雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
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寺田屋

2008年06月20日 | 京都散策
伏見の有名なスポットといえば
寺田屋
幕末、京都で勤皇と佐幕の嵐が吹き荒れる
いくつもの血生臭い事件が起きているが
ここ、寺田屋もそんな事件現場の一つ

    

事件は二回起きている
一つが文久2年に発生
薩摩藩尊皇派の粛清事件
もう一つが慶応2年に発生
伏見奉行による坂本龍馬襲撃事件

       

一つ目の薩摩藩尊王派の粛清事件
凄惨を極める事件

        

薩摩藩の最高実験者として
島津久光は藩兵千名を率いて上洛
上洛の目的は、公武合体
しかし、倒幕派の薩摩藩士達は島津久光の上京を倒幕の機会到来と喜ぶ

    

    

倒幕の為ではないという事実が伝わるのにそれほどの時間は必要でなかった
このことに不満を持ったのは
有馬新七
真木和泉
田中河内介
過激派だった彼らは関白九条尚忠・京都所司代酒井忠義邸を襲撃する事を企てる

    

集まったのは寺田屋

        

それを知った島津久光
大久保一蔵に命じ
この騒ぎを抑えようと試みるも失敗
事態は実力行使へと向う

    

寺田屋へと使わされたのは
大山綱良
奈良原繁
道島五郎兵衛
鈴木勇右衛門
鈴木昌之助
山口金之進
江夏仲左衛門
森岡善助
上床源助

    

大山綱良は有馬新七に
「藩邸に同行するように」
と求めるも
有馬新七は拒否
激しい論争の後
同士討ちの斬りあいが始まってしまう

    

この戦闘によって
討手側は道島五郎兵衛が死亡
有馬新七側は
有馬新七
柴山愛次郎
橋口壮介
西田直五郎
弟子丸龍助
橋口伝蔵が死亡

田中謙助
森山新五左衛門
の二名が重症を負った

    


もう一つの坂本龍馬襲撃事件は
有名なのでここでの記載は省きます

        

この寺田屋
実は事件当時の建物ではありません
事件当時の寺田屋は
その後の鳥羽伏見の戦いで焼失しています

       

建物の位置も
元々の寺田屋は現在の建物の西隣にあったそうです

コメント (2)    この記事についてブログを書く
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2 コメント

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Unknown (RKROOM)
2008-06-21 23:59:36
 幕末のあの頃、日本はかなり混沌としていたのですね。
 血なまぐさい事件もそこここで・・・・・。

 そんな歴史を繰り返しながら、「今」という時代があるのですね。
返信する
RKROOMさんおはようございます (雪だるま)
2008-06-22 07:25:22
幕末の頃の歴史を追って
京都の町を歩くと
色々な歴史に触れることが出来ますね

といっても
ほとんどが血生臭い歴史

それでも
自らを犠牲に時代の変革を模索した志士達の歴史
触れるほどに思いが染み出してくるようです
返信する

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