秋の特別拝観塔頭のラストは黄梅院です
(総見院は法事でもあったのか拝観できませんでした)
黄梅院は織田信長が豊臣秀吉に命じて改修された塔頭
永禄5年のことです
織田信秀の追善菩提として改修されました
その後、天正10年に織田信長が本能寺で急逝
権力闘争でのし上がった豊臣秀吉が信長の父信秀の菩提寺である黄梅院に織田信長を弔おうとしますが、主君の塔所としては規模が小さすぎるという理由から黄梅院には弔わず、前出の総見院を新たに建立してそちらに弔うこととなります
黄梅院は元々は黄梅庵と称されていました
総見院を新たに建立した後、天正14年に本堂・唐門が豊臣秀吉によって寄進され
天正17年には鐘楼・客殿・庫裏などを小早川隆景が改修
その後、黄梅院と改められた訳です
前出の通り、敷地はとても広い
入口から入って唐風の門をくぐります
黄梅庵は元々、春林宗俶禅師が創立した庵居黄梅庵が前身
数々の改修によって創建当時の面影は全くないようですが
入口付近、この辺りはもしかしたら創建当時の面影を残しているような気がします
角を曲がって、石畳を進みます
打ち水してあって雰囲気は最高
こういう演出が好きです
当塔頭のメインの庭園、直中庭までは結構歩きます
もちろん、実測の距離はそれほどでもないですが
大徳寺の他の塔頭に比べると、おやっというほどの距離です
途中の楓が真っ赤に紅葉していました
直中庭までの景観も楽しめますよ
ちょっと木々が多すぎるような気もしますが
眺めるには最高
途中、靴を脱ぎます
そのまま通路を進むと
素晴らしい景色が待ってくれていました
続く...
(総見院は法事でもあったのか拝観できませんでした)
黄梅院は織田信長が豊臣秀吉に命じて改修された塔頭
永禄5年のことです
織田信秀の追善菩提として改修されました
その後、天正10年に織田信長が本能寺で急逝
権力闘争でのし上がった豊臣秀吉が信長の父信秀の菩提寺である黄梅院に織田信長を弔おうとしますが、主君の塔所としては規模が小さすぎるという理由から黄梅院には弔わず、前出の総見院を新たに建立してそちらに弔うこととなります
黄梅院は元々は黄梅庵と称されていました
総見院を新たに建立した後、天正14年に本堂・唐門が豊臣秀吉によって寄進され
天正17年には鐘楼・客殿・庫裏などを小早川隆景が改修
その後、黄梅院と改められた訳です
前出の通り、敷地はとても広い
入口から入って唐風の門をくぐります
黄梅庵は元々、春林宗俶禅師が創立した庵居黄梅庵が前身
数々の改修によって創建当時の面影は全くないようですが
入口付近、この辺りはもしかしたら創建当時の面影を残しているような気がします
角を曲がって、石畳を進みます
打ち水してあって雰囲気は最高
こういう演出が好きです
当塔頭のメインの庭園、直中庭までは結構歩きます
もちろん、実測の距離はそれほどでもないですが
大徳寺の他の塔頭に比べると、おやっというほどの距離です
途中の楓が真っ赤に紅葉していました
直中庭までの景観も楽しめますよ
ちょっと木々が多すぎるような気もしますが
眺めるには最高
途中、靴を脱ぎます
そのまま通路を進むと
素晴らしい景色が待ってくれていました
続く...
紅葉の黄梅院、というか紅葉の大徳寺に行ってまいりました。どこも見頃でしたよ。ただ、見ているそばから落葉していたので、そろそろ秋もお終いですね。
黄梅院は見どころ満載で、大満足でした。素晴らしい所ですね。
実は、ここのところ続いている雪だるまさんの記事に触発されて訪れたのです。
コメント、ありがとうございました。
遅い遅いと言われていた京都の紅葉も急速に進んで
今週ぐらいが見納めになりそうです。
どの写真もいい角度から撮っておられて見ごたえがあります。
私は日曜日にしか行けないので人をいれずに撮るのは
至難の業なのですが、観光の方があまり写りこんでないですね。
多くの塔頭を従え、見所満載の寺院ですよね
とっても沢山の人が繰り出していたことでしょう
雪だるまは、もっと人混みへ
実は東福寺へ行っていました
人混みがもの凄い東福寺から、わりと閑散とした泉湧寺へと歩きましたよ
そうですね
今週で京都紅葉ももう終わりですね
来週は反動から閑散として静かな京都へと戻るでしょうね
写真お褒め頂いてありがとうございます
雪だるまの休日も土日なので撮影の時は人だらけですよ
人を入れずに撮影するのって確かに至難ですね
でも場所によったり、時間によったり
結構撮ろうと思うと撮れたりするのが楽しみです
今後雪だるま倶楽部でも紅葉写真の章に突入いたしますが、さすがに人が映りこんでしまっています
今後ともお気軽にご訪問くださいませ