月日は百代の過客にして
行かふ年も又旅人也
松尾芭蕉はそう書き出して
「おくのほそ道」を綴った
芭蕉がこの旅を始めたのは
元禄2年の3月の事だった
東北から
日本海側を南下し
やがて大垣の地まで
半年に渡る旅であった
芭蕉が大垣の地に至ったのは
旧暦の8月
そろそろ
秋の風景へと移行し始めた頃だったという
約2週間ほど大垣で養生
再び伊勢へ向けての旅へと出立するのだが
その時には
蛤の ふたみにわかれ行く 秋ぞ
と詠んで旅立った
芭蕉は大垣の地を4度踏んでいる
おくのほそ道から遡ること5年前
のざらし紀行の折にも
大垣の俳人
谷木因を訪ねている
谷木因は大垣の豪商
芭蕉との師弟関係が無い人物で
俳人として交友があったらしい
前出の「のざらし紀行」の折にも
わざわざ伊賀から大垣へと足を運んでいる
芭蕉も歩いた
大垣の町
水門川沿いに
桜の季節の頃
ふらりと歩いてみた
行かふ年も又旅人也
松尾芭蕉はそう書き出して
「おくのほそ道」を綴った
芭蕉がこの旅を始めたのは
元禄2年の3月の事だった
東北から
日本海側を南下し
やがて大垣の地まで
半年に渡る旅であった
芭蕉が大垣の地に至ったのは
旧暦の8月
そろそろ
秋の風景へと移行し始めた頃だったという
約2週間ほど大垣で養生
再び伊勢へ向けての旅へと出立するのだが
その時には
蛤の ふたみにわかれ行く 秋ぞ
と詠んで旅立った
芭蕉は大垣の地を4度踏んでいる
おくのほそ道から遡ること5年前
のざらし紀行の折にも
大垣の俳人
谷木因を訪ねている
谷木因は大垣の豪商
芭蕉との師弟関係が無い人物で
俳人として交友があったらしい
前出の「のざらし紀行」の折にも
わざわざ伊賀から大垣へと足を運んでいる
芭蕉も歩いた
大垣の町
水門川沿いに
桜の季節の頃
ふらりと歩いてみた