JAZZを聴きながら ふたたび

恥も顧みないで再々開、よろしければお付き合いを

霧笛に想う

2007年06月20日 | m-o

今朝、窓を開けて深呼吸すると「ヴォ~~~~」、かすかに『霧笛』が聞こえます。海には朝霧が立ちこめているのでしょう。
灯台からはかなりの距離があるのですが、今日のような風向きの日には我が家でも『霧信号』の音が聞こえるのです。

あれは、いつだったでしょう。
当時、夫の暴力が原因で実家に逃げ帰っていたとある女性が、私の下で働いておりました。年齢は私より十以上若かったでしょうか。
そのころ「相談に乗って欲しい」と彼女に言われ、(相談といっても、ただただ話を聞くだけでありましたが)変な意味ではなく、一相談者としてお付き合いをしていたのです。
そんなことから深い仲になる、てなことは良くある話ですよね。
もちろん、私も当時すでに既婚者でありましたから、そんなことは許されないわけですよ。だけど、人間誰しも同じ轍を踏むというか・・・・・・・・・・!?

その日も「話を聞いて欲しい」という彼女と、灯台近くの駐車場におりました。ひとしきり話を聞くと、涙ぐむ彼女の横顔が、霧の夕暮れのほのかな明かりでとても色っぽい・・・
「ヴォ~~~~~~」
霧笛が私の背中を押すのです。
「ヴォ~~~~~~」
・・・・・・・・・・・・・・

こらえましたよ、私は。
手も握りました。抱きしめもしました。
でも、すぐに車を走らせ、彼女を自宅へとおくりとどけたのです。(偉い!)
「もう、君の相談相手にはなれないけど、仕事は別、今までどおりのいい仕事仲間でいよう。」

かーーー!、若かったなぁバブ君。

って、「朝からそんな古い思い出話に浸ってどうするんだい」って話ですよ。(笑)
違う違う、だから、そんな話ではなくて

暗い運河のほとりに、その奇妙な意匠の建物はあった。
いったいいつの時代の物なのか、瘡のように生い茂った蔓が壁を被い、屋根瓦のあちこちには雑草が萌えている。
玄関は色のくすんだタイルと、建物自身の重みですっかり歪んでしまった古煉瓦で囲われ、そのきわに丸い中国風の儒子窓が、ぼんやりと灯をともしていた。そのほかにあかりの見える窓はない。
夜が更けると港から檸猛な霧が湧いた。
それがどれほど危険なものであるかは、波止場のどよめきからも知れる。碇泊する船はいっせいに舷灯をともし、おののくように噺き始める。
(中略)
見上げれば、灯の落ちた天井に立派な扁額が掛かっており、おそらく名のある書家の手になると思われる金文字が読みとれる。
霧笛荘 ─ 。
なんとも捉えどころのない名だが、注意深く見れば文字の下には小さな欧文が書ぎこまれていて、この不器用な命名が外国語の意訳であると知れる。

浅田次郎著『霧笛荘夜話』の冒頭節であります。

最近、小説を読む事がめっきり減ってきた私、まして三島の自決に刺激され自衛隊に入隊、暴力団との関わりも噂された過去を持つ浅田次郎を、何処かで毛嫌いしている所もあり、『鉄道員』も『蒼穹の昴』も読んでいませんし、映画『壬生義士伝』ですら観ておりません。

それが、先日、映画『地下鉄に乗って』を観て、
「浅田次郎も、少し読んでみようかな」てな感覚で読んだのがこの『霧笛荘夜話』。

なかなか面白い小説だったと思います。話がそれぞれの部屋で独立しているおかげで飽きないということもあるのでしょうね。すんなりと読み通せました。

あんたら、勘ちがいしてるね。老いさき短い人生は安いか。そんなのは保険屋のセリフだ。いいかい、少ないものほど重いのはあたりまえだろう。(中略)その筋書は誰も変えちゃならないんだ。(中略)てめえの幸せのために、他人の幸せを犠牲にするのは畜生のすることさ。だからあたしらはみんな、自分の人生を変えやしない。太太の人生を変えやしない。

ちょっと良いでしょ。

だからね、今日は、『霧笛』を聞いて、不倫に走りそうになった話をしようと思ったのではなく、浅田次郎著『霧笛荘夜話』の話をしようと思ったのでありますよ。わかった?!(笑)
ところで、「あなたは『霧笛』に何想う?」


さて、今日の一枚は、いわずとしれた超有名盤ですので、細かい説明は必要ないでしょうね。

「恋に恋してしまった私、自分の愚かさに気が付きながらも、どうにもしようがない・・・血のめぐりがわるいので、それを永遠の恋と思っているうちに、恋は私から去っていってしまった。」(「FALLING IN LOVE WITH LOVE」)

私にだって、そんな若い時があったのですよ・・・・・・・・・
って、だからそうじゃなくて(いかんいかん、どうも今日はそっちの話をしたがる傾向がある。)

私の場合、このアルバムは、ヘレン・メリルの一枚というより、クリフォード・ブラウンの一枚といった認識を強く持っています。(ほら、ボーカル苦手だったから、笑)
そして、レコード2枚、CD1枚の計3枚を所有しているのです。
というのも、とあるリスニングの大先輩が
「このアルバムこそ、オリジナル盤を聴くべきだ!!」と宣われた事に起因します。

その時、
「バブ、いいか、このアルバムはなぁ、下手をすれば「STUDY IN BROWN」なんかのブラウニーより、よりブラウニーが感じられるアルバムなわけだ、なぁ。しかも、オリジナルのそれを聴いてこそ価値がある。つまり、・・・・・・・・・」
と、えらい長い口上を聞かされ、やっとの思いでオリジナル盤を聴かせていただいたのでした。
たしかに、オリジナル盤は音が全く違うのです。なんて言ったらいいでしょ、音に鋭さがあるというか(その分、高音部が少し割れ気味?)う~ん、上手く説明できない。
ともかく、私の耳でもその違いは明らか、ちょっとショックを受けました。

当時、すでに私はレコードを所有していましたし、オリジナル盤に買い換えるほどの金銭的余裕もありませんでしたから、その後
「CDで発売されると、音が良くなんかもしんないよ。」
と、CDも手に入れたり、先輩に無理を言って録音していただいたりしたのです。
ところが「う~~ん」どうも違うのですねぇあの鋭さとは。

えっへへへへ、ところが
ついに、3年前、我が手元にそのオリジナル盤がやってくることになったのでありました。(バンザーイ、バンザーイ)

もし、まだ、オリジナル盤を耳にしていない方がいらっしゃいましたら、ぜひともお聴きになってみて下さい。ここにもまた、オリジナル盤にこだわるマニアの気持ちが、ほんの少しわかる要素を感じ取れるはずですし(私は当然そこまでのマニアではありませんが)、下手をすれば、ブラウニーの新しい音源じゃないかと思うほどの驚きがあるはずです。


これがオリジナル盤裏ジャケです。

HELEN MERRILL WITH CLIFFORD BROWN
1954年12月22,24日録音
HELEN MERRILL(vo) CLIFFORD BROWN(tp) BARRY GALBRAITH(g) DONNY BANKS(fl)[3以外] JIMMY JONES(p)
MILTON HINTON(b) OSIE JOHNSON(ds)[1,2,6,7]
OSCAR PETTIFORD(b,cello) BOB DONALDSON(ds)[3,4,5]

1.DONT EXPLAIN
2.YOU'D BE SO NICE TO COME HOME TO
3.WHAT'S NEW
4.FALLING IN LOVE WITH LOVE
5.YESTERDAYS
6.BORN TO BE BLUE
7.'S WONDERFUL

追伸、
来週の火曜日、6月26日は、ブラウニーの命日ですね。
オーク・ママさん、以前に探していた「I REMEMBER CLIFFORD」は、ベニー・ゴルゾンが、彼に贈った追悼曲でありますよ。



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