県北、高萩の自動車修理工場が顧客だ。担当が同僚に替わって以来、もうずいぶん足を運んでいないが、工場の裏手の細い道には昔、炭鉱から石炭を搬出する鉄道が敷かれていたと、そこの社長から伺ったことがある。テツ分の多い血が流れている私はそんな話を聞いただけで、緩い坂を炭車を牽いてえっちらおっちら上ってくるカマ(蒸気機関車のこと)を妄想しながらエヘヘと涎を垂らし、いつまでもぼうっとしていたが、生来ぐうたらな性分はそれ以上調べたりするのを欲さず、年月は過ぎた。昨日、その廃線跡を地図と古い記録を元に丹念に辿ったHPを発見したが、それによるとその鉄道のゲージ(線路幅のこと)は、JRの1,067ミリよりも狭い762ミリだったそうだ。うー、憧れの軽便鉄道。一体、どんなカマが走っていたのだろう?涎の量が一気に倍に増えた
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この時期だとカマは輸入機だったかも!手許のカタログを引っ張り出しているところです
鹿島軌道も、ガソリン動車というと九十九里や笠間と同じ丸山製か、沼尻みたいな雨宮製か
そして終点の大貫と鉾田の両駅には転車台があったそうです。
以上は元運転士氏から伺った話です。
やっぱり国産なのか?そうなるとカタログが手許にないので、もうわからないですね