十七音のアンソロジー★。・.:・゜'☆,。.:・゜'★

虚と実のあはひに遊ぶ  Since 2008 by Midori♡ H

蜜柑の花

2015-07-13 | Weblog
捩れたる時空を薔薇の咲きのぼる    
ひのくにの斜面に匂ふ花蜜柑        
曼陀羅の中より生れし夏の蝶        
海に向く砲口ひとつ樟若葉      みどり


*「滝」7月号〈滝集〉菅原鬨也主宰選

 夏目漱石の『草枕』で有名な、熊本県天水町では、有明海に面した山の斜面を利用した蜜柑の栽培が行なわれています。他にも河内の晩柑、不知火のデコポン、八代の晩白柚など甘くてとても美味しい蜜柑がいっぱいです。(Midori)

春愁

2015-07-11 | Weblog
頬杖も春愁の身の置きどころ    西 美愛子

春愁は、春の華やかさとは裏腹に何となく憂わしい思いである。「春愁の身」と、どこか気だるさを漂わせた女性の肢体を想像させて、「置きどころ」と、下五への展開は、まさに宮中の女性さながらのリアルさである。「頬杖」を、「置きどころ」という一つの場所として機能させてみせた新鮮な発想が魅力的な一句である。「阿蘇」7月号〈当季雑詠〉より抄出。(Midori)

2015-07-10 | Weblog
熊蜂に下五乱れし一句かな     本田久子

上五中七まで、すらすらと粛々と詠んでいた作者である。ところが突然の熊蜂の登場に、俳句どころではなくなったのである。あと下五で決まるはずの一句が、「下五乱れし一句かな」と、自嘲の一句になってしまったようだ。しかし、熊蜂の怖さが十分に伝わる臨場感のある一句となっている。「阿蘇」7月号〈当季雑詠〉より抄出。(Midori)

春の虹

2015-07-09 | Weblog
春の虹二重虚子とも愛子とも     今村征一

虚子の小説、『虹』の一小節、「あの虹の橋を渡って鎌倉へ行くことにしましょう。今度虹がたった時に……」は、ヒロイン愛子の台詞である。虹は、作品のテーマとなって展開し、虚子は、“虹立ちて忽ち君の在る如し”など、虹の句2句の相聞句を残している。さて、春の虹でも、滅多に見ることのできない二重の虹に、虚子と愛子の細やかな師弟愛を偲んでいる作者である。薄命のヒロインを思えば、儚く消えて行く「春の虹」の季語の斡旋も見事な一句である。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

ふらここ

2015-07-08 | Weblog
ふらここや宙に浮かせてゐる返事     中原和代

宙に浮かせている返事は、さて何だろう。いずれにしてもYesかNoか、どちらか一つ。そこで斡旋された季語は、ふらここ。まるでブランコの振れる角度に、返事が宙に浮いているような錯覚を覚えるから楽しい。その角度は90度からだんだんと小さくなっていくのだろうか?返事は、いつまでも宙に浮かせてはいられない。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

春雷

2015-07-07 | Weblog
春雷や人に無防備なるうなじ    荒牧成子

「人に」というのであるから、「その他の動物はどうだか知らないが」といった言外の意味も含まれていそうだ。さて突然の春雷に、小さく屈んだその背は、どこも無防備だと言えそうだが、細く白いうなじは、どこよりも繊細で無防備だ。「春雷」ならではの艶やかな「うなじ」が眩しく目に映る作品である。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

2015-07-06 | Weblog
玻璃一つへだてて真夜の大桜     内藤悦子

玻璃一つ隔てて、異にしている二つの空間。一つは、大桜の咲いている夜の闇であるが、桜の歳月を思えば、漆黒の闇に咲く大桜の妖艶さは格別であったことだろう。そしてもう一つの空間は、作者の居る場所。そこは、「真夜の大桜」を見るための最高のギャラリーなのだ。日本画をみるような迫力のある一句である。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

春潮

2015-07-05 | Weblog
春潮や天草を指す方位盤      堀 伸子

「天草を指す」のは、九州本土にある方位盤であり、作者の立ち位置でもある。かつて天草は、鉄橋もない離島であり、隠れキリシタンの里として知られ、長く江戸幕府の直轄に置かれた天領でもあった。「天草を指す方位盤」にそんな感慨を新たのしている作者ではないだろうか。しかし今も昔も変わらず「春潮」は、明るい光を放っているのである。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

2015-07-04 | Weblog
バンザイのかたちに軍手干して春     加藤いろは

棒の先などに、両手揃えて軍手を干せば、成程「バンザイのかたち」。軍手と言えば、作業用の手袋として、何かと便利なものだが、もともとは軍用手袋の略語である。「バンザイ」と言いながらも、実際何に万歳なのかわからずとも、何となく嬉しい「春」なのである。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

2015-07-03 | Weblog
大甕の水にさざなみ桜散る     坂本あかり

たっぷりと水を湛えた大甕である。ふっと一陣の風が吹いたのか、「大甕の水にさざなみ」と、僅かなさざなみに気づいた作者である。折しも、桜の花びらが、一片散ったのである。花びらは、水甕に散ったのではないと思われるが、恰も落花によってさざなみが生じたと解釈しても、美しい景が立ち上がってくる。桜が散りゆく一抹の淋しさを、大甕の「さざなみ」に託された作品であり、繊細な抒情が感じられた。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

花冷

2015-07-02 | Weblog
風よりもうすき花冷まとひけり     西 美愛子

「うすき」が、「まとひけり」と、上手く呼応して、まるで薄衣を纏っているようである。「花冷」は、桜の花が咲くころの寒さを言うが、どこか楚々とした美しさが感じられるのは、「まとひけり」の言葉の柔らかさによるものだろうか。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)

入学

2015-07-01 | Weblog
一列にひかりとなりて入学す     岩下律子
子の背に万の言葉や春は逝く      〃


小学校入学である。一列に並んだ子どもたちの姿は、いつもより一段と光り輝き、希望に溢れている。どの子も「ひかり」そのものだ。そして、迎えた小学校卒業の日。大きく成長した子どもの背に、声にはならない多くの言葉を掛けるのは、ともに歩いて来た両親だろうか。入学と卒業の喜びや期待に溢れた作品に感動を覚えた。「阿蘇」7月号より抄出。(Midori)