銀河鉄道拾遺

SF、かふぇ及びギター

忘却の鉄路、忘我の鉄道

2011-04-19 08:42:10 | 日記
県北、高萩の自動車修理工場が顧客だ。担当が同僚に替わって以来、もうずいぶん足を運んでいないが、工場の裏手の細い道には昔、炭鉱から石炭を搬出する鉄道が敷かれていたと、そこの社長から伺ったことがある。テツ分の多い血が流れている私はそんな話を聞いただけで、緩い坂を炭車を牽いてえっちらおっちら上ってくるカマ(蒸気機関車のこと)を妄想しながらエヘヘと涎を垂らし、いつまでもぼうっとしていたが、生来ぐうたらな性分はそれ以上調べたりするのを欲さず、年月は過ぎた。昨日、その廃線跡を地図と古い記録を元に丹念に辿ったHPを発見したが、それによるとその鉄道のゲージ(線路幅のこと)は、JRの1,067ミリよりも狭い762ミリだったそうだ。うー、憧れの軽便鉄道。一体、どんなカマが走っていたのだろう?涎の量が一気に倍に増えた
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4 コメント

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小生宅の傍 (水浜軌道)
2011-04-20 23:23:47
今から81年前に廃線になった当地を走った鹿島軌道も軌間は762ミリでした。ただし最初は機関車牽引でしたがガソリン機関車で、後にガソリン動車になりましたので蒸気機関車は走りませんでした。
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ワクワクします (愛宕町私設ライブラリ)
2011-04-21 08:46:58
手綱炭鉱軌道は明治29年(1896年)の開業、しかも当初から蒸気機関車を導入した、と解説にありました
この時期だとカマは輸入機だったかも!手許のカタログを引っ張り出しているところです
鹿島軌道も、ガソリン動車というと九十九里や笠間と同じ丸山製か、沼尻みたいな雨宮製か
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車輌は (水浜軌道)
2011-04-21 23:20:43
開業当初はT型フォードで、のちに丸山の片運転台ガソリンカーが導入されたそうです。
そして終点の大貫と鉾田の両駅には転車台があったそうです。
以上は元運転士氏から伺った話です。
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見つかりませーん (愛宕町私設ライブラリ)
2011-04-25 08:37:50
コッペルあたりだろうと見当をつけてみたものの、該当しそうな機関車は見当たらず。
やっぱり国産なのか?そうなるとカタログが手許にないので、もうわからないですね
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