雪だるま倶楽部

日々を離れ
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岩倉具視幽棲旧居

2024年05月11日 | そうだお金を使わずに京都を巡ろう
堀河康親の次男として京都に生まれた岩倉具視
幼少の頃は周丸と呼ばれていたが
岩倉家へと養子に入り岩倉の姓を名乗るようになった人物

京都洛北岩倉の地にある
岩倉具視幽棲旧居を訪れる

        

岩倉具視の名が世に知れ渡ったのは
八十八卿列参事件から

安政5年
江戸幕府老中、堀田正睦が上京
日米修好通商条約の勅許を得るためである
関白九条尚忠は勅許を与えようとするが
条約調印に反対の立場であった岩倉具視は
公卿88人で参内して抗議する阻止行動を起こした事件がそれである

   

日米修好通商条約は結局
勅許無きまま井伊直弼が独断で結ぶ事になる
その後、列強各国とも不平等な条約を締結し
勅許の無い条約は無効とする立場を取る孝明天皇と全面対決へと発展
世に言う
安政の大獄が始まった

   

安政の大獄は割愛するが
大獄を通じて宮中での影響力を増した岩倉具視は
後に皇女和宮の降嫁にも関与している

世間から見ると佐幕派とも思える行動が多かった岩倉具視
一貫して朝廷権威の復興を目論んでいたものの
和宮降嫁に賛成
京都所司代の酒井忠義との交友など
尊皇攘夷派から糾弾される立場となっていく

   

ついには
四奸二嬪として
朝廷を追われ
蟄居の身となった

ところが
蟄居では足りぬとする者が出て
京都から去らねば四条河原に屍を晒すという予告文まで出回るようになると
身の危険を感じた岩倉具視は
京を転々とする

   

       

西加茂の霊源寺
洛西の西芳寺
と住まいを変えるが
洛中に留まる事を許さないと
追放令が出ると
ここ洛北の岩倉の地へと流れる

       

それから
5年
岩倉具視はここ幽棲旧居にて
無為の日々を過ごす事になった

  

大河ドラマ
篤姫で
片岡鶴太郎が演じた岩倉具視
隠棲のシーン、実際にここで撮影されたとの事

  

帰り際
管理人の方から教えていただいた

   

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