ブログに遊ぶ

ときめきの日々を過ごしたい

日捲りカレンダー

2013-01-15 08:05:49 | Weblog

 初暦めくれば明日に繋がりて

初暦めくり始めは十三日

 

初暦誰もやすらぎ求めてる

 もう何年になりますか、まず朝起きて、暦を捲るのが小さな習慣となっている。毎年いただける「金印のわさび」メーカーさんからの日めくりカレンダーがなぜか遅れて十三日に宅急便で届いた。今は日めくりのカレンダーを作られるところが少なくなりまして、なかなか手に入らないようですが、商売のころに御世話になった静岡の「金印わさび」さんは商売を止めてからも送ってくださる。大変ありがたいことと感謝している。早速、昨日が初暦となりましたが、初カレンダーをめくると、うっかり十五日ばかりと思っていた成人の日が十四日(月)であることが分かり、暦をめくったあと、これも、旗日に日章旗を掲げるのが習慣となっていますので、早速、日章旗を家の前へ掲げた。年のせいなのか、このところ日本の伝統的なことが気になるようになっています。正にアナログ人間なのかも知れない。今度の俳句教室の兼題は「新年一切」ですので、今年七十二歳になる私は、掲出句に六廻り頑固アナログ年男」と詠いました。私はPCもこなし、むしろレジタルに興味が深いのですが、心は何時までもアナログでありたいという願望があります。


飯山に仁王門帰る。

2013-01-14 08:48:27 | Weblog

仁王門睨み利かせて淑気湧く

 

先般新聞の記事をブログにしましたが、飯山市では昨年の11月21日、街中観光の充実を図る一環として数年前から準備を進めていました仁王門の竣工式がJR飯山駅前雪と寺のまちシンボル公園にて行われました。
 この仁王門に安置される善光寺前立仁王像は、明治45年の善光寺御開帳に合わせて作成していた高村光雲の仁王像が間に合わないため、急きょ飯山の仏師により作成されたものです。高さ4mを超える大きな像で当時は善光寺前に露座で安置されていました。
 市では、一昨年70数年に渡り眞龍寺にて安置されていた善光寺前立仁王像を譲り受けた。白蟻なので痛んだ足などを再び飯山仏壇師により修復を行い、明治45年の善光寺御開帳から100年という節目にあたる本年度、この仁王像を安置する仁王門を整備しました。 100年ぶりに飯山に帰ってきた仁王像は、飯山のまちを訪れる人々を優しく迎えるとともに、旅の安全を祈り、飯山のまちの発展も見守ってくれることでしょう。先日孫達を連れて、安置された二体の大きな仁王門を見に行って来た。以後、悪戯の多い孫の次男坊に、そんなことすると、この前見た怖い仁王門が睨みながらのっしのっし歩いて来て、湧ちゃんをサラッテいくよと脅かすと、しばらくは効き目がありましたが、いまでは効き目が薄れています。


道祖神まつり

2013-01-13 09:26:25 | Weblog

 どんど焼きおのこ一人や寂しかり

 

私の住む町の(どんど焼き)は昨夜行われた。ここにも少子化の波、二百数十戸ある町のなかで昨年の男の子の誕生はたった一人とのこと、家の孫のお兄ちゃんの六年前は四人お祝いしていただいたが、以来、一人か二人の男の子の誕生でしかないらしい。俳句では道祖神祭りと言う季語はありますが、ここらで言う道祖神だけの季語は見当たらない。ネットでは、こんなように説明してあった。「小正月に正月飾りや締め飾りなどを焼く「どんど焼き」ともいわれる行事は各地で行われています。その歴史は古く、平安時代に宮中や公家の宮廷行事として記録に残っています。
 道祖神は、「どうろくじん」「さいのかみ」「さえのかみ」などとも呼ばれ、災厄の進入を防ぐ神とされ、石像などに刻んで村境や辻などに祀っています。また、子供の成長や子宝祈願などの対象として、ほぼ全国に広く祀られている民間信仰の神です。中部地方から関東地方を中心とする地域では、この神を石像などに刻んで村境などに祀り、この祭りとして小正月に火祭りを行うことがひとつの特徴となっています。その内容は各地で多彩な内容を持ちますが、長野県の北信地方では、初子の祝い・厄年の祓い・良縁祈願などの性格をもつとともに、火をめぐる攻防戦を伴う道祖神祭りが伝承されています。とりわけ野沢温泉の道祖神祭りは壮大な規模で行われることで知られています。この祭りがいつ始まったかは定かでありませんが、道祖神碑には「天保十巳亥年」と刻まれていることや河野家に残されている「文久三年道祖神小豆焼帳」などから江戸時代後期にはすでに盛大に行われていたことが推察できます。とあった。私は寒さは禁物ですので、「どうろくじん」の火まつりの現場には行かずに留守番となったので、家内に火が盛大に燃えている様子を写真にと頼んだのですが、火をつける時間が早かったのか、孫達が行ったのが遅かったのかさなかではありませんが、竿に吊るされた御祝いの書き初めや「どうろくじん」が燃え尽きた後の寂しい写真でした。また、こんなことを記すと自慢話に取られるかもしれませんが、戦後しばらくは各字町で毎年一月十五日に盛大に行われておりました「どうろくじん」は原因はさなかではありませんが、自然消滅となり影を潜めてしいました。その後、数十年の空白がありましたが、私は若かりしころ、私達若者が住んでいる町始め、商店街の発展の為に立ち上げました「十五日会」が活躍していました。もう四十年近く前になりますが、私が会長の時、年中の活動計画のなかに、途絶えておりました、道祖神祭りを復活させることを提案し、会員の賛同を得るとともに、時の区長さん初め区民の協力を得て、プランニングからオペレーションをつつがなくこなした思い出が蘇ります。我が町の大成功が火種となり、以後各字街に広がって今でも年中行事となり続いていることが、私共若かりし頃の「十五日」会のメンバーの誇りとなっております。

 


福寿草

2013-01-12 08:13:09 | Weblog

久々の冬日にうれし福寿草

寄り添いて家族のような福寿草

福壽草尖閣のこと見てをりぬ

 私の暖かい部屋の植木鉢で育つ福寿草が咲いた。例年よりかなり早いような気がする。昨日の陽のあたる日に外へ出してあげると、よほど太陽の明りとぬくもりが欲しかったのか、時間が経つにつれ陽の当たる方向へ少し向いた姿に気が付く、やはり露地で育つのが自然なのだろうと思う。福寿草は春を告げる花の代表で、元日草や朔日草(ついたちそう)の別名を持つ。福寿草という和名もまた新春を祝う意味があるとのこと、福寿草は黄色一色だ、赤初め数種の色の福寿草の品種改良が出来たらどんなに楽しいだろうと思った。


西念寺さんの仏語

2013-01-11 08:00:03 | Weblog

 住職のかかぐ仏語に淑気湧く

誠に恐縮し有難いことですが、毎年「西念寺」という御寺の御住職が自筆の仏語を置いて行って下さる。年中私の部屋に飾らせていただき、新しい年を向かえると、新たに上のような心に沁みるお言葉をいただく、もう何枚にもなるかしっかり保管してある。今年の仏語「念仏もうすところに立ち上がっていく力があたえられる」簡単に理解できるようで、奥深い慈悲の言葉と感ずる。早速飾ってこの仏語をじっくりと考えたい。


特選句短冊にて喫茶店に飾る

2013-01-10 11:55:14 | Weblog

 年男俳句さらして陰と生る

  

 

 先月の俳句教室で「初霜やモカの香りの喫茶店」が特選句に選ばれた折に先生いわく、行きつけの喫茶店がありましたら、この句を短冊に書いて飾って戴くと良いですよと、思いがけないことをオッシャッタので、早速行きつけの喫茶店(空楽)に話をして飾って戴いた。確かブログに書いたと思う。その後、喫茶店では、他に自信句があったら飾りたいので短冊にして下さい言われましたが、今迄選句された特選句が数句ありますが、何か気恥さがあり遠慮しておりましたが、何回も熱心に言われますので、少しでもお役にたてばと思い直し、持ち前の心臓の強さで、特選句に選ばれた写真の数句を店内の所々に飾って戴いた。その後、度々喫茶店へコーヒーを飲み寄りますと、お客様が感心されていますよ、と店の人達から、喜んでいただいている。多分に世辞が含まれているなと思う私です。

 


枯露柿

2013-01-09 13:23:20 | Weblog

丹精の枯露柿抱へ友笑来

長野市に在住の友人が久しぶりにやって来た。彼は二.三店の銀行の支店長を務めあげ、関連の会社に執行していましたが、六十八歳を期に退職し長年の念願であった農業に従事している。冷たい数字の世界から暖かいアナログの世界へ転向したいのが夢だったようだ。奥さんと二人で毎日の農業に精を出している。農業は専業では生活採算が大変だろうが、彼は年金をもらいながらの気楽な農業だ。また数年前から「枯露柿」造りに精を出している。今は採らない渋柿が多い中、市場から大量に仕入れては、手造りの枯露柿を造っている。美味しさと珍しさとで善光寺の仲見世のお土産店でよく売れているようだ。皮剥き機を導入しても、吊るして自然干しに大変な手間が掛かるようだ。彼からいただいた枯露柿は、やわらかく深い甘みのなかなかの絶品に驚く。私は枯露柿が大好きなので、先般ブログにしましたが、ネットで購入した有名な市田柿の枯露柿より数段に美味しい。「名物に美味しいものがない」という格言そのものだった。


雪国の彩り

2013-01-08 08:12:12 | Weblog

雪帽子紅の実ふくらみぬ

   捥がぬ実の寒村に射す明りかな

一昨日木島平村の知り合いの御葬式の御悔みに出掛ける。雪に覆われている雪国は、白一色だけで彩りがないさびしい冬景色である。ふと車窓から目に留まった木々の赤色が、彩りがない村郷を明るくしていた。早速写真にする。上の赤い実は多分七竃の実だと想像する。下の実は秋に捥がれなかった柿だった。七竃の実と残り柿は新雪に覆われ、花が咲いたような錯覚にとらわれるほどに綺麗だった。

 


初句会

2013-01-07 16:57:55 | Weblog

     行き届く夫の掃除や息白し  智子さん

     年の火に鯣焙るや佐渡暗し  男さん

     クリスマス湖辺に拾ふ白き羽 洋子さん                                     

      開戦日自分の陰に躓きぬ    洋子さん        

     鮟鱇鍋寡黙な父の饒舌に     正義

 今日は今年初の俳句教室でした。出席者はまだ正月なのか少なかった。だが掲出句は多く105句からの選句でした。上の五句は特選句に選ばれた句です。私も一句仲間に入せていただいた。先生いわく、初句会は総じて良い句が沢山出たとのこと、その中からまぐれにも特選句に選ばれたことは、素直に喜びたいと思った。何時も私の隣に座る同期で、この句会の捌をただいている利之さんは、詳しく何方か言いませせんでしたが、この教室に俳句を詠むことが生甲斐で俳句が好きで仕方無いという方が数人いるんですよと言われた。私はいまだにそんな心境になれないでいる。


甲斐甲斐しく働く

2013-01-06 08:27:47 | Weblog

嫁ぎ来し四十五年や去年今年

 正月そうそう、おのろけではありませんが、写真の家内は私のところへところへ嫁いで、昨年の11月23日の勤労感謝の日を迎えて、丸四十五年の歳月が過ぎた。上場会社の事務の仕事をして青春を謳歌していた家内は、突如と先輩従業員と小姑(妹達)が働いている忙しく厳しい商いの道に騙されたかのように嫁いで来て、多くの辛い経験を経て良く頑張ってくれました。指先が曲がった証拠が多くを語ることは要らない。今でも、孫達のママ(二女)は働きに出ていますので可愛い孫達の世話をしながら健康で甲斐甲斐しく家事に専念していてくれます。口には出しませんが、心から感謝している私です。

息災であれよと願ふ七日粥

 七草粥明治の味の漂へり

 

  芹(せり)薺(なずな)御形(ごぎょう)繁縷(はこべ)仏の座(仏の座)菘(すずな)蘿蔔(すずしろ)

明日は春の七種の野菜を刻んで入れたを七草がゆといい、邪気を払い万病を除く占いとして食べる。呪術的な意味ばかりでなく、御節料理で疲れた胃を休め、野菜が乏しい冬場に不足しがちな栄養素を補うという効能もあると言われている。孫のお兄ちゃん(6歳)は春(野菜)と秋の七草(花)と干支の十二種を全部言える。これには俳句を齧る爺としては参った。 


待ちに待った初晴れ

2013-01-05 16:26:15 | Weblog

天空に雲ひとつなき初山河

五日晴ゆったり映し千曲川

 

鎮まりて雪を被りし高社山

おめでとうございます。本年もよろしくお願たします。元旦と二日は穏やかな日でした。スキー場に適度な雪があって里には少ない雪でしたのでこの分だと良いお正月を迎えることが出来て良かったね。と家内と喜んでいましたが、その束の間の、三日四日と気が狂ったように雪が降りまくった。ようやく今日五日なって清々しい青空の一日となった。第二次安倍内閣は、テレビ、新聞報道によると経済再生一辺倒の年明けとなる。要するにお金お金である。国民も景気対策の必要性を40・3%と最も高く希望、デフレ脱却を最大の目標に掲げた新政権への期待の高さがうかがえる。はたして経済、経済で、この国は救われるのかと、一抹の不安を覚えるあまのじゃくな私がいる。何とか経済に頼り過ぎなく、国民が一丸となって知恵を絞り合えば、格差の少ない社会が出来るのではと思う。経済は大切であるが冷たい、必ず陽の裏に陰が存在する。安倍内閣の掲げる目標二パーセントのインフレターゲットを達成しても、必ずどこかに大きな歪が生ずるような気がしてならない。ともあれ、かつてない、難しい外交、経済に直面している我が国日本丸が沈まないことを強く望む正月である。