通称
山王権現
日吉
日枝
山王神社の総本社である
古事記に
大山咋神
亦の名を山末之大主神
此の神は近淡海国の日枝の山に坐し
と記されたのがこの大社の初見
日枝の山とは叡山のこと
日吉大社は
崇神天皇7年
日枝山の山頂から
現在の地に移されたという
平安時代には
都の鬼門に当社があたるとして重宝された
そして
この大社も最も信仰したのは豊臣秀吉といわれる
秀吉の幼名は日吉丸
あだ名が猿
当社は日吉大社
山王権現は猿を神の使いとする
雪だるまはこれは眉唾だと思っている
というのも秀吉の出生が本当に農民なら日吉丸などという大層な幼名がつくわけがない
信長の手紙には秀吉は禿げネズミと書かれている
そして信長は秀吉を「六ツめ」と呼んでいたからだ
蛇足であるが
秀吉は指が六本あったという説
かなり信憑性があるらしい
山王権現
日吉
日枝
山王神社の総本社である
古事記に
大山咋神
亦の名を山末之大主神
此の神は近淡海国の日枝の山に坐し
と記されたのがこの大社の初見
日枝の山とは叡山のこと
日吉大社は
崇神天皇7年
日枝山の山頂から
現在の地に移されたという
平安時代には
都の鬼門に当社があたるとして重宝された
そして
この大社も最も信仰したのは豊臣秀吉といわれる
秀吉の幼名は日吉丸
あだ名が猿
当社は日吉大社
山王権現は猿を神の使いとする
雪だるまはこれは眉唾だと思っている
というのも秀吉の出生が本当に農民なら日吉丸などという大層な幼名がつくわけがない
信長の手紙には秀吉は禿げネズミと書かれている
そして信長は秀吉を「六ツめ」と呼んでいたからだ
蛇足であるが
秀吉は指が六本あったという説
かなり信憑性があるらしい
デカい猿の絵馬がありましたが、
それしか覚えておりません(笑)。
檜枝葺きの立派な堂宇だったのですね。
確かに、
秀吉の出世劇、
かなり脚色されているでしょう。
出生も怪しいものです。
京都の神社を詳しいわけでもないのですが,そして
京都に行くのとそう変わらないけれど,地理的に
県外となってしまうので,あまり馴染みがないところです。(^^;)
本当格調高いムードが漂っていて、
雪だるまさんが前記事のコメレスで
書いてくださってるように、妙な観光地より
こちらの方がよほど見応えがありますね。
是非行ってみたいです。
でもここにも中国の観光客は大勢やってくるのでしょうか(^_^;)
ピッタリのようですね
秀吉の指が6本あったなんて初めて聞きました
秀吉ほど奇跡的な行動を起こした人はいませんよね
関西にいたころ、滋賀は全くと言っていいほど遊びに行かなかったのですが、ちょっと惜しいことをしたかも。
豊かな木々
この神社の一番の特徴でしょうね
山門に大きな絵馬が飾られるのは年始の頃でしょうか
秀吉の出世劇
残されている資料は秀吉編纂のもの
いろいろと異説があります
地理的には近くても
遠い場所というのはあります
こちら、結構面白い場所ですので機会があれば訪れてみてください
京都と奈良はまったく違う文化ですが
京都と阪本は近い文化です
建物の構造やらにそれが現れます
こちらの観光地も外国の方に人気です
ただ、どちらかというと西洋の方が多かったですね
大挙して押し寄せる中国人や韓国人は少なめです
今でも自然が豊かな場所です
秀吉の指の話
前田利家の伝記にも
「秀吉には昔から速くその6本目の指を切り落としてしまえといっているのに」という記述が残されていますし信憑性は高いようです
古くは朝鮮街道と呼ばれた街道もあり
奈良へ向かう渡来人たちが残した文化と
平安京が造営された後に京文化が伝わり
融合している感じですね