正解はウィルソン・ラグでした。 まさかのインフルで外出もままならなかったが、土曜ひさびさに笠間方面へ。カミさんが半年ぶりくらいじゃない?って、そんな大袈裟なw ドゥシーヴォで江口マスターがブルーノートのより抜きCDシリーズを掛けていた。いっときソニー・クラーク狂いだったワシは、サイドメンのコルトレーンがトチったまま録音された盤があるんですよ、などと云う。え、ほんとかい?コルトレーン集もあるよ、などと出して来たら、収録されてるじゃないの!クラークのブルーノートに於けるリーダー作2枚目、ソニーズ・クリブ('57)の「スピーク・ロウ」がそうなのである、この曲、AABAという標準的な構成乍ら一コーラスがとても長い。アドリブでAを吹き終わったコルトレーン、次がAの繰り返しなのを忘れてB(いわゆるサビ)に突入してしまい、気付いてしばし沈黙の後、吹き直すのである。最初のAはシーツ・オブ・サウンドでバリバリ吹きまくる、そりゃカッコいい演奏であると、コルトレーンの名誉のために書き添えます。
うわ、もうこの時刻か。カミさんがあえなく風邪でダウン、メシ買って帰ったりと、いろいろ気を使っておるのですが。こっちももう早く寝て明日に備えよっかな?
もうひとつ持ってるカポタストをネックに巻き付けた後、スライドさせてみたら出来ましたよ、カポの移動。樹脂製と思われるバーに絃の跡がくっきり付いて、汚れが多少心配ではありますが。元は Little Martha を弾くにはギター二挺分のカポが必要と購入したもので、思い切りケチってゴムバンド式をチョイスしたのがこんな所で役に立とうとわ。そういう訳で Of Thee I Sing 、何やら現実味を帯びてきました。15曲のうちで最も音数が少なそうなとこも魅力的。カポの方は中心を通ってるシャフトの断面が少し引っ掛かるので、ヤスリ掛けしておこうか。
当初の計画は楽譜集に収められた15曲を弾けても弾けなくてもいいから(まあ、弾けないだろうけど)とにかく全部触ってみる、であった。一週間ついつい入れ込んでしまったが、此処で立ち止まったらアカン、次行くぞ。てなわけで、9番目 Of thee I sing。この曲、当初1フレットに付けたカポタストを転調のタイミングで3フレットにずらす、という離れ業を要求してくる。そういうことの出来るカポタストをわざわざコメントするという気の使いよう、編曲者(=演奏者)の人柄が偲ばれるなあ。それでも流石にそれは出来んでしょうと遠ざけていたものの美しいテクスチュアに惹かれて、そのなんだ、触ってみました、カポ移動前まで。唄付きだが、ギターとヴォーカルがユニゾンになる箇所があり、やってみたい、やってみたい
譜面を添えた短い特集でしたが、如何だったでしょう?僅かなりとも皆さまのギターライフのご参考になれば幸いです。中の人は譜面の新規作成やら切り貼りやらで結構神経を使ってましたが、自分の描くかたちというのがやる程に固まってくる感じで。でも一方、こんなちゃんとしたかたちに弾けんのかあ?と疑心暗鬼になり、そんな日はついぞ来ないだろう、と悲観的な気分に浸ってます。ま、いいかあ、なるようになったところでいいにしょ。
3、4、5小節の偶数拍は三連符によるくすぐりを入れている。4、5小節第二拍は本来メロディと三度下のハーモニーで重音となるべき所を分散してリズミックな要素も併せ持たせたわけだ。7小節第一拍ウラと第三拍は人差し指によるシュトラム指定で、一拍ウラは二音に見えるが実際は3絃6フレット、2絃5フレット、1絃開放と押絃した三音である。高い方の二つは同度になる、こういうサウンド作りが随所に見られる。(この項終わり)
メロディをみてみよう。上に書き出したのと比べると、緩やかに下降するそれの3度下にハーモニーが寄り添ってるでしょ? 11小節第一拍、ここのコードはサブドミナントのA6なのだが、付加されてるのはレ#、主音ラに対し増四度であり格好のアクセントになっている。ハーモニー自体は基本(バス+三声)の四声であり、たいへん厚い。2/8の記事に耳コピ(b)を添えたが、そちらはそこが聞き取れず三声のハーモニーに始終している。やっぱり肉食でないとダメなんか?メロをハイポジで取って変化を付けてる積りなんだけど(耳コピにアレンジを加えるのもどうかと思う)。
http://blog.goo.ne.jp/halcyon1772/e/9607937c6e1a5575f2f843bb1e28c154
いままで何にもないところで音楽の具体的な話をしてきたので、何云ってんだかさっぱり?という向きもあったと思うが、譜例を示すことで少しでもご理解が得られたのではないかと期待している。まあ、間違った説明は今後一発でバレてしまうであろうが(汗)。で、そんなもん晒してアンタ何やってんのよ!ともお思いであろう、実はブログを見ながら練習しているのであった。現に今回もバスの説明をし乍ら、自分で弾けないばかりかラインすら唄えないことに気が付いたし、スムーズな音運びになるよう運指を一部手直し中である。書くというのは実に有効なのだった。(後半へ続く)
八分音符の連なりはイーヴンでなく2:1で弾く。しかしSwing感の表現はそれだけでは不足で、例えば6小節第1拍裏のド#から第2拍ファ#は親指を絃に引っ掛ける様にしてワンアクションで弾く(スラー表記はしない)。これに拍の頭打ちであるメロディが絡むと、俄然躍動感が出てくる。これがアレンジの基本コンセプトで、元はと云えばカントリーブルーズ奏法に由来するものだ。更に9小節第3拍のシが半拍先取されているのも見逃せない。
(a)はレコードVer.('72年)を楽譜('80年)収録時に手入れした、云わば最終版。(b)はそのレコードの耳コピである。しかし(b)は(a)のMIDI演奏を譜に落としたのを元に耳コピした、というフクザツな経緯もある。ギターのための演奏譜という位置づけ、旗が下を向いてるのは親指、上を向いてるのは人差し指・中指・薬指のいずれかで弾く。チューニングはスタンダードだが、レコードでは全絃半音下げている。おそらく原曲が変ホ長なのだろう(未確認)、ただテクスチュアが厚いのに低い音域で演奏するので聴こえにくく、次作以降では別なセオリーが用意されることになる。
左手はどう押さえてどの指で弾くか?みたいなことばかり考えてやってると、ちゃんとメロディに聞こえるか?等たいせつなことを見逃しがちだ。曲運びという点では、前者の選択も重要ではあるが。Miller氏の編曲は巧みで、メロディの切れ目に出来る谷間に合いの手を挟んでスキマが空かない様はかっている。その合いの手にも長いのやら短いのやら様々な種類があって、そのうち一覧にまとめたいところであるが、例えば人差し指で弾いたメロディの一音に続けて、その指の返しでシュトラムを入れるとかなんとか。今日書きたかったのはそういうことじゃなかった筈なんだが、なんだかこうなってしまったのだった。。。近々、Miller氏のオリジナルと同じ箇所を耳コピしたやつを並べてお目に掛けましょう。
楽譜 Fingerpicking Gershwin に収録された15曲から Someone To Watch Over Me、幾つかの楽節のうちいちばんよく知られた部分を履修中。冒頭4小節をやってたのだけど煮詰まってしまい、クールダウンということで。スイング感を出すことに編曲の重きが置かれており、その表れとして親指に拠るグリッサンドや人差し指の上下シュトラムが多用される。でゆっくりさらう時、これらの奏法をもゆっくりやるのか、それともそれ自体のスピードは変えないのか。詰まらんことで悩んでおりますが、試してみて後者の方が宜しいような。細部に拘らずメロディがよく判る弾き方が大切ですよね。
先週、ブラームスのヴァイオリンソナタを聴いて以来、昔はそっちが主領域だったなと思い出し、ヴィオラ脳にあと戻りした。そう云えば最晩年のクラリネットソナタはヴィオラ用編曲があった。と云って難しいだろうな、他にも室内楽はいっぱいあれど、ロマン派の曲群は皆それなりに煩い。当時の自意識とはそんなものだし、それ等を演奏するならそっちにも付き合ってやらにゃならん。それは出来んよなあ、とそれら自意識の萌芽の時代、古典派に遡る。モーツァルトの変ホ長ピアノ・クワルテット K.493 なんかどうだろう?ピアノ入りの室内楽なら絃の比重は低い、他人にやらせてアンサンブルの雰囲気だけ味わうにはうってつけだし、そういう気の持ち方が内声プレーヤーというものでわないか。と節分の福豆を一日遅れで食しながら思う。