味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

世主、誠に能く六合の内、擧世の人をして、

2019-12-07 15:05:36 | ブログ
第3978号 01.12.08(日)

世主、誠に能く六合の内、擧世の人をして、咸(ことごと)く方厚の情を懐きて、浅薄の悪無く、各々公正の心を奉じて、姦険の慮(おもんばかり)無からしめば、則ち醇釅(じゅんげん)の俗、復(ま)た玆に見(あら)はれん、と。後王、未だ古に遵ひて専ら仁義を尚ぶ能はずと雖も、當に刑を慎み典を卹(うれ)へ、哀敬して私無かるべし。故に管子に曰く、聖君は法に任じて智に任ぜず、公に任じて私に任ぜず。故に天下に王とし、国家を理む、と。『貞観政要』428

世の君主がもしも天下のすべての人民にまじめでまごころに厚く、軽薄な悪い心が無く、めいめいが公正で私のない心を持ち、心がねじけた悪い考えが無いようにさせることができたならば、人情に厚い風俗を現出させることができるに違いない、とあります。後世の王は、たとい古昔の聖王の道に従い守り、専ら仁義だけを貴ぶことができなくとも、刑罰を慎み、人民に情けをかけ、慎み深くして私心がないようにすべきであります。それゆえ、管子に『聖明の君主は、善き法に従って小智に從わず、公道を守って私心を用いない。それゆえに、天下に王となって国家を治める』と言っています。429

 【コメント】聖明の君主ならずとも、凡人の我々も、善き法に従って小智に從わず、公道を守って私心を用いない全うな人間になりたいものです。

 善き法に従わず、小智でもって生きているのは総理夫婦ではないかと思います。権力でもって役人を動かし、したい放題をしている安倍夫妻には国民の鉄槌が下されることでしょう。

 とにかくやり方が汚いという人々が多いです。それを助けている官房長官のコメントもしどろもどろしているようです。

 今の野党が結束しても太刀打ちできないのですから、政権側はこういう時こそ、人々の味方にならなければならないのです。

 人間の心の美しさ・豊かさを学んで欲しいものです。仕事はたいがいにせよ、金だけ寄越せという野党の諸君には国民はついてこないと思います。

---------------
『善の研究』第379回

  第十一章 善行為の動機(善の形式)


 上来論じた所を総括していえば、善とは自己の内面的要求を満足する者をいうので、自己の最大なる要求とは意識の根本的統一力即ち人格の要求であるから、これを満足する事即ち人格の実現というのが我々に取りて絶対的善である。而してこの人格の要求とは意識の統一力であると共に実在の根底における無限なる統一力の発現である、我々の人格を実現するというはこの力に合一するの謂である。善はかくの如き者であるとすれば、これより善行為とは如何なる行為であるかを定めることができると思う。
------------------
 健康や運命に関係なく、いつも元気でいられるよう自らを鼓舞し、学問と空手道の探究に精励したいものです。
-----------------