どんど焼きおのこ一人や寂しかり
私の住む町の(どんど焼き)は昨夜行われた。ここにも少子化の波、二百数十戸ある町のなかで昨年の男の子の誕生はたった一人とのこと、家の孫のお兄ちゃんの六年前は四人お祝いしていただいたが、以来、一人か二人の男の子の誕生でしかないらしい。俳句では道祖神祭りと言う季語はありますが、ここらで言う道祖神だけの季語は見当たらない。ネットでは、こんなように説明してあった。「小正月に正月飾りや締め飾りなどを焼く「どんど焼き」ともいわれる行事は各地で行われています。その歴史は古く、平安時代に宮中や公家の宮廷行事として記録に残っています。
道祖神は、「どうろくじん」「さいのかみ」「さえのかみ」などとも呼ばれ、災厄の進入を防ぐ神とされ、石像などに刻んで村境や辻などに祀っています。また、子供の成長や子宝祈願などの対象として、ほぼ全国に広く祀られている民間信仰の神です。中部地方から関東地方を中心とする地域では、この神を石像などに刻んで村境などに祀り、この祭りとして小正月に火祭りを行うことがひとつの特徴となっています。その内容は各地で多彩な内容を持ちますが、長野県の北信地方では、初子の祝い・厄年の祓い・良縁祈願などの性格をもつとともに、火をめぐる攻防戦を伴う道祖神祭りが伝承されています。とりわけ野沢温泉の道祖神祭りは壮大な規模で行われることで知られています。この祭りがいつ始まったかは定かでありませんが、道祖神碑には「天保十巳亥年」と刻まれていることや河野家に残されている「文久三年道祖神小豆焼帳」などから江戸時代後期にはすでに盛大に行われていたことが推察できます。とあった。私は寒さは禁物ですので、「どうろくじん」の火まつりの現場には行かずに留守番となったので、家内に火が盛大に燃えている様子を写真にと頼んだのですが、火をつける時間が早かったのか、孫達が行ったのが遅かったのかさなかではありませんが、竿に吊るされた御祝いの書き初めや「どうろくじん」が燃え尽きた後の寂しい写真でした。また、こんなことを記すと自慢話に取られるかもしれませんが、戦後しばらくは各字町で毎年一月十五日に盛大に行われておりました「どうろくじん」は原因はさなかではありませんが、自然消滅となり影を潜めてしいました。その後、数十年の空白がありましたが、私は若かりしころ、私達若者が住んでいる町始め、商店街の発展の為に立ち上げました「十五日会」が活躍していました。もう四十年近く前になりますが、私が会長の時、年中の活動計画のなかに、途絶えておりました、道祖神祭りを復活させることを提案し、会員の賛同を得るとともに、時の区長さん初め区民の協力を得て、プランニングからオペレーションをつつがなくこなした思い出が蘇ります。我が町の大成功が火種となり、以後各字街に広がって今でも年中行事となり続いていることが、私共若かりし頃の「十五日」会のメンバーの誇りとなっております。
行って見たいと思うが、なかなか行けませんね。
目の方ですが
昨日の診察で左目の手術後経過順調なので退院しても良いと言われ午後退院しました。4泊5日でした。
マーヤンも春にするように決まったのですね。
手術すると視界が開け明るく見えとても良いですね。
この道祖神は、私が住んでいる町の火まつりです。野沢の道祖神祭りはこの何拾倍と盛大です。観光客がこの「どうろくじん」の見学の為全国から何万と訪れます。この「どうろくじん」に火をつける人とその火を消そうとする双方の攻防戦が大いに盛り上がります。野沢温泉の人達はこの「道祖神祭りの為一年中の準備と言っても過言ではないほどに大きな行事です。
でも良いですね。
当方ではこんな立派なのはみれませんからね。
成人式の今日は生憎の雨で新成人が可哀そう!!
でも雨降って地固まるで良い事ですね。