1日目
太田川リバーウォーク 35キロ
その9 南区
鶴見橋から御幸橋まで
「11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク(35キロ)。前回は、中区の平和大橋から鶴見橋(つるみばし)までを紹介したが」
「9回目の今日は、鶴見橋から皆実町(みなみまち)を通って、御幸橋(みゆきばし)まで」
「今までのルートを振り返ってみると…。
中央公園(中区)を出発して、太田川(おおたがわ)に沿って新こうへい橋(中区→東区)を通って、安芸大橋(あきおおはし)まで北に向かって歩く。
安芸大橋で折り返して(東区→安佐南区)南に向かって歩き、祇園大橋(ぎおんおおはし)まで戻ってくる。(安佐南区→西区)
新横川橋(しんよこがわばし)で太田川から離れて、天満川(てんまがわ)に沿って、南に向かって歩く。
緑大橋(みどりおおはし)からは平和大通り(通称:100メートル道路)に沿って東に向かって歩く。
西平和大橋、平和大橋を通って、ようやく鶴見橋でたどり着いた。
…というところじゃの」
「朝8時に中央公園を出発して、鶴見橋に着いたのが12時5分くらいじゃけぇ、すでに4時間歩いとることになるんじゃね」
「京橋川(きょうばしがわ)に架かる鶴見橋を越えると、中区の富士見町(ふじみちょう)から南区の比治山本町(ひじやまほんまち)に入るんじゃ。富士見町という町名は、文字通り、富士がきれいに見えるところからつけられた名前なんじゃの」
「富士って、ここからじゃ富士山は見えんけど?」
「似島(にのしま)があるじゃろ?」
「広島湾にある島じゃね」
「その島の北側に安芸小富士(あきのこふじ)と呼ばれる山があるんじゃ。その小富士がこのあたりから見えたんじゃそうな」
「へぇ、そうなんじゃ。鶴見橋をまっすぐに進んで比治山トンネルを抜けると、娘たちが通ったみみょう幼稚園があるんよ」
「わしが通っとった安芸幼稚園(あきようちえん)も、比治山のふもとにあるぞ」
地名の由来は、ここに比治何某という者が居住していたという説と、この山形が横に長く、肱(ひじ)を横たえたようなので比治山と呼んだという説がある。
(「比治山」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
「今回、写真を撮り忘れたが、橋を渡った東詰北側には、被爆樹木の大きなシダレヤナギがあるんじゃの。今回のコースは、橋を渡って右に曲がり、右手に京橋川(きょうばしがわ)を、左手に広島電鉄皆実線(比治山線)を見ながら、南に向かって歩くんじゃ」
↓みみょう幼稚園については、こちら↓
みみょう幼稚園
↓安芸幼稚園については、こちら↓
安芸幼稚園
↓鶴見橋のシダレヤナギについては、こちら↓
「シダレヤナギ(鶴見橋東詰)(被爆樹木)」ひろしまナビゲーター
「ん? これはなに?」
「比治山橋の東詰北側に、こんな石標が立っとって、次のように刻まれとるんじゃ」
石標 電燈
寄附者
土手町 坂本常蔵
廣島電氣株式會社
大正十年十二月一日
「ここで、わしゃ失敗をしてしもうたんよ」
「なにが?」
「比治山橋から「電車通りに沿って歩く」と思い込んどったんじゃが、本当は京橋川に沿って歩かんといけんかったんじゃ」
「ありゃま」
「地図を確認せんかったわしのミスじゃ。というわけで、ここから御幸橋(みゆきばし)までは、実際とは違うコースを紹介しとりますけぇの」
「広島FM放送は今年(2012年)の12月5日、開局30周年を迎えたんよ」
↓広島FM放送については、こちら↓
HFM Web Site
「南区役所前交差点から、町名は比治山本町から皆実町(みなみまち)に変わるんじゃ」
「広島FM放送があるのも、皆実町じゃね」
「こうの史代(ふみよ)の『夕凪の街 桜の国』の主人公・平野皆実(ひらの みなみ)の名前は、この町の名前からとられとるんじゃの」
町名は江戸時代初期に比治山の南に造成された埋め立て地のうち「仁保島西新開」が、1821年(文政4年)、村民の願い出により「皆実新開」と改称したことに由来する。
「南」(みなみ)の嘉名によるものである。
(「皆実町(広島市)」ウィキペディア)
「嘉名(かめい)は、縁起のいい名前のこと。縁起がいいからということで、「南」でなく「皆実」にしちゃったんじゃろうの」
「おぉ、巨大なガスタンクじゃね」
「ここには広島ガスの本社があるんじゃ。わしゃ、小学2年まで皆実町六丁目電停の近くに住んどったけぇ、家からこのガスタンクが見えよったんよ。ガスが爆発するもんじゃと聞いてからは、「いつか爆発するんじゃなかろうか」なんて、いらん心配をしよったもんじゃ」
「あはは…」
「原爆が投下されたときは、ガスタンクに階段の影が焼きついたこともあるんじゃ」
瓦斯会社ガスタンクの陰影(爆心地から2,000m)
京橋川沿いの皆実町の広島瓦斯工場のガスホルダー。
熱線で表面のコールタールが溶け階段やバルブホイールの影が残った。
(「原爆十景」ウィキペディア)
「影といえば、銀行の入口の石段に、原爆犠牲者の影が焼きついたというのがあったね」
「「死の人影」というやつじゃの。爆心地から約260メートルにあった住友銀行広島支店(現在:中区紙屋町1丁目)入り口の石段にあったんじゃ。1971年に改築されるときに原爆資料館に寄贈されて、今は「人影の石」として展示されとるんじゃ」
↓広島ガスについては、こちら↓
広島ガス株式会社
↓人影の石については、こちら↓
「人影の石」広島平和祈念資料館
「ゆめタウン広島の前を通って、皆実町六丁目電停を右に曲がる。猫田記念体育館を通ると御幸橋(みゆきばし)に着くんじゃ」
「御幸って、どういう意味?」
「天皇が外出することを「行幸」(ぎょうこう、みゆき)というんじゃが、「御幸」(みゆき)ともいうんじゃ」
「なるほど。うちは、なんで女性の名前がついとるんじゃろうかと思うとったんよ」
「さっき話をしたように、小学2年まで、わしゃこの近くに住んどって、宇品の花火大会もここから見よったんじゃ」
1885年(明治18年)、宇品築港事業にともない架橋された。
140間(約255m)規模の橋で当時広島でもっとも長い木橋であったことから「長橋」(ながはし)と呼ばれ、「川口橋」という別称もあった。
同年8月、山陽道行幸中の明治天皇が広島を訪問し、この橋を渡ったことから「御幸橋」と改称された。
(「御幸橋(広島市)」ウィキペディア)
↓猫田記念体育館については、こちら↓
「猫田記念体育館」男子バレーボールチーム JTサンダーズ
「御幸橋の手前で左に曲がって、ここで本来のコースに戻ったんじゃ」
「今回は、コースから外れてしもうた話じゃったね」
「次回は南区、御幸橋から暁橋(あかつきばし)まで を紹介する予定じゃ」
【メモ】
暁橋通過時間/12時25分ころ
(スタートから約4時間25分)
「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロ、鶴見橋から御幸橋までについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」
太田川リバーウォーク 35キロ
その9 南区
鶴見橋から御幸橋まで
「11月24日(土)に行われたピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク(35キロ)。前回は、中区の平和大橋から鶴見橋(つるみばし)までを紹介したが」
「9回目の今日は、鶴見橋から皆実町(みなみまち)を通って、御幸橋(みゆきばし)まで」
「今までのルートを振り返ってみると…。
中央公園(中区)を出発して、太田川(おおたがわ)に沿って新こうへい橋(中区→東区)を通って、安芸大橋(あきおおはし)まで北に向かって歩く。
安芸大橋で折り返して(東区→安佐南区)南に向かって歩き、祇園大橋(ぎおんおおはし)まで戻ってくる。(安佐南区→西区)
新横川橋(しんよこがわばし)で太田川から離れて、天満川(てんまがわ)に沿って、南に向かって歩く。
緑大橋(みどりおおはし)からは平和大通り(通称:100メートル道路)に沿って東に向かって歩く。
西平和大橋、平和大橋を通って、ようやく鶴見橋でたどり着いた。
…というところじゃの」
「朝8時に中央公園を出発して、鶴見橋に着いたのが12時5分くらいじゃけぇ、すでに4時間歩いとることになるんじゃね」
「京橋川(きょうばしがわ)に架かる鶴見橋を越えると、中区の富士見町(ふじみちょう)から南区の比治山本町(ひじやまほんまち)に入るんじゃ。富士見町という町名は、文字通り、富士がきれいに見えるところからつけられた名前なんじゃの」
「富士って、ここからじゃ富士山は見えんけど?」
「似島(にのしま)があるじゃろ?」
「広島湾にある島じゃね」
「その島の北側に安芸小富士(あきのこふじ)と呼ばれる山があるんじゃ。その小富士がこのあたりから見えたんじゃそうな」
「へぇ、そうなんじゃ。鶴見橋をまっすぐに進んで比治山トンネルを抜けると、娘たちが通ったみみょう幼稚園があるんよ」
「わしが通っとった安芸幼稚園(あきようちえん)も、比治山のふもとにあるぞ」
地名の由来は、ここに比治何某という者が居住していたという説と、この山形が横に長く、肱(ひじ)を横たえたようなので比治山と呼んだという説がある。
(「比治山」『広島県大百科事典』中国新聞社 1982年)
「今回、写真を撮り忘れたが、橋を渡った東詰北側には、被爆樹木の大きなシダレヤナギがあるんじゃの。今回のコースは、橋を渡って右に曲がり、右手に京橋川(きょうばしがわ)を、左手に広島電鉄皆実線(比治山線)を見ながら、南に向かって歩くんじゃ」
↓みみょう幼稚園については、こちら↓
みみょう幼稚園
↓安芸幼稚園については、こちら↓
安芸幼稚園
↓鶴見橋のシダレヤナギについては、こちら↓
「シダレヤナギ(鶴見橋東詰)(被爆樹木)」ひろしまナビゲーター
「ん? これはなに?」
「比治山橋の東詰北側に、こんな石標が立っとって、次のように刻まれとるんじゃ」
石標 電燈
寄附者
土手町 坂本常蔵
廣島電氣株式會社
大正十年十二月一日
「ここで、わしゃ失敗をしてしもうたんよ」
「なにが?」
「比治山橋から「電車通りに沿って歩く」と思い込んどったんじゃが、本当は京橋川に沿って歩かんといけんかったんじゃ」
「ありゃま」
「地図を確認せんかったわしのミスじゃ。というわけで、ここから御幸橋(みゆきばし)までは、実際とは違うコースを紹介しとりますけぇの」
「広島FM放送は今年(2012年)の12月5日、開局30周年を迎えたんよ」
↓広島FM放送については、こちら↓
HFM Web Site
「南区役所前交差点から、町名は比治山本町から皆実町(みなみまち)に変わるんじゃ」
「広島FM放送があるのも、皆実町じゃね」
「こうの史代(ふみよ)の『夕凪の街 桜の国』の主人公・平野皆実(ひらの みなみ)の名前は、この町の名前からとられとるんじゃの」
町名は江戸時代初期に比治山の南に造成された埋め立て地のうち「仁保島西新開」が、1821年(文政4年)、村民の願い出により「皆実新開」と改称したことに由来する。
「南」(みなみ)の嘉名によるものである。
(「皆実町(広島市)」ウィキペディア)
「嘉名(かめい)は、縁起のいい名前のこと。縁起がいいからということで、「南」でなく「皆実」にしちゃったんじゃろうの」
「おぉ、巨大なガスタンクじゃね」
「ここには広島ガスの本社があるんじゃ。わしゃ、小学2年まで皆実町六丁目電停の近くに住んどったけぇ、家からこのガスタンクが見えよったんよ。ガスが爆発するもんじゃと聞いてからは、「いつか爆発するんじゃなかろうか」なんて、いらん心配をしよったもんじゃ」
「あはは…」
「原爆が投下されたときは、ガスタンクに階段の影が焼きついたこともあるんじゃ」
瓦斯会社ガスタンクの陰影(爆心地から2,000m)
京橋川沿いの皆実町の広島瓦斯工場のガスホルダー。
熱線で表面のコールタールが溶け階段やバルブホイールの影が残った。
(「原爆十景」ウィキペディア)
「影といえば、銀行の入口の石段に、原爆犠牲者の影が焼きついたというのがあったね」
「「死の人影」というやつじゃの。爆心地から約260メートルにあった住友銀行広島支店(現在:中区紙屋町1丁目)入り口の石段にあったんじゃ。1971年に改築されるときに原爆資料館に寄贈されて、今は「人影の石」として展示されとるんじゃ」
↓広島ガスについては、こちら↓
広島ガス株式会社
↓人影の石については、こちら↓
「人影の石」広島平和祈念資料館
「ゆめタウン広島の前を通って、皆実町六丁目電停を右に曲がる。猫田記念体育館を通ると御幸橋(みゆきばし)に着くんじゃ」
「御幸って、どういう意味?」
「天皇が外出することを「行幸」(ぎょうこう、みゆき)というんじゃが、「御幸」(みゆき)ともいうんじゃ」
「なるほど。うちは、なんで女性の名前がついとるんじゃろうかと思うとったんよ」
「さっき話をしたように、小学2年まで、わしゃこの近くに住んどって、宇品の花火大会もここから見よったんじゃ」
1885年(明治18年)、宇品築港事業にともない架橋された。
140間(約255m)規模の橋で当時広島でもっとも長い木橋であったことから「長橋」(ながはし)と呼ばれ、「川口橋」という別称もあった。
同年8月、山陽道行幸中の明治天皇が広島を訪問し、この橋を渡ったことから「御幸橋」と改称された。
(「御幸橋(広島市)」ウィキペディア)
↓猫田記念体育館については、こちら↓
「猫田記念体育館」男子バレーボールチーム JTサンダーズ
「御幸橋の手前で左に曲がって、ここで本来のコースに戻ったんじゃ」
「今回は、コースから外れてしもうた話じゃったね」
「次回は南区、御幸橋から暁橋(あかつきばし)まで を紹介する予定じゃ」
【メモ】
暁橋通過時間/12時25分ころ
(スタートから約4時間25分)
「今日は、ピースウォークひろしまツーデーの1日目、太田川リバーウォーク 35キロ、鶴見橋から御幸橋までについて話をさせてもらいました」
「ほいじゃあ、またの」