低気圧の影響で雨模様となった今日だったが、昼過ぎのちょっと小雨が止んだグッドタイミングで、久しぶりの「芋掘り」をした。
話せば長くなるが、私の小学校時代の先生のひとりが、その当時「器楽部」という放課後活動の顧問として指導されていたご縁で、器楽部に在籍していた女性たちが音頭をとって、ご高齢になられた先生を囲んでミ二同窓会を企画されたのである。
私自身は小学校時代は、草野球に明け暮れていた少年だったので、全く「器楽部」とは縁がなかったのに、私の双子の妹が器楽部に入ってアコーディオンを弾いていたこともあって、なぜか私も一緒に誘われたということで、奈良県の王寺町のT先生宅のあるJRの駅での待ち合わせに遅れまいと小雨降る中、車を走らせたのであった。
昨夜には先生からお電話をいただき自動車で向かうと言った私のために道順や駅に通じる信号など、細やかなお心遣いでお教えいただいたので、インターネットの検索地図で一応のプリントを出して向かったのだが、駅周辺の細かな改札口や待ち合わせ場所は不明で、たった6人が一同に会するまでに一時間近い時間を要してしまった。
それなりに携帯電話を持っている者もいたのに、お互いの電話番号を知る由もなく、北口から南口、はたまた中央口と改札口があるためにお互いに行ったり来たりしているうちに時が過ぎてしまったのであった。
しばらくして漸く出会えた私たちはお互いに懐かしさと共に挨拶を交わし、先生のお車と私の軽四輪に分譲して、先生の先導でまず先生の現在のお住まいのご自宅へと誘われた。
先生とは半世紀という期間を経ての再会となったはずなのに、全くそんなそぶりや違和感もなく、ご自宅で奥様のもてなしを受けてから、記念撮影をしてから一路、先生が日頃丹精こめて作られている「畑」へと向かった。
秋の収穫の代表的な作物の一つである「お芋」を掘らせていただけるようにと先生が確保していただいていた畑に立ち入って、スコップと軍手でツルを頼りに掘り当てた「サツマイモ」は、ざっと20キロ近くあったと思われるが、ともかくご高齢の割には若い先生の時間の予定で、約15分程度の「芋掘り」ではなかったかと推定される。
小雨模様が断続的に続きそうなことと、お昼ご飯を囲んでの歓談のための時間を十分に取ろうという先生の配慮からか、急いで「芋泥棒」のようなすばやい仕事で、ビニール袋にたくさんの芋を入れて、畑から退散したのであった。
スコップの入れどころの悪かったために、一つの芋は真っ二つに裂かれて、紅芋というか「赤いも」であることも判明したが、マルマルと太った出来のいい「おいも」がたくさん掘れ、帰りの「お土産」としていただくこととなったのであった。
昼食のために予約しておられたレストランで約3時間、食べて喋った昔話と現在は、先生を除いては皆んな同じ年の気楽さ、同窓の気安さも轍だって、笑いと懐かしさで一杯であった。
ほんとうに「人の出会い」っていいもんだなとつくづく感じることが出来た半日となったわけだが、帰宅してお土産の「お芋」を車から降ろしながら、器楽部ではない私が一番よく喋って楽しく過ごさせていただいた「器楽部同窓会」への参加を感謝する思いでいっぱいとなったのである。
話せば長くなるが、私の小学校時代の先生のひとりが、その当時「器楽部」という放課後活動の顧問として指導されていたご縁で、器楽部に在籍していた女性たちが音頭をとって、ご高齢になられた先生を囲んでミ二同窓会を企画されたのである。
私自身は小学校時代は、草野球に明け暮れていた少年だったので、全く「器楽部」とは縁がなかったのに、私の双子の妹が器楽部に入ってアコーディオンを弾いていたこともあって、なぜか私も一緒に誘われたということで、奈良県の王寺町のT先生宅のあるJRの駅での待ち合わせに遅れまいと小雨降る中、車を走らせたのであった。
昨夜には先生からお電話をいただき自動車で向かうと言った私のために道順や駅に通じる信号など、細やかなお心遣いでお教えいただいたので、インターネットの検索地図で一応のプリントを出して向かったのだが、駅周辺の細かな改札口や待ち合わせ場所は不明で、たった6人が一同に会するまでに一時間近い時間を要してしまった。
それなりに携帯電話を持っている者もいたのに、お互いの電話番号を知る由もなく、北口から南口、はたまた中央口と改札口があるためにお互いに行ったり来たりしているうちに時が過ぎてしまったのであった。
しばらくして漸く出会えた私たちはお互いに懐かしさと共に挨拶を交わし、先生のお車と私の軽四輪に分譲して、先生の先導でまず先生の現在のお住まいのご自宅へと誘われた。
先生とは半世紀という期間を経ての再会となったはずなのに、全くそんなそぶりや違和感もなく、ご自宅で奥様のもてなしを受けてから、記念撮影をしてから一路、先生が日頃丹精こめて作られている「畑」へと向かった。
秋の収穫の代表的な作物の一つである「お芋」を掘らせていただけるようにと先生が確保していただいていた畑に立ち入って、スコップと軍手でツルを頼りに掘り当てた「サツマイモ」は、ざっと20キロ近くあったと思われるが、ともかくご高齢の割には若い先生の時間の予定で、約15分程度の「芋掘り」ではなかったかと推定される。
小雨模様が断続的に続きそうなことと、お昼ご飯を囲んでの歓談のための時間を十分に取ろうという先生の配慮からか、急いで「芋泥棒」のようなすばやい仕事で、ビニール袋にたくさんの芋を入れて、畑から退散したのであった。
スコップの入れどころの悪かったために、一つの芋は真っ二つに裂かれて、紅芋というか「赤いも」であることも判明したが、マルマルと太った出来のいい「おいも」がたくさん掘れ、帰りの「お土産」としていただくこととなったのであった。
昼食のために予約しておられたレストランで約3時間、食べて喋った昔話と現在は、先生を除いては皆んな同じ年の気楽さ、同窓の気安さも轍だって、笑いと懐かしさで一杯であった。
ほんとうに「人の出会い」っていいもんだなとつくづく感じることが出来た半日となったわけだが、帰宅してお土産の「お芋」を車から降ろしながら、器楽部ではない私が一番よく喋って楽しく過ごさせていただいた「器楽部同窓会」への参加を感謝する思いでいっぱいとなったのである。