滋賀県にある兵主大社を訪れました
式内社
旧社格は県社
正式名称は兵主神社なのですが
「兵主大社」と称されています
祭神は大己貴命
琵琶湖大橋の近く
田園に囲まれた場所にある兵主大社
秋の紅葉の名所としても知られています
楼門をくぐり境内を進みます
広い境内
冬の時期は訪れる人も少ない兵主大社
社伝によると、創建は3世紀後半ごろ
滋賀郡穴太遷都にともない穴太に社地が設けられます
欽明天皇の時代になって
琵琶湖を渡って現在地に遷され、社殿が造営されたと伝えられています
兵主大社は「ひょうずたいしゃ」
と読みますが
中世以降、「兵主」を「つわものぬし」と読み
武士の絶大な信仰を集めたそうです
とりわけ歴史を握った者たち
源頼朝、足利尊氏、徳川家康などから社殿、社領の寄進を受け
広大な敷地を今日まで留めています
兵主大社には名勝庭園があります
社務所で申し込むと、庭園見学をさせてくれます
平安時代後期の作と伝えられる池泉回遊式庭園
庭園内には水路が設けられ
苔に覆われ
木々が生茂っている
京都の寺院などの完成された庭園とは違って
どこか荒々しく
後の大名庭園の原型を見た気分
この庭園
神社がこの地に移転してくる以前からあったと考えられています
何度かの発掘調査でも庭園跡が確認されています
鎌倉時代
この地の豪族、播磨守資頼邸の庭園だったらしい
ここを訪れ
改めてびっくりさせられ
庭園の妙を見つけた気分
西芳寺のような庭園設計
此処にもまた庭園の美を発見しました
式内社
旧社格は県社
正式名称は兵主神社なのですが
「兵主大社」と称されています
祭神は大己貴命
琵琶湖大橋の近く
田園に囲まれた場所にある兵主大社
秋の紅葉の名所としても知られています
楼門をくぐり境内を進みます
広い境内
冬の時期は訪れる人も少ない兵主大社
社伝によると、創建は3世紀後半ごろ
滋賀郡穴太遷都にともない穴太に社地が設けられます
欽明天皇の時代になって
琵琶湖を渡って現在地に遷され、社殿が造営されたと伝えられています
兵主大社は「ひょうずたいしゃ」
と読みますが
中世以降、「兵主」を「つわものぬし」と読み
武士の絶大な信仰を集めたそうです
とりわけ歴史を握った者たち
源頼朝、足利尊氏、徳川家康などから社殿、社領の寄進を受け
広大な敷地を今日まで留めています
兵主大社には名勝庭園があります
社務所で申し込むと、庭園見学をさせてくれます
平安時代後期の作と伝えられる池泉回遊式庭園
庭園内には水路が設けられ
苔に覆われ
木々が生茂っている
京都の寺院などの完成された庭園とは違って
どこか荒々しく
後の大名庭園の原型を見た気分
この庭園
神社がこの地に移転してくる以前からあったと考えられています
何度かの発掘調査でも庭園跡が確認されています
鎌倉時代
この地の豪族、播磨守資頼邸の庭園だったらしい
ここを訪れ
改めてびっくりさせられ
庭園の妙を見つけた気分
西芳寺のような庭園設計
此処にもまた庭園の美を発見しました
2枚目なんて、微妙に古臭い(失礼)なところに、よい味が・・・・・。
雪だるまさまの仰るとおり、京都の庭園よりも荒々しさを感じさせるお庭。
京都の庭よりも、こちらのほうが、私の好みかもしれません。
場所が思い当たりません。
素晴らしい場所を教えていただきました。
それにしても、楼門も社殿も庭園も立派な神社さんですね。
冬の庭園は、冬枯れの枝の先に、奥に配された木々や後景を
見ることができるのでいいですね。
新緑の季節も良さそうですが、冬のこの景色も素晴らしいです。
という場所に兵主大社はあります
すぐ隣が野球グランドという場所です
京都に近いので
もちろん影響を受けてはいますが
独特の雰囲気
かつてはもっと広大だったということなので
大名庭園のような感じを少し小さくした庭園でした
苔が一面を被い
林立する楓が葉をつけたら
西芳寺のような庭園になることでしょう
新緑の頃再び行ってみたいと思っています
国道477号線を北上すると看板が見えてきますよ
楼門から社殿まで
長い参道が続きますが
その左手側から社殿の裏まで庭園が続いています
拝観料は300円
社務所で声をかけると
庭園入口まで案内してもらえます
池というよりも用水が引き入れられた小川が
庭園内を縦横に走っていて
苔の緑と、池底が藻で覆われているので緑の池
頭上の楓の木々
きっと気に入ると思います
機会があれば訪れてみてください