1日目
太田川リバーウォーク 35キロ
その1 中区
中央公園(スタート地点)から新こうへい橋まで
「2012年11月24日(土)、ピースウォークひろしまツーデーに参加してきたで。1日目は太田川リバーウォークの35キロ!」
「どのへんを歩いたん?」
「次のようなコースじゃ」
中区:中央公園→新こうへい橋
東区:新こうへい橋→祇園新道橋下→安芸大橋
安佐南区:安芸大橋→祇園新道橋下→祇園大橋
西区:祇園大橋→新横川橋→緑大橋
中区:緑大橋→白神社前→鶴見橋
南区:鶴見橋→出島一丁目→元宇品入口→宇品島一周→宇品橋
中区:宇品橋→明治橋→平和記念公園→原爆ドーム→中央公園
「中央公園をスタートして、北は安芸大橋から南は宇品まで、広島市を縦断するコース。35キロじゃけぇ、1時間に5キロ歩いたとして7時間。それに休憩を入れて8時間で完歩の予定じゃ」
「お父さんがウォーキング大会に参加するのは、初めてかいね?」
「4年前、単身赴任で東京・立川市(たちかわし)に行っとる時、第1回多摩川ウォーキングフェスタ(2008年10月4日)に参加して、国立市(くにたちし)の矢川上公園(やがわうえこうえん)から、ガス橋までの30キロを歩いたことがあるのう」
「うちはそんな距離、歩こうとも思わんけど…」
「今日は、太田川リバーウォーク 35キロ、スタート地点の中央公園から新こうへい橋までを紹介しますけぇの」
受付会場
「お父さんは、ゼッケンに「広島再発見」って書いたん?」
「せっかく35キロも歩くんじゃけぇ、ただ歩くだけじゃもったいないよの。あっち見て、こっち見て、「お、ここにこんなのがあったんじゃ」いうて広島を再発見するつもりで参加したんじゃ」
「それにしても、この日は変な天気じゃったねぇ」
「確かに。くもりっとるんじゃが、途中で雨が降ってみたり、晴れてみたりと、変な天気じゃった」
「朝8時に中央公園をスタート。城南通りを西に向かって歩いて、空鞘橋(そらざやばし)手前を右に曲がる。そこからは、旧太田川(おおたがわ)に沿って川上(北)に向かって歩いていくんじゃ」
「川に沿うて歩くのは、寒うなかった?」
「この日は、川上から風が吹いて、寒かったのう」
「ありゃ、ポプラの木が枯れよるよ」
「ほうなんよ。「白紋羽病(しろもんぱびょう)」という病気に罹(かか)っとって、根が腐って、葉が落ちるんじゃそうな」
「どうにかならんのかいね?」
「管理する広島市と市民グループとの間で、植え替えについて話し合うそうじゃ」
↓ポプラについては、こちら↓
「病ポプラ、植え替え検討」中国新聞 2012年10月11日
ポップラ・ペアレンツ・クラブ(PPC)のホームページ
「ここは、護岸工事をしよってんじゃね」
「「堆積土砂の撤去を行っています」と書いてあったのう。広島城のお堀の水は、確かこのあたりから取っとるはずじゃ」
「へぇ」
「広島城の堀の水はもともと、太田川から引いてきとったんよ。ところが、川からの取水をやめて「閉鎖性水域」となってからは水質が悪化して、堀の魚が大量に死ぬということもあったんじゃの」
「そんなこともあったねぇ」
「そこで、平成になって、堀を浄化する「堀川浄化事業」 がすすめられて、今も太田川から水を引いてきとるんじゃ」
↓広島城のお堀の水については、こちら↓
「広島城堀川浄化事業」社団法人 中国建設弘済会
「右手に、基町(もとまち)の高層アパートが見えるね」
「このあたりには広島第二陸軍病院跡もあるんじゃ」
「そうか。明治から戦争が終わるまで、このあたりには陸軍の施設があったんよね」
「ほうじゃの。護国神社があるあたりは、中国軍管区司令部。県庁があるあたりは、西練兵場(にしれんぺいじょう)。ほいで、スタート地点の中央公園があるあたりは、輜重兵(しちょうへい)補充隊や砲兵補充隊なんかがあったそうじゃ」
「輜重兵? 何するところ??」
「後方支援をするところじゃの」
「後方支援って?」
「戦争するには兵器や弾薬、食糧などが必要じゃろ? それらを前線に運ぶ人たちのことじゃ」
1589年(天正17年)、当時「五ヶ村」などと呼ばれていた地に、毛利輝元(もうり てるもと)が築城を始め、この地を「広島」と命名したといわれています。
以来、広島は城下町として栄えていきました。
広島城の外堀と太田川に囲まれた城郭一帯は、「広島開基の地」であるとのことから、基町と呼ばれるようになりました。
(「基町 姿を変える広島開基の地」広島平和記念資料館)
↓陸軍病院跡についての関連記事は、こちら↓
広島第二陸軍病院跡 広島市中区基町
「うわー。紅葉(こうよう)がきれい」
「おぉ、このあたりでこんな紅葉が見れるとは思わんかったのう」
「三篠橋(みささばし)の下をくぐると、JR山陽本線と山陽新幹線が通る鉄道の専用橋が見えるのう」
「その橋の上を走りよるのは、清盛マリンビュー」
「清盛マリンビューは、宮島の対岸にある宮島口(みやじまぐち)を出発して、広島・呉を経由して三原まで、西へ向かって走るんじゃ」
「ということは、宮島口に向けて移動しよる途中なんじゃろうね」
↓清盛マリンビューについては、こちら↓
「清盛マリンビュー」JRおでかけネット
↓清盛マリンビューについての関連記事は、こちら↓
清盛マリンビュー 運転開始
「北大橋も橋の下を通って、広島ホームテレビの川側にあった石碑がこれ」
「??? なんて書いてあるん?」
「「長寿園(ちょうじゅえん)」と書いてあるんじゃ。このあたりは昔、桜の名所じゃったそうな」
「さっき、紅葉がきれいじゃたところも、春になったら桜が満開になるよね」
かって広島市白島町の太田川沿いにあった桜の名所。
この桜は1910年(明治43)、当時の広島市西白島町、村上長次郎が東京から苗木を購入してこの地に植えたのが始まり。
1916年(大正5)4月に長寿園と名付けられ、市民に開放された。
(「長寿園」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
「白島(はくしま)はその昔、箱島(はこしま)と呼ばれる島じゃったんよ」
「広島城が建てられる前、「五ヶ村」と呼ばれとったころの話じゃの」
「そのころは、このあたりもまだ海じゃったんじゃね」
「白島のほかにも、江波山(えばやま)や江波皿山が江波島、黄金山(おうごんざん)は仁保島(にほじま)、ほいで、比治山が日地島(ひじやま)と呼ばれとったそうじゃ」
↓桜についての関連記事は、こちら↓
花見に行こうや 空鞘橋~新こうへい橋
「ここから少し右に歩くと、京橋川(きょうばしがわ)に架かっている新こうへい橋があって、そこを渡ると東区へ入るんじゃ」
「…というわけで、次回に続く」
「次回は?」
「東区、新こうへい橋から安芸大橋までを紹介する予定じゃ」
「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロのスタート地点・中央公園から新こうへい橋までについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
太田川リバーウォーク 35キロ
その1 中区
中央公園(スタート地点)から新こうへい橋まで
「2012年11月24日(土)、ピースウォークひろしまツーデーに参加してきたで。1日目は太田川リバーウォークの35キロ!」
「どのへんを歩いたん?」
「次のようなコースじゃ」
中区:中央公園→新こうへい橋
東区:新こうへい橋→祇園新道橋下→安芸大橋
安佐南区:安芸大橋→祇園新道橋下→祇園大橋
西区:祇園大橋→新横川橋→緑大橋
中区:緑大橋→白神社前→鶴見橋
南区:鶴見橋→出島一丁目→元宇品入口→宇品島一周→宇品橋
中区:宇品橋→明治橋→平和記念公園→原爆ドーム→中央公園
「中央公園をスタートして、北は安芸大橋から南は宇品まで、広島市を縦断するコース。35キロじゃけぇ、1時間に5キロ歩いたとして7時間。それに休憩を入れて8時間で完歩の予定じゃ」
「お父さんがウォーキング大会に参加するのは、初めてかいね?」
「4年前、単身赴任で東京・立川市(たちかわし)に行っとる時、第1回多摩川ウォーキングフェスタ(2008年10月4日)に参加して、国立市(くにたちし)の矢川上公園(やがわうえこうえん)から、ガス橋までの30キロを歩いたことがあるのう」
「うちはそんな距離、歩こうとも思わんけど…」
「今日は、太田川リバーウォーク 35キロ、スタート地点の中央公園から新こうへい橋までを紹介しますけぇの」
受付会場
「お父さんは、ゼッケンに「広島再発見」って書いたん?」
「せっかく35キロも歩くんじゃけぇ、ただ歩くだけじゃもったいないよの。あっち見て、こっち見て、「お、ここにこんなのがあったんじゃ」いうて広島を再発見するつもりで参加したんじゃ」
「それにしても、この日は変な天気じゃったねぇ」
「確かに。くもりっとるんじゃが、途中で雨が降ってみたり、晴れてみたりと、変な天気じゃった」
「朝8時に中央公園をスタート。城南通りを西に向かって歩いて、空鞘橋(そらざやばし)手前を右に曲がる。そこからは、旧太田川(おおたがわ)に沿って川上(北)に向かって歩いていくんじゃ」
「川に沿うて歩くのは、寒うなかった?」
「この日は、川上から風が吹いて、寒かったのう」
「ありゃ、ポプラの木が枯れよるよ」
「ほうなんよ。「白紋羽病(しろもんぱびょう)」という病気に罹(かか)っとって、根が腐って、葉が落ちるんじゃそうな」
「どうにかならんのかいね?」
「管理する広島市と市民グループとの間で、植え替えについて話し合うそうじゃ」
↓ポプラについては、こちら↓
「病ポプラ、植え替え検討」中国新聞 2012年10月11日
ポップラ・ペアレンツ・クラブ(PPC)のホームページ
「ここは、護岸工事をしよってんじゃね」
「「堆積土砂の撤去を行っています」と書いてあったのう。広島城のお堀の水は、確かこのあたりから取っとるはずじゃ」
「へぇ」
「広島城の堀の水はもともと、太田川から引いてきとったんよ。ところが、川からの取水をやめて「閉鎖性水域」となってからは水質が悪化して、堀の魚が大量に死ぬということもあったんじゃの」
「そんなこともあったねぇ」
「そこで、平成になって、堀を浄化する「堀川浄化事業」 がすすめられて、今も太田川から水を引いてきとるんじゃ」
↓広島城のお堀の水については、こちら↓
「広島城堀川浄化事業」社団法人 中国建設弘済会
「右手に、基町(もとまち)の高層アパートが見えるね」
「このあたりには広島第二陸軍病院跡もあるんじゃ」
「そうか。明治から戦争が終わるまで、このあたりには陸軍の施設があったんよね」
「ほうじゃの。護国神社があるあたりは、中国軍管区司令部。県庁があるあたりは、西練兵場(にしれんぺいじょう)。ほいで、スタート地点の中央公園があるあたりは、輜重兵(しちょうへい)補充隊や砲兵補充隊なんかがあったそうじゃ」
「輜重兵? 何するところ??」
「後方支援をするところじゃの」
「後方支援って?」
「戦争するには兵器や弾薬、食糧などが必要じゃろ? それらを前線に運ぶ人たちのことじゃ」
1589年(天正17年)、当時「五ヶ村」などと呼ばれていた地に、毛利輝元(もうり てるもと)が築城を始め、この地を「広島」と命名したといわれています。
以来、広島は城下町として栄えていきました。
広島城の外堀と太田川に囲まれた城郭一帯は、「広島開基の地」であるとのことから、基町と呼ばれるようになりました。
(「基町 姿を変える広島開基の地」広島平和記念資料館)
↓陸軍病院跡についての関連記事は、こちら↓
広島第二陸軍病院跡 広島市中区基町
「うわー。紅葉(こうよう)がきれい」
「おぉ、このあたりでこんな紅葉が見れるとは思わんかったのう」
「三篠橋(みささばし)の下をくぐると、JR山陽本線と山陽新幹線が通る鉄道の専用橋が見えるのう」
「その橋の上を走りよるのは、清盛マリンビュー」
「清盛マリンビューは、宮島の対岸にある宮島口(みやじまぐち)を出発して、広島・呉を経由して三原まで、西へ向かって走るんじゃ」
「ということは、宮島口に向けて移動しよる途中なんじゃろうね」
↓清盛マリンビューについては、こちら↓
「清盛マリンビュー」JRおでかけネット
↓清盛マリンビューについての関連記事は、こちら↓
清盛マリンビュー 運転開始
「北大橋も橋の下を通って、広島ホームテレビの川側にあった石碑がこれ」
「??? なんて書いてあるん?」
「「長寿園(ちょうじゅえん)」と書いてあるんじゃ。このあたりは昔、桜の名所じゃったそうな」
「さっき、紅葉がきれいじゃたところも、春になったら桜が満開になるよね」
かって広島市白島町の太田川沿いにあった桜の名所。
この桜は1910年(明治43)、当時の広島市西白島町、村上長次郎が東京から苗木を購入してこの地に植えたのが始まり。
1916年(大正5)4月に長寿園と名付けられ、市民に開放された。
(「長寿園」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
「白島(はくしま)はその昔、箱島(はこしま)と呼ばれる島じゃったんよ」
「広島城が建てられる前、「五ヶ村」と呼ばれとったころの話じゃの」
「そのころは、このあたりもまだ海じゃったんじゃね」
「白島のほかにも、江波山(えばやま)や江波皿山が江波島、黄金山(おうごんざん)は仁保島(にほじま)、ほいで、比治山が日地島(ひじやま)と呼ばれとったそうじゃ」
↓桜についての関連記事は、こちら↓
花見に行こうや 空鞘橋~新こうへい橋
「ここから少し右に歩くと、京橋川(きょうばしがわ)に架かっている新こうへい橋があって、そこを渡ると東区へ入るんじゃ」
「…というわけで、次回に続く」
「次回は?」
「東区、新こうへい橋から安芸大橋までを紹介する予定じゃ」
「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロのスタート地点・中央公園から新こうへい橋までについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」