今日は、「成り行きアラカルト日記」のウフフマンさんより、「ドルフィーの四方山話を」という嬉しいコメントをいただき、エリック・ドルフィーの聴き直しをしておりました。
ドルフィーを初めて聴いたのは、中学から高校にかけてということになりますが、特に意識して聴き始めたのは、高校二年生の時でした。
何故よく憶えているかと言えば、恥ずかしながら高校二年の春に友人から古いクラリネットをもらい、練習をはじめました。その事がバイト先で話題となり「イン・ヨーロッパ Vol.1」のバスクラ・ソロをあらためて聴かされ、ドルフィーを強く意識したのでありました。
もちろん、私のクラリネットへの挑戦は、予想通り何の結果も生まぬまま終わってしまいましたけど。(笑)
それまで、コルトレーン様々の私がドルフィーを耳にしていないわけもないのですが、あまり気にしていなかったのでしょうかね。その時を境に聴きまくりました。
ドルフィーを前衛ジャズとしてとらえる方もいらっしゃいますが、私の感覚は全く違います。オーネット・コールマンやセシル・テーラーといったフリー・ジャズ第一世代とは、やはり一線を画す存在だと思います。
とても抽象的でわかりにくいい方ですが、彼の演奏には、本来ジャズの魅力である軽やかさより、みょうに深刻で重苦しいイメージがあります、かといって前衛とも違う、まさに彼独自の世界がストレートに伝わってくる、そんな感じがするのです。
クラシックのレッスンをドルフィーほど受けた当時のジャズメンは、他にはいないかもしれません。「彼は技術的にも演奏そのものもオーソドックスなミュージシャンだったのではないか?」私は彼をそうとらえています。
あらら、なんだか「バブ、熱くドルフィーを語る」みたいになってしまいました。
ともかく、私的にもっと長生きをして欲しかったジャズメン・ベスト3に彼はランク・インしております。「十月革命」後の前衛派ジャズメンも、当時の伝統的ジャズメンも、彼がもう少し長生きをしてくれていたなら、二派の架け橋となって新しい展開をみせてくれたかもしれない、そんな妄想をいだいてしまいます。
今日、聞き返しても、未だに新鮮みを感じさせてくれるエリック・ドルフィー、大好きなジャズメンです。
ERIC DOLPHY IN EUROPE, Vol.2
1961年9月6,8日録音
ERIC DOLPHY(as,fl) BENT AXWN(p) ERIK MOSEHOLM(b) JORN ELNIFF(ds)
1.DON'T BLAME ME
2.THE WAY YOU LOOK TONIGHT
3.MISS ANN
4.LAURA
追伸、
バスクラの話を持ち出しときながら、Vol.2かい?って話もあるでしょうが、Vol.1は以前に紹介したことがあるので、今日はVol.2にしてみました。
おまけ、
「四方山話」で、ドルフィーを取り上げてみました、よろしければどうぞ。あっと、それから「気持ち悪い年賀状回答編」なんてのもアップしましたのでよろしくお願いします。
>。「彼は技術的にも演奏そのものもオーソドックスなミュージシャンだったのではないか?」
僕はドルフィーは「手癖ミュージシャン」だと思っています。フリージャズは手癖だてで音楽を組み立てていく音楽ですが,セシル・テイラーなんかもかなり手癖で弾いてますが,そのフレーズは無調ですよね。ドルフィーは手癖で組み立てていきますがちゃんと調性を意識し,その上に手癖フレーズを乗せて吹くといったイメージを持ってます。
決してドルフィーを非難しているわけではありませんし,むしろ大好きなんですよ。
でも,全くコルトレーンなどとはアドリブのアプローチが違うと思ってます。もちろん最後はコルトレーンも無調の世界に行ってしまいましたが。
でもジャズって,インプロビゼーションなどとカッコイイこと言っても,所詮,手癖で作る音楽のような気もします。
赤い唇・・・ありそうでないネタみたいですね。
とらえ方はそれぞれですね。
でも、それで良いんだと思います。
千差万別のとらえ方の中で、唯一の共通点が生まれる
「俺、ドルフィー好きよ」ってヤツですね。
「何が良い、どこが良い、じゃなく、ただ好き」結局はここに落ち着くのだと思います。
それにしても、ブログでこんなお話しができることが
とても楽しく思います。
あんな内容で何かの足しになりましたか?
あいかわらず、くだらない酔っぱらいの戯言になってしまいましたが、少しでも喜んで頂けたなら嬉しいです。
くっだらねー、気持ちわりー、年賀状でしたが
少しは楽しんで頂けましたか?
もっと内容あるHPになるよう、努力してみます。