、『宇宙戦艦ヤマト』のテレビ放送が始まった年。ヤマトでは、遊星爆弾によって赤茶けた姿になった地球の姿が出てくるよの。ヤマトは、公害と終末論という世相を意識して作られとって、赤茶けた地球の姿は終末論を見事に映像化しとるんじゃ」



今年、『ポセイドン・アドベンチュア』というアメリカ映画が大ヒットした。
転覆した豪華客船の中から、僅か数人の男女が、奇跡的に脱出、生還する物語である。
ヒットの理由は、転覆した船という、時代の終末を象徴する状況から、人間が脱出できる可能性を示したことにあると思われる。

今の日本は、地震ブームである。
(略)
このブームは単に科学的根拠に発するだけのものではない。
私たちの生活の行き詰まりが、世直し願望という形で、反映しているのだ。

(宇宙戦艦ヤマト 企画書)






「今日は、二十四節気の一つ、冬至について話をさせてもらいました」

「余計な話もまざってしもうて、すまんかったのう。次の小寒(しょうかん)は来年(2013年)1月5日じゃ。ほいじゃあ、またの」
コメント
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