大阪夏の陣で
抜け駆けの先登をしたことで褒賞が無く牢人
妙心寺に隠棲した折
林羅山の勧めで
藤原惺窩に師事
文武に秀で
仕官の口は数知れず
最終的には
浅野家に仕官した
母の死とともに
浅野家を致仕
京へと戻り
睡竹堂を造営して隠棲
一乗寺村に凹凸窠を建て
終生の地としたのは晩年のこと
これが
今に言う詩仙堂である
抜け駆けの先登をしたことで褒賞が無く牢人
妙心寺に隠棲した折
林羅山の勧めで
藤原惺窩に師事
文武に秀で
仕官の口は数知れず
最終的には
浅野家に仕官した
母の死とともに
浅野家を致仕
京へと戻り
睡竹堂を造営して隠棲
一乗寺村に凹凸窠を建て
終生の地としたのは晩年のこと
これが
今に言う詩仙堂である
秋の頃、こちらはかなり賑やかになります
サツキの季節と、秋の紅葉
以外なら静かなところですけどね
こういう個人宅が残され
後に寺となるという過程は
他の国にはないでしょうね
この屋敷と
ほぼ同じ造りの屋敷が
石川丈山生誕の愛知県安城市
丈山記念館に建てられています
確かにありましたね
隠密が隠居というのは
妙に不思議な話ですが
彼が晩生を過ごしたこちら
かなり有名になったものです
静かそうです
長く文人生活をしていた人の居宅が
今に残されているのは京都にあったことと
お寺として維持していたことが大きいのでしょう。
どちらにしてもこのような家屋敷が残されていることに
日本の懐の深さに感じ入ります。
ここは三回ほど行った事がありますね
なかなかのかわいい場所ですよね
一乗寺には、知人も居て何度か呑みにも来た思い出のある場所でした
という話しを何かで読んだことがあります。
それは置いといて、
こんな庭園も自分で造り、
学問にも秀で、
表舞台での活躍が履歴として残っていないだけですね。
こういう生き方、
憧れますね。
自分には到底できませんけど。