雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

海外移住と文化の交流センター

2018年07月11日 | 兵庫散策
外務省神戸移住斡旋所



移民のための施設として建設され



ここから多くの日本人が
南米へと渡航していった



まるで
学校のような構造の建物



戦時中には
軍の施設としても使用され



戦後は
看護婦の養成機関となった



先に学校のようだと記したが
建物の細部を見ると
建物全体は甲板船の様にも見え



廊下や階段も
船舶を連想させる



まさに
移民ための建物である


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8 コメント

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Unknown (アンジェラおばさん)
2018-07-11 07:53:03
移住契約書には一度出たら日本国は責任を負いません。
以後自己責任となります。
とでも書いてあったのでしょうか。
敗戦後移民は棄民となって苦労した方が多いと聞きました。
その原点がこの事務所だったのですね。
Unknown (sternenlied)
2018-07-11 14:59:20
へえ、こんなところが神戸にあったとは!
やはり港の近くにあるんでしょうか。
和歌山から南米に移住した人が多かったと
何かの本で読んだことがありますが、
神戸からも渡って行った人が多かったのですね。
後に軍の施設とか看護婦の養成機関とか
移り変わって歴史を感じさせますね。
Unknown (j-garden-hirasato)
2018-07-12 06:32:14
「船舶を連想させる」
ほんと、
船内のような雰囲気ですね。
移住を意識したものでしょう。
夢と希望を胸に、
ここから旅立っていったのですね。
そう考えると、
感慨深いです。
Unknown (hal@kyoto)
2018-07-12 23:07:44
これも神戸の写真でしょうか?
そんな神戸の景色ですね。^^;
アンジェラおばさんおはようございます (雪だるま)
2018-07-13 05:27:50
渡航契約にどういう条項があったか
それは知りませんが
かなり無責任だったろう事は想像できますね
移住された先でもかなりの苦労があったと
ものの本で読んだことがあります
sternenliedさんおはようございます (雪だるま)
2018-07-13 05:29:27
ここはおそらく関西地方の移民センターだったでしょうね
和歌山の方々も此処から渡航されたのだと思います
この建物は海沿いではなく
山麓にあります
ここから約2km先が海の立地です
j-gardenさんおはようございます (雪だるま)
2018-07-13 05:30:29
学校のような
でもどこか違う
よくよく解説を読んでみると船内を模している
確かにそんな感じがしました
夢と希望が渡航先の国で打ち破れた
そんな時代の遺産です
halさんおはようございます (雪だるま)
2018-07-13 05:35:50
ここは北野坂から西へ少し歩いた先
北野工房の北側に山麓にあります

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