1日目
太田川リバーウォーク 35キロ
その3 安佐南区
安芸大橋から祇園大橋まで
「11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク(35キロ)。前回は、東区 新こうへい橋から安芸大橋(あきおおはし)までを紹介したが」
「3回目の今日は、安佐南区の安芸大橋から祇園新道(ぎおんしんどう)を経由して祇園大橋(ぎおんおおはし)まで」
「太田川に架かる安芸大橋を渡って、東区の戸坂千足(へさかせんぞく)から安佐南区の東原(ひがしはら)へ行くんじゃ」
「安芸大橋を渡ってまっすぐ進んで、東原2丁目交差点を左折するんじゃが、ここが今日のコースで北の端にあたるんじゃの」
「あとは南へ南へと歩いて行くんじゃね」
「なに、この車?」
「フレーベル館と書いてあるじゃろ?」
「フレーベル館?? そうか。フレーベル館といえば、アンパンマンじゃね」
「正解。ここをまっすぐに進んで、セブンイレブン広島東原1丁目店前が第1チェックポイントになるんじゃ」
↓フレーベル館については、こちら↓
フレーベル館
「チェックポイントを過ぎて、古川(ふるかわ)に突き当たったところで、平成橋を渡らずに左に曲がると、古川水鳥緑地に出るんじゃ」
「おー、水鳥がおるねぇ」
「大正橋を渡ったところで左に曲がって、古川に沿って歩く。ここで、町名は東原から西原(にしはら)に変わるんじゃの」
「これは?」
「よー分からんが、何かのモニュメントじゃないんかの? 祇園東中学校を過ぎたあたりの公園にあったんじゃ」
「ここは、古川(手前)と太田川(奥)が合流するあたりじゃの」
「ススキがよぉけ(=たくさん)生えとるね」
「祇園新橋(ぎおんしんばし)の手前からは、ススキを見ながら土手の下を歩いたんじゃ」
「川向こうに、牛田新町(うしたしんまち)にある比治山(ひじやま)大学が見えた」
「娘がオープンキャンパスに行くときに、ついて行ったね」
「高台にあるけぇ、眺めはえかったのう」
↓比治山大学については、こちら↓
比治山大学
「大芝水門のところまで戻ってきたんじゃね」
「広島市内には6つの川が流れとるのは知っとるよのう」
「西から東へ
太田川放水路(おおたがわほうすいろ)
天満川(てんまがわ)
本川(ほんかわ)
元安川(もとやすがわ)
京橋川(きょうばしがわ)
猿猴川(えんこうがわ)
の6つ」
「この大芝水門のところで、太田川放水路とそのほかの5つの川に分けられとるんじゃ」
「太田川放水路以外の5つの川の元になる太田川が、大芝水門を通っとるんよね」
「太田川放水路が流れとるのが、祇園水門(ぎおんすいもん)。このあたりで、町名は西原から長束(ながつか)に変わっとるんじゃ」
↓大芝水門については、こちら↓
「祇園・大芝水門 」国土交通省 中国地方整備局
祇園水門
「祇園大橋が見えてきたよ」
「このあたりも、ススキがよぉけ生えとったのう」
「なに、これ?」
「祇園大橋の真ん中あたり、安佐南区と西区との境に、大きな字で「祇園大橋」と書いてあったんじゃ」
中世安芸国守護、武田氏の居城であった武田山(410m)の銀山(かなやま)城の城下町として栄え、武田氏が京都の祇園神社をしのんで地名としたといわれる。
当時の太田川は今の安川の流路を流れていて、海船が太田川をさかのぼり祇園で川船に積み換える港として利用され市場町でもあった。
(「祇園」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
「ちょっと説明しとくと、江戸時代以前の太田川は、今の安佐南区役所の東側を流れとる安川のあたりを流れとったそうじゃ。ほいで、江戸時代までは今の大芝水門あたりまでが海じゃったんよ」
「へぇ」
「武田山のふもとまで海船がのぼってきて、このあたりで荷物を川船に積み換えて、各地に運びよったらしいんよ。ほいじゃけぇ、武田山のふもとにある祇園は栄えとったそうじゃ」
「むかしの広島って、そんなじゃったん」
「広島城が築城され、江戸時代に入ってからは、もっと下流、大雁木のある楠木(くすのき)や、今の平和公園がある中島(なかじま)あたりが栄えたそうじゃがの」
↓武田山については、こちら↓
「武田山へ登ろう!」広島市
「太田川放水路に架かる祇園大橋を渡ると、いよいよ西区じゃね」
「次回は西区、祇園大橋から緑大橋(みどりおおはし)までを紹介する予定じゃ」
【メモ】
祇園大橋通過時間/9時55分ころ
(スタートから約1時間55分)
歩数/約12,400歩
歩いた距離/約9.6キロ
(注:距離は歩数計に示されたもので、公式のものではありません)
「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロ、安佐南区の安芸大橋から祇園大橋までについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
太田川リバーウォーク 35キロ
その3 安佐南区
安芸大橋から祇園大橋まで
「11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク(35キロ)。前回は、東区 新こうへい橋から安芸大橋(あきおおはし)までを紹介したが」
「3回目の今日は、安佐南区の安芸大橋から祇園新道(ぎおんしんどう)を経由して祇園大橋(ぎおんおおはし)まで」
「太田川に架かる安芸大橋を渡って、東区の戸坂千足(へさかせんぞく)から安佐南区の東原(ひがしはら)へ行くんじゃ」
「安芸大橋を渡ってまっすぐ進んで、東原2丁目交差点を左折するんじゃが、ここが今日のコースで北の端にあたるんじゃの」
「あとは南へ南へと歩いて行くんじゃね」
「なに、この車?」
「フレーベル館と書いてあるじゃろ?」
「フレーベル館?? そうか。フレーベル館といえば、アンパンマンじゃね」
「正解。ここをまっすぐに進んで、セブンイレブン広島東原1丁目店前が第1チェックポイントになるんじゃ」
↓フレーベル館については、こちら↓
フレーベル館
「チェックポイントを過ぎて、古川(ふるかわ)に突き当たったところで、平成橋を渡らずに左に曲がると、古川水鳥緑地に出るんじゃ」
「おー、水鳥がおるねぇ」
「大正橋を渡ったところで左に曲がって、古川に沿って歩く。ここで、町名は東原から西原(にしはら)に変わるんじゃの」
「これは?」
「よー分からんが、何かのモニュメントじゃないんかの? 祇園東中学校を過ぎたあたりの公園にあったんじゃ」
「ここは、古川(手前)と太田川(奥)が合流するあたりじゃの」
「ススキがよぉけ(=たくさん)生えとるね」
「祇園新橋(ぎおんしんばし)の手前からは、ススキを見ながら土手の下を歩いたんじゃ」
「川向こうに、牛田新町(うしたしんまち)にある比治山(ひじやま)大学が見えた」
「娘がオープンキャンパスに行くときに、ついて行ったね」
「高台にあるけぇ、眺めはえかったのう」
↓比治山大学については、こちら↓
比治山大学
「大芝水門のところまで戻ってきたんじゃね」
「広島市内には6つの川が流れとるのは知っとるよのう」
「西から東へ
太田川放水路(おおたがわほうすいろ)
天満川(てんまがわ)
本川(ほんかわ)
元安川(もとやすがわ)
京橋川(きょうばしがわ)
猿猴川(えんこうがわ)
の6つ」
「この大芝水門のところで、太田川放水路とそのほかの5つの川に分けられとるんじゃ」
「太田川放水路以外の5つの川の元になる太田川が、大芝水門を通っとるんよね」
「太田川放水路が流れとるのが、祇園水門(ぎおんすいもん)。このあたりで、町名は西原から長束(ながつか)に変わっとるんじゃ」
↓大芝水門については、こちら↓
「祇園・大芝水門 」国土交通省 中国地方整備局
祇園水門
「祇園大橋が見えてきたよ」
「このあたりも、ススキがよぉけ生えとったのう」
「なに、これ?」
「祇園大橋の真ん中あたり、安佐南区と西区との境に、大きな字で「祇園大橋」と書いてあったんじゃ」
中世安芸国守護、武田氏の居城であった武田山(410m)の銀山(かなやま)城の城下町として栄え、武田氏が京都の祇園神社をしのんで地名としたといわれる。
当時の太田川は今の安川の流路を流れていて、海船が太田川をさかのぼり祇園で川船に積み換える港として利用され市場町でもあった。
(「祇園」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
「ちょっと説明しとくと、江戸時代以前の太田川は、今の安佐南区役所の東側を流れとる安川のあたりを流れとったそうじゃ。ほいで、江戸時代までは今の大芝水門あたりまでが海じゃったんよ」
「へぇ」
「武田山のふもとまで海船がのぼってきて、このあたりで荷物を川船に積み換えて、各地に運びよったらしいんよ。ほいじゃけぇ、武田山のふもとにある祇園は栄えとったそうじゃ」
「むかしの広島って、そんなじゃったん」
「広島城が築城され、江戸時代に入ってからは、もっと下流、大雁木のある楠木(くすのき)や、今の平和公園がある中島(なかじま)あたりが栄えたそうじゃがの」
↓武田山については、こちら↓
「武田山へ登ろう!」広島市
「太田川放水路に架かる祇園大橋を渡ると、いよいよ西区じゃね」
「次回は西区、祇園大橋から緑大橋(みどりおおはし)までを紹介する予定じゃ」
【メモ】
祇園大橋通過時間/9時55分ころ
(スタートから約1時間55分)
歩数/約12,400歩
歩いた距離/約9.6キロ
(注:距離は歩数計に示されたもので、公式のものではありません)
「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロ、安佐南区の安芸大橋から祇園大橋までについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」