この年度末でいまの会社の在籍期間がちょうど20年になった。おれの場合は怠惰のなせるワザだ。それでも少し感慨はある、無論シゴトとかけ離れた地点で。ということで、金曜日に首尾よく職場を離脱、「感慨深い」休日を送っている。珍しく読書三昧なのである。読み掛けだった伊藤計画×円城塔「屍者の帝国」を再スタート、その途中パートから帰宅した妻の要請でお花見→夕飯というインターミッション中に、これも前から買わねば買わねばと思っていた、宮内悠介「盤上の夜」をようやくゲット。第33回日本SF大賞特別賞受賞作を読む合間に第33回日本SF大賞受賞作を挟み込むという離れ業をやってのけた。ナンのことはない、John Miller のコピに気が向くのを気長に待ってるだけのことなのだが。しかしさっき soft machine を掛けながら「屍者の帝国」を読んでたら、第三部冒頭にウィリアム・バロウズが突如登場してびっくりした。soft machine というバンド名はまさにバロウズの著作に由来するのだから
全音ピアノ曲集と同じに装丁された音楽ノートが、きのう27日で使用開始から1年を経過、ページも後半に入った。生涯最初の使い切りノートになるかも知れない。いちばん最初に出てくるのは、ネット掲載の little martha Tab譜を五線譜に書き直したもの、あの狂乱が少しだけ甦る。ノートを使う以前はB4のワラ紙にEXCELで線を引いて使用したが、使い勝手と保存の良さからこちらに一本化した。耳コピもアタマから順に始めると決まって難関で躓きそのまま中座してしまう、曲を切り分けて易しい処から始める様にしたら、気分がずっと楽になった(いるでしょ、テストの問題を必ず最初から解き始めるひと)。ノートはこういう場合も便利
気分を変えよう。すばやく変えられる様に訓練する。そのためにはカラダのコンディションを整えておくこと。満腹だと、何をするのもムリ
聴くと採るでは大違い。がんばれ
聴くと採るでは大違い。がんばれ
今朝、少し早く目が覚めたら but not for me のいまいち上手く行かない箇所の指使いがふと浮かんでギターを取ってみるなう。そしたら別のアプローチを2つも思いついてしまい、取り組んでる時ってひらめき易いのかな、などとぼんやり考えた。遠回しの一生懸命?この一週間でちょっと驚いたのは、春分の日に偶然手にしたみうらじゅん氏の「アイデン&ティティ」、あれを読んだにも拘わらず平然と耳コピ作業が続けられた事。その位、衝撃はぱねぇっス、いま一度言いますが、機会があったら是非読んでみてください。(なんたって、オレばっかプレッシャー掛けられたんじゃズルい)
という訳で23~24日の足かけ二日、ガルパン祭りを尻目に粛々と【茨城オフ】が催されました、日動美術館で観たオリーブ樹はカンゲキしたなあ
という訳で23~24日の足かけ二日、ガルパン祭りを尻目に粛々と【茨城オフ】が催されました、日動美術館で観たオリーブ樹はカンゲキしたなあ
まったくもって取敢えずだが、john miller のギター編曲・演奏によるガーシュインの but not for me の耳コピ、昨晩でひととおり終了。3/16に始めて一週間かからずと、異例の短期間。テンポゆっくりで2分にも満たない量だから大したことはあるまいが、JAZZ的イデオムにも多少は歯が立った、という辺りでご勘弁願いたい。そういや2コーラス目でリズムを崩すとこ、まだやってないんだが・・・(今、思い出した)、取敢えずいいか。いっとう最初に採った、人差し指6弦2フレット(おまけに6~3弦をセーハ)、小指1弦7フレットの箇所が演奏上の最大のネック
なんと自転車で常磐線の知られざる踏切を経由して古本屋。CDとマンガのコーナーをさんざ物色した挙句、文庫棚の端っこで久しぶりにインパクトのある書物(まあ、マンガなのだが)にぶつかった。
アイデン&ティティ / みうら じゅん 角川文庫
初出は1992年12月に青林堂から。牛で難儀している場合ではない、粗筋とか感想とかは書きませんが、真っ向から来ますよ、この本、音楽(特にロック・ミュージック)と物語(特にマンガ)の好きな方は読むべし読むべし。実は作中にディランの曲がたくさん織り込まれており、手許の12枚のCDを総動員して順にMDにまとめてみたりした
アイデン&ティティ / みうら じゅん 角川文庫
初出は1992年12月に青林堂から。牛で難儀している場合ではない、粗筋とか感想とかは書きませんが、真っ向から来ますよ、この本、音楽(特にロック・ミュージック)と物語(特にマンガ)の好きな方は読むべし読むべし。実は作中にディランの曲がたくさん織り込まれており、手許の12枚のCDを総動員して順にMDにまとめてみたりした
ワケあって本日、仕事休み。用事も3時には片付いたので、散歩したり買い物したりで、but not for me は主部がひととおり聴音おしまい。はかいく時はいくかもしれないが、だからと言って弾けるとはどこにも書いて無い。熟成の期間は意外な程長いもの。さて興さえ乗れば、これからヴァースを採りに行くんだけど、そもヴァースとは?歌曲の構造とかよく確認する必要あり
酔狂で遠出、真壁町からの帰り、止せばいいのに強風の吹く峠を越えて八郷入り、県内随一と思ってるじょうゆとんこつラーメンを食して帰所。自宅では半ダース買ってきたビールの半分が空く頃、ようやく4小節だかがまとまる。でも今晩は半分の時間を Embraceable You の譜読みに当てたから、余程その方が実りが大きいかもしれない。譜の出典は、一月に買って以来再登場の機会がなかなか巡ってこなかったガーシュインのソロ・ギター集から。Fdur というのは滅多にやったことがないが、フィンガリングは結構自然
前より音がしっかり出るようになった、と思っている。撥弦楽器も擦弦楽器も原理は同じ、弦をしっかり捉えてちゃんと振動させればいいわけだが、果たしてそのココロは?ことギターに関しては、右手の指の腹とツメの状態が音量やらアタックやら音色やらに関係してくるのだけど、昨年8月に打田ギタリストがフィンガーピッカーは皆、指の腹だけで弾きますね、と発言されたを受けて、爪は以前のようにきれいに切り揃えてしまい、意識して腹だけで弾くようになってから、手応えが違ってきたような気がする。あと、ツメの手入れも不要になる、と仰られていた、無精者にはその方が好都合。しかしまだ周囲のみなさんに、「どです?少し音、変わったでしょ?」とはとても怖くて聞けません
休日出勤で精神のバランスを取った後は、河原の土手を散歩して体力増強だ、そして帰宅したら耳コピ・・・。と、ここで大きくつまづいた。ガーシュインのペンによる but not for me はジャズ界で採り上げられるが多いが、ま、ちょっと考えたってジャジーな曲であるのは間違いない。これを演奏するには皆さん大好きテンション・コードを多用することになる。通常弾いてる三声部ではなく四声部が必要になってくるのだ。おまけにバスとメロを同時にこなすには2ポジと7ポジをストレッチして押さえなければならない。えらいこっちゃ
昨晩も John Miller『Safe Sweet Home』を聴いていたんだが、だんだん居ても立ってもいられなくなり、ついMDに「but not for me」を落としてしまった。さーてコピすっか。手許に三枚ある Miller のアルバムはそれぞれ'74、'76、'79年にリリースされているが、ガーシュインの作品を扱うシリーズが含まれている。ラストは特に収録曲全部ガーシュインという集大成盤で、唄も交えながらマーチンから放たれるスウィンギーなプレイにちょっと酔ったと言うか。とて~も歯が立たない様な気はすんだけど、やらないで死ぬと少し悔いが残りそうになってきた、ここいらでやってみますか
お客さんから効果のありそうなダイエットを教わった。その一、朝飯は乳製品を採る。ということで、パンにマーガリンを塗ってまるかじり。そのニ、昼は炭水化物を採ってもいいけど、一品だけ。で、カツ丼にミニカップめんなど追加する。その三、夜は炭水化物は控えて、オカズだけにする。だから、ご飯をオカワリ。・・・いつの間にやら、酒の購入メモは付けなくなったし、もうどうにでもなれば?
繁忙期の疲れ(たいして働いちゃいない)もあって早々に帰宅、アルコー酔いに任せてセロニアス・モンクを久しぶりに聞いている。バッハとの和解も近い。は、話せば判る、る。pノニカからリフレクションズへ、そしてサディク・ハキムの演奏するパノニカ。
春になると、というかこの季節になると、ふとバッハの無伴奏ヴァイオリン曲がムショーに聴きたくなる。というか、なった。今朝、会社に向かう車の中で。交響曲の構造はブラームスのニ長調交響曲から、室内楽のそれはモーツァルトの絃楽五重奏と四重奏から吸収してきた私にとって、ヴァイオリンを吸収する入口となったのは、この普遍の作品よ。楽曲のコーゾーを取り込む度に成長したよな、オレ。へへへ
ところでアクースティック・ギターでセロニアス・モンクとか弾けんかな?先日聴いた、ドナルド・フェイゲンとスティーブ・カーンのデュオが奏でる「リフレクションズ」は刺激的であった。ま、やるとしてもメロだけで十分だけどね
ところでアクースティック・ギターでセロニアス・モンクとか弾けんかな?先日聴いた、ドナルド・フェイゲンとスティーブ・カーンのデュオが奏でる「リフレクションズ」は刺激的であった。ま、やるとしてもメロだけで十分だけどね
夜中の2時半ころに起き出して、ごそごそやってます。ふと目を覚ましたら喉が痛かったので、お茶でも飲むか・・・というのがそもそもだったのだけれど。大体花粉その他が吹き荒れるこの二日間、健康増進と称して河原の土手なんか散歩してるんだから、当然と言えばそうとも言える。ま、それにしてもブログもツイートもそれぞれ過不足なくやって、おまけにギターもまあまあ練習してるなんて。おれって中年(初老?)のカガミ(クズ?)?とーとつですが、ギターでアルペジオを弾くとして、6弦弾いた後すぐに1弦が来るようなシチュで、二音を続けざまに弾いてしまうのはどうか?とギモンが沸いた。2オクターブもの開きがあるんだもの、6弦がズンと来た後、しかるべきタイミングで1弦がそれに続くのが、自然てものだよなあ。例えばピアノで考えたってそーだろ。先日のダコタ・デイヴ・ハル氏の演奏は風格に満ちていたけど、そういうあるべき姿を忠実に追ってる態度が演奏に現れてる、とも言えるのだろうね