味園博之のブログ-文武両道「空手道と南洲翁遺訓」他古典から学ぼう

平成の今蘇る、現代版薩摩の郷中教育 
文武両道 「空手道」と『南洲翁遺訓』を紹介するブログ

是を以て、聖帝・明王、皆、徳化を敦くして

2019-12-06 16:45:27 | ブログ
3977号 01.12.07(土)

是を以て、聖帝・明王、皆、徳化を敦くして、威刑を薄くするなり。徳は、己を脩むる所以なり。威は、人を理むる所以なり。民の生や、由ほ鑠金の爐に在るがごとく、方圓薄厚は、鎔制に随ふのみ。是の故に、世の善悪、俗の薄厚は、皆、君に在り。『貞観政要』428

それゆえに、聖明なる帝王は、皆、徳化の教を念入りにして、刑罰の威を薄くした。徳は自己を修めるものであり、威は人を治めるものである。人民の世に在るのは、溶解した金属が溶鉱炉の中に在るのと同じであり、四角も円も薄くも厚くも、ただ鋳型の形に從うだけである。それであるから、世の善悪も、俗の厚薄も、すべて君主の教化によるものである。428

 【コメント】「世の善悪も、俗の厚薄も、すべて君主の教化」によるものとあるが、日本の君主といえば誰になるのでしょう。少なくとも安倍総理ではないでしょう。

 今朝の新聞広告にある週刊誌の見出しに、「桜を見る会」の主催者は安倍昭江氏と仲良しだというように書いてあります。その会に多額の金を浪費するのは許されないだろう。

 思うに安倍氏は質問に真面に答えないで逃げ回っているという感じがします。これほど卑怯なことはないでありましょう。

 それを取り巻く役人らも同罪と言えるでしょう。少なくとも橋下元大阪市長、小泉元総理らは国民を欺く・愚弄する行為はしないでしょう。

 この非違行為は後々まで語り尽くさなければならないと思います。政権が続けば続くほど、本来はしまらなければならないのです。

 私は慈眼寺団地町内会長に就任するとき、一円の不正もしないと誓って仕事をしたものです。それは鄰の区に住んでいた区長が金の使いこみをしていたと聞いたのも一因としてあります。

 それと、その昔、大根占電話局・線路係長時代も一円の不正もしなかったのでした。当時の愛甲局長が貴方みたいに気違いみたいに仕事をした人を、過去見たことがなかったと言ってくれたものです。そしてあなたは一円の不正もしなかったですよネとも言ってくれました。私の前任が備品を買うと言って20万円飲み食いに使用した事も聞いたものです。

 その前任係長は、定年前に落ちぶれれて、身体をこわし亡くなったのでした。その時、その男には天罰が来たのだと私は思ったのでした。

 そういう事象を踏まえて、天は人間を鋭く観察しているのだな、と思ったものです。ですから、天は自分をどう見ているかと何時も自分を観察しなければならないと思います。

 とにかく人を大事に親切にすること、難儀な仕事は自ら率先して取り組むこと、これは仕事によって自分の体力を造ることにつながるのです。そして不正をしないことも大事なことです。

 そしてそれと同様大事なことは、漢籍を読み続けることも大事であります。学歴のない私は、誰にも負けない位読書をしてきたと思っています。

 ですから私の空手道場では『南洲翁遺訓』を大声で諳んじ暗記させることにしているのです。

 人間の一生を幸せに生きたいと願うならば、人を殴らない事、悪口を言わない事、不親切をしないこと、率先して学問、仕事に励むこと、世の人々に親切にすることです。

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『善の研究』第378回

 而してかつて実在の論に述べたように意識現象が唯一の実在であるとすれば、我々の人格とは直ちに宇宙統一力の発動である。即ち物心の別を打破せる唯一実在が事情に応じ或特殊なる形において現われたものである。
 我々の善とは斯くの如き偉大なる力の実現であるから、その要求は極めて厳粛である。カントも「我々が常に無限の歎美と畏敬とを以て見る者が二つある、一は上にかかる星斗爛漫なる天と、一は心内における道徳的法則である」といった。188

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故に善化の民を養ふは、

2019-12-06 09:34:57 | ブログ
第3976号 01.12.06(金)

故に善化の民を養ふは、猶ほ工の麴豉(きくし)を為(つく)るがごときなり。六合の人は、猶ほ一陰のごときなり。黔首(けんしゅ)の属は、猶ほ豆麥(とうばく)のごときなり。變化云為、將(ひき)ゐる者に在るのみ。良吏に遭へば、則ち忠信を懐きて仁厚を履み、悪吏に遇へば、則ち姦邪を懐きて浅薄を行ふ。忠厚積もれば、則ち太平を致し、浅薄積もれば、則ち危亡を致す。『貞観政要』426

それゆえに、善い教化が人民を養うのは、工人が味噌の類を造るのと同じである。天下の人民は一つの室と同じであり、すべての人民は、豆や麦と同じである。善く変化し言動するのは、それを導く人によるのである。良い役人に会えば、忠信の心をいだき仁厚を行い、悪い役人に会えば、邪悪の心をいだいて軽薄な行いをする。忠信仁厚が積もれば、太平となり、軽薄が積もれば国家が危亡となる。

 【コメント】今日の日本の国は、忠信仁厚が積もっていると思いますが、国会で審議する政治家・役員は国民が納得し難い、虚偽答弁であるという人が多いですが、そのように思われます。

 今日の高裁で6人を殺害したとして一審で死刑宣告されたペルーの男が無期懲役に減刑されたとのことです。弁護団は心神喪失状態であったとして無罪にすべきだとのことです。

 6人もの人を殺害した男が減刑されたとすれば、殺害された遺族はどうにも修まらないものと思われます。そして無罪を主張する弁護団の頭はどうなっているのでしょう。弁護団の人の夫人が殺害された対象であっても無罪を主張するのでしょうか。

 何れにしても悪事をした人には、厳しく対処すべきだという人は多いようです。私も同感です。

 今日は高速道路で他の車両を停車させたところに後方の車が来て死亡させた男の裁判で地裁に戻されたとのこと、こういう男は終身刑にしてもいいでしょう。この男は絶対治らない人間です。

 そして神戸の小学校で同級生に金を持ってこないと友達から外すというようなことを言われ、述べ20万円を持っていったとのことです。思うに金を巻き上げた児童らは、厳しく厳しく指導すべきです。こういう子供たちは精神が腐っていて治らないのです。拷問をしてもいいくらいです。

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『善の研究』第377回

 人格はその人その人に由りて特殊の意味をもった者でなければならぬ。真の意識統一というのは我々を知らずして自然に現われ来る純一無雑の作用であって、知情意の分別なく主客の隔離なく独立自全なる意識本来の状態である。我々の真人格は此の如き時にその全体を現わすのである。故に人格は単に理性にあらず欲望にあらず況や無意識衝動にあらず、恰も天才の神来の如く各人の内より直接に自発的に活動する無限の統一力である。

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