銀河鉄道拾遺

SF、かふぇ及びギター

この一週間

2009-03-15 19:15:35 | 日記
3/7(土) 高萩のギターショップ「ウッド・スピリッツ」。ヤイリ製のギターが一本ある。別メーカーでも良さそなものだが、一昨年11月に八郷ギター文化館で所蔵のヤイリを弾かせて貰って以来、なんとなくヤイリ一本ヤイリなの。現在は生産拠点が中国に移ったと伺ったが、しかし弾いてみて悪くはない。ただ左手の指が他の弦に当たってしまうのは、ネックが細いから?さてさて、笠間UTSU工房のヤイリを、もう一度弾いてみなくては。

3/15(日) 笠間「UTSU工房」。早速ヤイリを壁から下ろして貰い、試奏。昨年末に触ったときより、ずっと手に馴染む。ひょうたん型のボディが構えたときにしっくり来るかどうかが懸案だったが、そちらもいい感じ。ウチのエピ君がサンバーストでこのギターもサンバースト、縁があるんですかねえ。そう言えば、いまのに乗り替える前のトラッド・サニーもこんな色だったっけ、やっぱ縁があるんですかねえ。店主と楽しくお話して、帰水。帰りがけにセルシェルが11弦ギターで奏でる1006のメヌエットが、チラと聞こえた。決心は固まった、か・・。

あと5分のその前に

2009-03-13 12:25:44 | 日記
ほんとはここで茨大JAZZ研の名バンド「あと5分」のライブについて書くべきところなのであるが、何故か少々疲れてしまったので、そのうち気が向いたときに書くことにしよう。また、これに先立つ1月16日、スタッツ・オーケストラはここから少し離れた自由が丘スタジオでライブを敢行しており、それには若干わたしも関わっているゆえ、そちらのほうもいずれ触れるであろう。それから同年10月31日をもって無念にも閉店してしまったJAZZ SPOT「ダウンホーム」の最後の模様なども、忘れてしまう前に記しておきたい。ああ、こんなんばっか・・・

1999年3月13日(土)前夜

2009-03-12 12:37:50 | 日記
10年前の3月13日の事を10年後の該当日に書こう、と思ったが、背景等にも触れると一日分では入りきらなそうなので、きょうはその前振り。
水戸市末広町にあったJAZZ喫茶「ダウンホーム」では当時、社会人ビッグバンド、スタッツ・オーケストラのメンバーと、茨城大学JAZZ研究会に所属する学生により、毎月第三土曜日にライブが行われていた。穴倉のようと形容されたその店内は当然のごとく狭くて、演奏者は奥の壁を背にオーディエンスと膝突き合わせて演奏していた。スペースを確保するため、店内の余分な椅子やテーブルは屋外に積み重ねてしまう。雨が降った日、それらはいつもびしょぬれとなった。夜8:00にスタートし、ワン・ステージ40~50分、これを3ステージやるのだが、最初の2ステージはスタッツが勤め、第3ラウンドは入り乱れてのセッションとなるのが慣わしだった。客は身内がほとんどだったが、どこで聞きつけたのか贔屓にしてくれる客もちらほらいて、この頃はもう毎回満杯の状態が続いていた。
JAZZ研のメンバーが参加するようになったのは'96年だった。当時、学内には、いわゆるJAZZを演奏するメンバーがほとんどいなかった。ペットが一人いたが、ひとりでは演奏もままならない。そんなところへ新入生の女の子3人が入部してきた。程なく彼女らは、ここしばらく疎遠になっていたJAZZ研とダウンホームの交流を復活させることになる。オレンジ色のアクリル製ドアは、一見さんには敷居が高かったろうに。その後、彼らはJAZZ人口を少しずつ増やし、演奏にも徐々に自信をつけてきた。社会人バンドとの交流もずいぶん活発になった。
長崎から来ていたペットの彼は、温厚な人柄でJAZZに対する情熱も深かったので、後輩たちの人望が厚かった。そんな彼も卒業を迎えることになったが、それではその記念にJAZZ研主催でライブをやろう、という話が持ち上がる。日取りも'99年3月13日(土)に決まり、4年+2年×2人+1年×2人というクインテット編成のバンドは毎日熱心に練習に励んだ。

錫高野支線

2009-03-11 12:20:31 | 日記
春めく朝、仕事で錫高野へ。読みは「すずごや」。水戸の北西に位置する旧常北町の山深い地域なのだ。その昔、鉱山があって、その名の通り、錫やタングステンといったレアメタルを割と最近まで産出していた。そこへたどり着くまでがまた興味深い。かつて赤塚=御前山間を走っていた茨城鉄道茨城線の線路跡から分岐するように道が続いているからだ。実際、鉱山跡にはトロッコのレールが今も残っていて、鉱山から最寄の石塚駅まで支線があったなどと想像するのは、あながち根拠がないわけではない。そんなことをぼんやり考えながらのドライブ(もちろん安全運転ですよ)は楽しい。

それはそうと、昨晩、ボブ・ディラン「ブロンド・オン・ブロンド」が我が家にやってきた。齢50を目前にして今頃感激するな、と言われそうだが、よいものは良い。

で、辞めました

2009-03-10 12:24:12 | 日記
栃木の奏楽塾。3/8の総会にはjobの方が繁忙期を迎えているので出席しない予定だったのですが、掲示された新体制の議案に私の名前が含まれてるのを見て、こりゃ行くしかないべ、ということになり、ヒーコラ栃木まで往復してきました。会計業務の引き継ぎが不十分でまっこと申し訳アリマセン。未納である会費の振込みがまだ残ってますけど。
退団については一昨年の半ば、シベリウスやヴィヴァルディやってた辺りにうすうす考えていたのですが、興味がかなりギターに移ってしまったのと、「クワルテットの楽しみ」に書いてある様に「砂漠でもいいから自分の世界が欲しい」という欲求が勝った結果と言えるでしょうか。'85年~'91年 土浦交響楽団、'97年~'99年 スタッツ・オーケストラ、'04年~'09年 下野楽友奏楽塾、と各団体を渡り歩って参りましたが、よっぽど組織に馴染めない体質なんですな・・。


PIPERS 331

2009-03-06 12:31:13 | 日記
友人であり顧客でもある牛久の楽器屋「ウインズ。ユー」を訪問。事前にメールで知らせてくれてたが、共通の大学オケ時代の友人・近藤治夫くんの記事が、管楽器の専門誌としては老舗の「PIPERS」に載ったそうだ。到着と同時に購入、制作した楽器が堂々と表紙を飾っている。同窓の中では他に染物職人になった男がいて、これがしばらく前、新聞記事になったことがある。牛久の楽器屋も一生懸命仕事と取り組んでいる様子が伺え、カミングアウト組、吼えてるのお、という感じ。

3対1の系譜

2009-03-04 08:52:52 | 日記
例えばメンデルスゾーンop.12とシューマンop.41-3という弦楽四重奏曲の組み合わせを推奨する時、そこにはごく個人的な好みがある。前者は一楽章提示部で一区切りついた直後、後者は一楽章が始まってすぐ4パートが順々に出てくる処。どちらも付点四分音符と八分音符を組み合わせたリズムに基づいたメロディ乃至パッセージが現れて、ここを聴くといつもドイツ音楽のロマンを感じてやまないのです。これは後々ブラームスに受け継がれ、更に成熟するのですけど、今頃なんでこんなことを言ってるのかというと、昨日ブログに書いたバッハのプレルーディオに於ける16分音符の羅列にその原型が認められたように思えたから。こちらは16分音符が一拍に4つずつ収まっててる細切れ状態ですが、これを3対1と意識して弾くと形が整うような気がしたのでした。しっかし演奏すると、とにかくこのパターンは息の長い音型なので、やってのけるにはちょっと体力が必要です。最近、朝の運動、してないなあ、犬も連れてってやらねば。なんだ、この結論

連絡です

2009-03-02 09:06:14 | 日記
このブログをご覧のみなさまにお伝えします。ケータイが壊れました。連絡は別の手段でお願いします。以上、ご報告まで

土曜午前は歯医者、きれいにしてもらったけど手間賃がちょっとお高い。息子を連れ出し、ラーメン屋で昼食。日曜午前はその息子の卒業式。ブラバンの演奏が妙に沁む。カミさんとイタリア料理屋。でこの二日間、それ以外の時間は、シ・ゴ・ト。ようやく引力圏から離脱、気が楽になる。練習は1006プレルーディオのアルペジオ。一小節に12個つまっている十六分音符、この曲は三拍子だから4つ×3拍なのだが、試しに3つ×4拍とやってみたら、左手の指がスムーズに動くようになった。この調子で、もう少し。夜は久しぶりにビストロ・ド・タコへカミさんと。ホッピで割った芋焼酎を飲みながら、ソニー・クラークの名盤を聴く。なつかしい、昔をちょっと思い出す

再び連絡です。ケータイが復活しました。御用の方は、どうぞそちらへ。以上