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雪だるま倶楽部

日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています

葛飾柴又寅さん記念館

2022年11月11日 | 東京散策
寅さん
車寅次郎



元は昭和43年から44年にかけ放映されたテレビドラマが始まり



その後映画化されるのだが
これは実に面白いエピソードがある



テレビドラマシリーズ最終話で
奄美大島にハブを取りに行った寅さんが
逆にハブに咬まれて死んでしまう



このストーリーに抗議が殺到



慌てた製作陣が
寅さんを復活させ映画化したというのだ



山田洋次監督の原案と絶妙なコマ割り



渥美清の演技力



記念館を訪れ



もう一度
男はつらいよを見たくなった




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柴又

2022年11月04日 | 東京散策
葛飾柴又といえば



「男はつらいよ」
フーテンの寅さん



ドラマの地元には
帝釈天が鎮座



正式には経栄山題経寺と称する



帝釈堂内殿の外壁は
彫刻アートで飾られている







巡って、鑑賞して、食して



柴又は下町風情が似合う

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東京スカイツリーと東京タワー

2022年09月16日 | 東京散策
平成24年に竣工した東京スカイツリー



高さ634mの電波塔



異次元の高さに驚きつつ
東京スカイツリーへと近づく



展望デッキは第一展望デッキが350m
第二展望デッキは450m





遠望で高さを実感






東京タワーは昭和33年竣工



高さは333m



ということは
頂点よりもスカイツリーの展望デッキは高いことになる

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江戸東京博物館

2022年05月06日 | 東京散策
江戸と東京の歴史や文化を伝える博物館



江戸の町並みを



時には実物大で
時には縮小して
展示してある



展示は庶民の暮らしが中心



夏の夕涼みと花火



賑やかだった事だろう






施設反対側は明治期以降



西洋文化が流入し
モダンという言葉が生まれた時代



戦争を経て



高度経済成長期に至る






こちらの博物館
開館から四半世紀経ち
施設の老朽化から、約3年間の改修工事をおこなっており
現在は休館中である
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旧芝離宮 恩賜庭園

2022年04月24日 | 東京散策
元は
大久保忠朝上屋敷



庭園楽寿園



作庭当時は海岸線にあり



汐入の庭であったが



海岸線の埋め立てで
海辺は去り



ビル郡により遠望は失われた







それでも
今日も尚
美しい庭園が望める



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明治神宮~

2011年03月04日 | 東京散策
明治神宮
正式には「明治神宫」と表記する
宮の字の口の間に点が入らないのだ



うんちくを語ると
口は建物を表し
古くは建物と建物の間に渡り廊下が無かったことから
「宫」と書いていたものが
渡り廊下が作られるようになった頃から
「宮」と書くようになったそうだ



話が逸脱した
明治神宫の話だった
明治と表記する通り
ここは明治天皇を祭った神社である
明治天皇崩御の後
立憲君主国家として
初の君主の大葬をどう執り行うか
具体的な決定が為されないまま
3年後には皇后の昭憲皇太后が崩御



遺徳を偲ぶ国民からの要望は
政府に神社奉祀調査会を設置させ
大正天皇の裁可を受けて
官幣大社明治神宫を創建させるに至ったそうだ







訪れた折
参道には氷のアートが並び
日が落ちて一気に気温が下がり出したころだったので



視界的にも寒々としていた



久しぶりの東京入り

参拝も終えたし
そろそろ帰る時間



帰りは原宿駅から
東京駅から東北新幹線に乗る親戚に付き合って
のんびりと山手線で東京駅まで



ご褒美は
東京駅の新幹線ホームで
ドクターイエローの雄姿と出会えた事



さて豪勢に帰るとしますか
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街角スナップ

2011年03月03日 | 東京散策
東京スナップ紹介も
あと2回



披露宴を終え
酔いが回る折
帰り道でふと
東京まで来たのだから
少し観光もしたいと
表参道を明治神宮へ向け
歩くことにした





表参道
もともとは明治神宮参拝道で
参拝客以外は滅多に歩かない道だったそうで



それがいつの間にか
情報発信源ともなる
若者の街へと変化した



平成18年に
表参道ヒルズがオープン





あこがれの街の
代名詞ともなった

夕方
すれ違うのも大変なくらいの賑わい



このわずか1/10でも
地方へと
お裾分けしてもらったら
なんて
ちょっと田舎人の感慨も浮かべながら



一気に日が落ちてくる
夕闇の街で
寒さで酔い覚まししながら
スナップを撮り続けた

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披露宴

2011年03月01日 | 東京散策
当ブログで
結婚式の写真を公開するのは2回目か



東京まで出かけた
本当の目的は
披露宴参列



披露宴でのスナップを紹介













お二人ともお幸せに



手抜き記事でした
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青山通り

2011年02月28日 | 東京散策
青山通りは
国道246号線の事



渋谷駅から表参道へむけて
散策歩き



江戸時代
この道は脇往還だったらしい





神奈川県に大山という山があるが
その昔
大山は雨降山という別名で呼ばれ
山岳信仰の山であったと云う



その大山への参詣が
流行になり



往来する人のため
整備された
青山通りも
当時は大山道と呼ばれていたそうだ



周囲の風景に
覚えは無い



知らない街を歩くと
時に
ふっと見たような光景に出合うことがある



デジャブー
というやつだ
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東京の街

2011年02月24日 | 東京散策
日本最大の都市
東京へ向け出発



本来の目的は親戚の結婚式の参列
しかし時間は有効に利用するもの
どちらがメインか判断不能の撮影旅行となった





新幹線に乗るのも久しぶりなら
東京入りも久しぶり



降り立ったのは渋谷駅



おそらく



上京者だと
すれ違う人は思ったことだろう



目的地は表参道
青山通りを目指したが
立体の街だった為
渋谷駅界隈を右往左往



なんとか
目的の通りを発見し



次回は青山通りを紹介

続く
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東京の街並み2

2009年09月29日 | 東京散策
東京を巡った旅
時刻も夕方にさしかかり
そろそろ帰宅の時間

       

東京駅に向って
新橋から歩いた途中の風景をスナップ

    

大阪や名古屋といった他の大都市圏よりも数の多い
高層建築物
圧巻される風景

      

時間は夕方に差しかかり
街の匂いに
食べ物の香りが漂ってくる

       

都心は商業スペース
昼と夜の人口差が大きい
いわゆるドーナツ化現象がおきている
ここ東京都の区でも
人口が小規模地方都市並みの区もある
千代田区などは4万人程度の人口しかない

       

一時の高度成長で地価が急上昇
商業ベースの急速な拡大もあってもはや一般人が住めない環境となった都心
自ずと周辺地帯へと人口が流出
都市と住宅街が分離したのは良いものの
今度は都市周辺で無計画な都市化が進み
収集がつかなくなる問題も露呈

   

都市と人の暮らし
不思議な関係

  

歩行者天国となっている銀座通りを歩き

   

東京駅から
おのぼりさんは帰るとしますか

   
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東京の街並み

2009年09月28日 | 東京散策
東京の街並

   

もちろん日本最大の都市であるが
世界的にみても有数の大都市

       

見慣れない都会の風景
という訳ではないが
何故か圧倒される風景が続く

   

都心区は23区
でも明治11年に郡区町村編制法が制定された頃は
15区であったそうだ

   

       

その後
人口流入が続き
都市化が進むと
昭和7年には新たに20区が指令され
35区になっている

   

今の23区になったのは
昭和22年の再編によるもの

       

それにしても
見上げる都市である

   

街の風景
良い被写体になると
最近撮り始めたら
妙に面白い

   

続きます
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浜離宮恩賜庭園2

2009年09月27日 | 東京散策
浜離宮恩賜庭園の2回目

       

ここは江戸城の出城の役目も果たしていたらしい
庭園は城郭の構造をしている

  

先の記事で
ここの庭園を潮入り回遊式築山泉水庭
と書いたが
この潮入りとはというと

       

庭園の池に海水を導くと
潮の満ち干によって
池の形が変わる
特に太平洋側では満干の差が大きい事から
池の趣きががらりと変わる

       

浜辺に近い場所に設けられた庭園には
かつて、多くの庭園がこの潮入りを採用した庭園があったが
今では此処だけになっている

庭園内は都民の遊び場でもある

       

芝生でシャボン玉で遊ぶ子供達
長閑な風景が此処にはあった

コスモスが咲き始めた浜離宮

   

   

遠くに高層ビルが見えるのは都会ならではの風景

       

東京を訪れたのなら
一度は行ってみたいと思っていた庭園

   

花の咲く時期に

       

上手く訪れることが出来た
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浜離宮恩賜庭園

2009年09月25日 | 東京散策
都立庭園
浜離宮恩賜庭園を訪れた

    

臨海地帯にある広大な庭園
28,614㎡の面積を持つ
潮入り回遊式築山泉水庭

       

周囲に汐留のビル群が建ち並び
ここが都会の一角である事を再認識させられる

   

       

汐留は元は湿地帯
徳川家康が江戸に政権を開いた時
ここは未だ海辺だった

   

江戸の町が整備され
三代将軍、徳川家光に至るまで続いた天下普請で
汐留は埋め立てられ
大名屋敷が連なる

   

この浜離宮恩賜庭園は
元は、甲府藩主の松平綱重別邸であった場所
松平綱重候の子
家宣が6代将軍となると
ここは将軍家の別邸となり
浜御殿と呼ばれたそうだ

   

浜離宮と呼ぶようになったのは
明治維新後になってから

       

ここは日本初の駅が誕生した
新橋にほど近い
東京という街の一角に
これだけの規模の日本庭園

  

それがびっくり

  

続きます
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築地

2009年09月24日 | 東京散策
首都東京の台所
築地市場を巡った
巡ったのは築地場外市場

   

築地とは埋立地という意味

路地裏のような場所に数多くの店が並び
海産物を求めて観光客が食事を楽しんでいた

        

この地に卸売市場が設けられたのは
昭和10年の事
もちろん当時の建物は東京大空襲で焼け
現存していないが

      

昭和の復興期
雑然と造られた街は
今でも懐かしい風景と共に
魅せてくれる

   

露店のバイク屋
昭和の親父さんも健在

   

商店街をグルりと巡り

   

裏路地を通り抜ける

       

日本で最大の卸売市場
1日で3,000tを越える食材が売買されている
雑然とした街並みが此処には似合う

   

巡っていた折
親切に案内してくれたおじさんお勧めのお店で

   

中トロ丼を頂きました
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