味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

故に潜夫論に曰く、人君の理は、

2019-12-02 16:16:18 | ブログ
3973号 01.12.03(火)

故に潜夫論に曰く、人君の理は、道徳教化よりも大なるは莫きなり。民に性有り、情有り、化有り、俗有り。情性は心なり、本なり。俗化は行なり、末なり。是を以て、上君の世を撫する、其の本を先にして其の末を後にし、其の心に順ひてその行を履む。心情荀に正しければ、則ち姦徳、生ずる所無く、邪意、載する所無し。『貞観政要』425

それゆえ、潜夫論に言うには、『人君の政治は、道徳教化より大きなものはない。』民には性あり、情あり、化あり、俗がある。性情は心であり、本である。俗化は行いであり、末である。それゆえ、上古の君が世を治めるときは、その本を先にしてその末を後にし、その心に順ってその行いを履み行う。心情がまことに正しければ、姦悪が生ずる所なく、邪意が居る所がない。425

 【コメント】人々が世に棲息するためには、道徳教化は大事な点であります。どんな優秀であっても人をだますとか、嘘偽りを並べ立て、その場をしのいでも世の人々はその臭いを嗅いでいるのです。

 今日も桜を見る会の件で質問が飛び交ったとのことです。それにしても安倍さんは国民を愚弄しているという人がいますが、そのように思っている人は多いでしょう。

 只今、車を盗むリレーアタックというのが放映されています。この犯罪者に顔がわからないようにモザイクしていますが、こういうワルの顔を隠す必要はないと思います。

 ワルをする人間は世の人々にしらしめなければならないと思います。

-------------
『善の研究』第374回

 然らずして抽象的に考えた単に理性というものは、かつて合理説を評した処に述べたように、何らの内容なき形式的関係を与うるにすぎないのである。この意識の統一力なる者は決して意識の内容を離れて存するのではない、かえって意識内容はこの力に由って成立するものである。勿論意識の内容を個々に分析して考うる時は、この統一力を見出すことはできぬ。187

-----------

然れば則ち仁義は理の本なり。

2019-12-02 09:11:03 | ブログ
第3972号 01.12.02(月)

然れば則ち仁義は理の本なり。刑罰は理の末なり。理を為すの刑罰有るは、猶ほ御を執るの鞭策有るがごときなり。人、皆、化に從へば、刑罰、施す所無し。馬、其の力を盡くせば、則ち鞭策も用ふる所無し。此に由りて之を言へば、刑罰は理を致す可からざること、亦已に明かなり。『貞観政要』424

そうでありますれば、仁義は政治の根本であり、刑罰は政治の末であります。政治を行う上に刑罰があるのは、ちょうど馬を御するのに鞭があるのと同じであります。人民が皆、教化に從えば、刑罰を用いるところがなく、馬がその力を尽くせば、鞭を使う必要がありません。こういう点から申しますれば、刑罰だけによって政治を行うことができないことは、明らかであります。

 【コメント】「仁義は政治の根本」とありますが、一人政治だけでなく、人々が生きて行く上において、仁義は迚も大事だと思います。

 仁義を失っているのが「桜を見る会」だと思います。安倍氏は総理の俺がすることに何が文句があるとかと思っているかも知れませんが、小さなことを大事にして欲しいと思います。

 今回のことで支持率が下がるという人もいますが、20パーセント位に落ちなければ真剣に考えないのではないかと思います。

-------------