和歌山城と
南海和歌山港線とのちょうど中間の位置に
七曲市場は存在する
魚問屋が集まり
軒先に商品を並べられるように
買い物客の風雨除けに
市場が誕生したのは大正時代
全盛期には
100軒を超える店が営業し
活気に溢れていたであろうが
今日
多くの店が役目を終え
シャッターが目立つ
電柱でなく
天井に配電線を付設した
珍しい市場だった
南海和歌山港線とのちょうど中間の位置に
七曲市場は存在する
魚問屋が集まり
軒先に商品を並べられるように
買い物客の風雨除けに
市場が誕生したのは大正時代
全盛期には
100軒を超える店が営業し
活気に溢れていたであろうが
今日
多くの店が役目を終え
シャッターが目立つ
電柱でなく
天井に配電線を付設した
珍しい市場だった
時間が変われば、
営業しているお店も少しはあるのでしょうか。
平成に変わる頃までは、
まだまだ元気があったのかなあ。
もう商店街はだめなんでしょうかね?
そもそも駐車場がないですし。
田舎町では商店街にとってかわってスーパーなんでしょうね。
照明の配線は頭上にクモの巣のように
張り巡らされている風景は
取り壊されつつある大工場の内部のようですね。
大正から昭和にかけての市場は
美観うんぬんより雨露をしのぐことができれば
それでよいという時代だったのですね。
とは言っても、営業している店の数はそう多くはないようです
20件に満たなかったと思います
漁港近く、かつては賑わった市場でしたが
今ではかなり厳しい状況です
すぐ隣にそこそこの大きさの駐車場を供えています
それでもこの状況
購買側の嗜好が変わったのか
表面の綺麗さだけが衛生面だと勘違いしているのか
ともかく世間からは忘れ去られようとしている市場です
トタンと言うのは最新技術だったんですよ
熱せられたた金属を均一の厚さで引き伸ばすというのは
現代では当たり前の技術ですが
戦前まではかなり高難度な技術でした
だからトタンというと現代では貧しさの象徴に見えますが
戦前戦後くらいは最新技術の建材だったんです
それでも営業している店があるのが凄いです
おかげで全店が閉まっています
といってもかつては100を超える店が並んでいたのに対し
現在でも営業している店は20に満たないです