日々を離れ
日常から脱却した世界
そんな風景を切り取っています
しばらく前の事になるが
八瀬の名刹
瑠璃光院を訪れた
建物の老朽化や
大挙して押し寄せるツアー客に
拝観のあり方を模索した当院
特別公開から
会員のみの往復はがきによる特別拝観
試行錯誤を繰り返し
2016年は
拝観料
1,000円での公開となった
瑠璃の空間
濃い緑は
陽光を浴びて
瑠璃色に変わるそうだ
溢れんばかりの緑
特別の絶景を見せて頂いた
臨済宗建仁寺派の塔頭寺院
開山当時は
知足院と呼ばれていた
通常非公開だが
半夏生の時期
特別公開される
夏至から数えて
11日目を
半夏生という
その節季を冠とする植物
この頃に降る雨は
半夏雨と呼ばれる
梅雨の雨に育てられ
豊かな緑に
白い葉っぱ
美しい景色が
この塔頭にはある
今年も
絶景を見にこの地へと足を向けた
村岩農園
別名
原谷苑
4月上旬
衣笠、金閣寺の西
車が息つくほどの坂道を登った先
原谷大根という
辛味大根を育てた高台に
この苑はある
平家落人伝説もある地に
溢れんばかりの
春が咲く
今年も
晴れの
絶景を見れたことに
感謝
桜の咲く頃
京都府
旧本館は
桜と
レトロ建築の
両方が楽しめる
桝形の回廊は
色んな角度から
中庭の桜を
堪能できる
残念ながら
訪れた日は満開には程遠い
3分咲きだった
相国寺塔頭
足利五代将軍義量の菩提寺
法号にちなみ
寺名が名付けられた
創建当時から
一度も立地を変えなかったが
幾度もの火災に遇い
消失
再建された
現在の建物は
天明の大火後の天保年間に建てられている
初の公開
出来れば
夏の景色も見てみたいものだ
初の公開
慶派仏師の作と伝わる
毘沙門天像が安置されている塔頭
養源院
毘沙門天像は
一時、居所不明となったが
夢のお告げで発見されたという
その後
富くじ売場などでの展示がされるなど
公の場によく登場していたが
何時の頃からか
絶対秘仏となり
見ることが出来なかったが
特別公開で拝むことができた
萬年山相國承天禅寺
臨済宗相国寺派大本山で
かの有名な
金閣寺と銀閣寺は
相国寺の山外塔頭である
開基は足利義満
開山は夢窓疎石
創建以来
何度かの火災に見舞われ
応仁の乱では細川方の陣地となり
戦火にも見舞われている
焼失しては復興
復興しては焼失
現在の伽藍は
江戸時代に再建されたものである
特別公開では
方丈のほか
開山堂も拝観できる
加賀百万石
前田家の菩提寺
創建したのは畠山義総
本能寺の変から4年後
前田利家の寄進により復興
徳川家康が豊臣秀吉に臣下した翌年のことであり
豊臣政権磐石となった時代
豊臣秀吉と前田利家は
積年の朋輩
京でもかなりの権威があった事だろう
秋のころ
特別公開されるこちらの景色を楽しんだ
東福寺塔頭
島津氏久が建立
寺名は
氏久公の法名
齢岳玄久即宗院に由来する
創建当時は
今よりも南側に建立されたが
永禄年間に焼失し
島津義久が
慶長年間に
現在の地
関白藤原兼実の山荘
月輪殿の跡地に再興した
時に折に
美しい風景を堪能できる
後水尾天皇の皇女
多利宮を開基とし
創建された尼門跡寺院
春と秋
春は椿の寺として
秋は見事な紅葉を
特別公開で
堪能できる
谷の御所と呼ばれ
尼宮の
優雅で雅の生活は
この寺院に所蔵される
障壁画や
御所人形からうかがえる
久しぶりの訪問
堪能した
明治37年に竣工した
京都府庁
昭和46年にその役割を終えるまで
ここでは数多くの
政争劇が繰広げられた
創建時の姿を留める
現役の
官公庁建物としては
日本最古
中央に箱庭の広場があり
それを正方形に囲むように
庁舎は建つ
毎週
火曜日~金曜日と
土曜日(第1週、第3週、第5週)
で旧知事室と旧議場は公開されている
旧庁舎内は
まるでロケのセットの様で
レトロファンとしては
実に撮影のし甲斐がある建物であった
世襲四親王家の一つ
京都御所の北東
猿ヶ辻に元々は屋敷はあった
屋敷が御所の区画整理などで
召し上げられたのに伴い
御所建礼門前の凝華洞が下賜される
有栖川宮はその後
明治天皇の呼びかけに応え
東京へ居を移したため
京都の邸宅は
裁判所の仮庁舎として使用される
その後
屋敷の主要部分は
烏丸通り対面の
現在の場所に移築される
京都御所一般公開に合わせて
通常非公開のこの屋敷も
特別公開される
京都御所
秋季特別公開
またこの季節がやってきた
通常は
宮内庁京都事務所が管理し
見学は
事前申込抽選方式
年に二度
桜の時期と
紅葉が始まりかけた頃
特別公開として
一般公開される
見学コースは同じ
今年は10月30日から11月3日まで公開された
毎年
春か秋に訪れ
扇子を購入する事にしている
夏の特別公開を
今更ながらに紹介
青物問屋を営んでいた旧家
屋号は「よろずや」
江戸末期の築で
京町家の特徴を残す
有形文化財である
近年修復が行われ
屋敷内は
どこか真新しい雰囲気を残す
二階では
刀剣展示もあった
おくどさんのある土間が
町家らしい雰囲気が残されていた
南禅寺塔頭が一つ
大寧院
大寧院自体は
明治初期の廃仏毀釈によって廃された
その後
上知され民有地となった
茶人の藪内家
11代目透月斎竹窓が
改修したと伝えれる庭園が広がる
京の夏の旅2015
久しぶりの公開
訪れた日も
多くの見学客に溢れていた