通でがんす

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ピースウォークひろしまツーデー(その7) 平和公園から平和大橋

2012年12月20日 | 見て歩き
1日目
太田川リバーウォーク 35キロ

その7 中区
平和公園から平和大橋まで






「11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク(35キロ)。前回は、中区 西平和大橋(にしへいわおおはし)から平和公園までを紹介したが」

「7回目の今日は、中区、平和公園から平和大橋まで」

「平和公園の近くには、戦争や原爆に関係する碑がたくさんあるんよね」






平和記念ポスト

「この像は広島県出身の彫刻家・円鍔勝三(えんつば かつぞう)の作で、講和条約が結ばれた1952年(昭和27年)、広島市で開催された第4回郵便友の会全国大会を機に建立されたんじゃ」

「円鍔さんといえば、前回紹介した「若葉」も作られとってじゃね」

「この像は、最初からここに建てられたわけじゃないんじゃ」

「どこにあったん?」

「どこにあったと思う?」

「郵便の大会じゃけぇ、郵便局?」

「その通り! 広島駅前にある当時の広島中央郵便局、今の広島東郵便局の前に飾ってあったんじゃ」



↓広島東郵便局については、こちら↓

「広島東郵便局」日本郵政






ノーマン・カズンズ氏記念碑

「この像は、比治山大学の教授じゃった吉田正浪(よしだ まさなみ)の作で、2003年(平成15年)に建立されたんじゃ」

「ノーマン・カズンズといえば、精神養子を提唱された方じゃね」

「広島に何度も足を運ばれて、精神養子との交流を深められたんじゃ」



米国ニューヨークの文芸雑誌『土曜文学評論』の編集長として、1949(昭和24)年8月に広島を訪れ、ルポ「4年後のヒロシマ」を発表しました。
そこには、原爆や戦争で肉親を失った子どもたちを育成する「精神養子」の考えも記されていました。
これは、善意のアメリカ人が子どもたちと法的でない養子縁組を結び、養育費を送ることで子どもの成長を支えるというもので、約500人の子どもが精神養子となり、総額2,000万円の援助が行われました。

(「ノーマン・カズンズ氏記念碑」広島平和記念資料館)







マルセル・ジュノー博士記念碑

「この像は、比治山女子短大の教授じゃった芥川 永(あくたがわ ひさし)の作で、1979年(昭和54年)に建立されたんじゃ」

「芥川さんといえば、前回紹介した「教師と子どもの碑」も作られとってじゃね」

「ジュノー博士は第二次世界大戦中、ドイツやポーランドなどヨーロッパ各地を回り、人道支援に尽力されとったんじゃ。広島に届けた約15トンの医薬品は、1万人の被災者を1ヶ月治療できる量に相当したんじゃそうな」

「2010年(平成22年)には、博士の生涯を描いたアニメ映画『ジュノー』が作られて、各地で上映されとるんよ」



スイスの医学者。
1945(昭和20)年8月9日、赤十字国際委員会の駐日主席代表として来日した博士の当初の目的は、連合軍捕虜などの動静を調査することでした。

しかし、原爆被害の惨状を知ると直ちに連合国最高司令官総司令部へ救援を要請し、調達した医薬品を持って9月8日に広島入りしました。
現地では、被害調査に当たるとともに自らも治療に携わりました。

(「マルセル・ジュノー博士記念碑」広島平和記念資料館)










「ようやく平和大橋にたどり着いたね」

「緑大橋から西平和大橋、平和公園を通って平和大橋までに3回もかかってしもうた。距離にすると、1キロメートル足らずなのにのう」

「説明を端折(はしょ)ればええのに」

「これでも説明を簡単にしとるつもりなんじゃがのう…。えーっと、平和大橋の話じゃった。平和大橋は、元安川(もとやすがわ)に架かる橋で、ここには「新橋」と呼ばれる橋が架かっとったんじゃが、原爆の爆風で橋は落ちてしもうたんじゃ」

「で、平和大橋が1952年(昭和27年)に架けられたんじゃけど、平和大橋といえば、この欄干が特徴じゃね」

「アメリカの彫刻家・イサム・ノグチがデザインされたんじゃが、ほかの橋じゃ絶対に見られんような、奇抜なデザインなんじゃ。「イモ虫みたいで子どもが川に落ちて危ない」などと反対意見が出されたんじゃ。欄干は、これでも初めの設計よりは20センチ高くしてあるんじゃがの」



1949(昭和24)年に制定された広島平和記念都市建設法により、平和記念公園の南側には、市の中心部を東西に貫き、中央に車道、両側に緑地帯と歩道のある幅員100mの道路が建設されました。
1951(昭和26)年11月、市民公募により平和大通りと名づけられ、供木運動で緑地帯の植樹も進みました。

この平和大通りの平和記念公園への導入路に架けられたのが、元安川に架かる平和大橋と本川にかかる西平和大橋です。

(「37 平和大橋・西平和大橋」広島平和祈念資料館)






「次回は中区 平和大橋から鶴見橋(つるみばし)までを紹介する予定じゃ」





【メモ】

西平和大橋通過時間/11時40分ころ
(スタートから約3時間40分)





【参考文献】

高木茂登『ひろしま 水と緑と彫刻』(ひろしま文庫 1984年)






「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロ、中区の平和公園から平和大橋までについて話をさせてもらいました」

「ほいじゃあ、またの」

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