ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「だいじょうぶ」

2010年09月15日 | 感じたこと
 猛暑、熱帯夜が続いた今年の異常な夏にも、やっと翳りか見えたといってもいい感じで、朝晩の気温も25度を下回り、朝方のお布団でタオルケットを手繰り寄せて、体を包んでしまうほどの寝心地の良い、今日この頃となった。

 日中はまだ「残暑」と言うべきか、30℃を超す暑さが残っているが、さすが37度、38度に慣らされた私たちにとっては、とっても快適とでも言うべきか、汗もさほどかかないし、日中の外歩きの営業職にとって欠かせなかった「ペットボトル」の500CCの持参のお茶も残る様になったことでも、いかに過ごしやすくなったかが明確である。

 今日は、9月15日で「中秋の名月」も近付いているのだが、今年の「満月」は、来週の半ばの「秋分の日」の夜であり、さぞ「秋の名月」にふさわしい月を愛でることができそうである。

 また「秋の七草」と称される萩、芒(ススキ)、葛、撫子(なでしこ)、女郎花(おみなえし)、藤袴(ふじばかま)、朝顔が咲く季節とされているが、朝顔に木槿(むくげ)や昼顔を当てる節もるらしいが、春の七草がもっぱら「七草粥」として親しまれているのに比べると、秋の七草は観賞用として、草花の風情を楽しんだり、「中秋の名月」と共に活けたりするのである。

 ところで、秋を感じる季節になってきたが、仕事帰りに立ち寄ったコンビニで小さな本を手にしたところ、「だいじょうぶ」と題した「南風椎」氏の作品があることを知った。

 私も日常的に「大丈夫!」と、何気に妻の言葉に返答していたりして、「あなたの大丈夫は大丈夫じゃない」なんて言われたりすることがあるのだが、この「南風椎」さんという作者の著書「だいじょうぶ」は、とっても素敵な言葉が埋まっていて、多くの読者を魅了しているみたいである。

 「南風椎」と書いて、「はえ・しい」と読むらしいのだが、本名「長野眞」という名前の1948年生まれのおじさんであり、上智大学卒業後、新聞記者、コピーライターを経て、シカゴに留学され、帰国後小学館から出版された「日本国憲法」を共同編集されたことがきっかけで、本をつくる楽しさを知って、自ら「フライ・コミュニケーションズ」を設立し、多くの書籍の企画、編集、執筆にたずさわって、言葉と映像のコラボをも探っている方である。

 現在は横浜の小さな森の中で、自然と共に暮らしながら、「心からありがとう」、「元気ですか」、「いつまでも友だちでいたい」、「あなたがそばにいてくれてうれしい」「あなたに会えてよかった」「夢をかたちにしてください」などの作品を世に送り出している。

 「だいじょうぶ」には、「雨が降っても大丈夫、ずぶ濡れになるのも気持ちいい」とか、「寂しくなっても大丈夫、あなたには私がいるから」などの、とても心に響き、温かくなる言葉が綴られていて、多くの女性たちに人気があるらしい。

 南風椎さんの「森の日記」というブログもあり、ジョンレノンや小野ヨーコさんらの訳本もあるし、新井満さんの「千の風になって」とは異なる「1000の風」という訳本も出されている。

 秋になっても「だいじょうぶ」である。
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菅首相の続投!!

2010年09月14日 | ちょっと可笑しいよ
 二週間にわたって、テレビ、新聞を中心に大騒ぎした「民主党代表選挙」が、今日午後三時前に「菅直人代表」の圧倒的な勝利となって決着した。

 この二週間の騒動は何だったんだろうか。

 特にマスコミの騒ぎぶりは異常な感じではなかっただろうか。

 いくら政権政党の代表選だと言っても、「菅直人VS小沢一郎」の対決の構図がたぶん、とってもマスコミ受けした形として取り上げられて、民主党国会議員400余名が持つ、一人2ポイントの票を巡っては、国会内外で激しいバトルが続いていたと報じられていて、政府の施策や日本の課題もそっちのけで、まだどちらに投票するかを決めていないという新人議員を中心に追い続けたりしていた。

 全国各地と言っても、党員、サポーターとされる人々が何処にどれ程いるのかは、一般国民には見えないのだけれど、全国の衆議院の小選挙区に1ポイントつづの「党員、サポーター票」というのが割り当てられていて、今回の選挙結果によると300の内250近くを菅首相が獲得し、小沢一郎氏に投じられた票は50ポイント少しだったことは、普通の国民、有権者の意識、すなわち一般的な「菅首相にもう少しやってほしい」という願いというべきか、感情と同質の流れが強かったと言える。

 地方議員票は、菅60に対して小沢40だったのだが、地方議員も人の子であり、有権者の支持だけでなく、党内での立場や今後の選挙への当選の可能性に関しての、どちらの陣営につくかの「踏み絵的」投票行動となったと言える。

 いずれにせよ、私自身は民主党支持者でもなければ、ましてや党員、サポーターでもないが、このブログ「ガリバー通信」でも、明確に菅首相が誕生した時期に書いた様に、「菅首相」を「選挙管理内閣にしてはならない」と表現した如く、小沢支配の自民党的政治の傀儡や権力闘争と利害に結びつく組織や業界の方を向いた政治からオサラバして、時間は必要だが、真の有権者、国民の心をとらえる政治へチェンジしていただきたいものである。

 菅直人首相も民主党代表選を終えて、これだけの国民の支持を背景に、国会議員の支持に関しては「206VS200」の薄氷を踏む如き接線とは言え、辛うじて過半数を超える支持を得たのだから、本当に正々堂々と「薬害エイズに取り組んだ」際の初々しく頼もしくも感じた「市民運動出身政治家」としての感性と今までに培った経験を生かして「思い切った菅直人色」での政権運営を目指していただきたいと強く要望する。

 本当に「民主党代表選挙」に限らず、マスコミの論評や予測は当てにならない面が多く、今回の結果が「菅首相の圧勝」であったとしても、新聞、テレビは決して「予想が外れた!」とは言わないだろうが、「予想屋」や「的中率」を競うゲームではないのだから、謙虚に反省し、今後の日本経済、日米関係、安保、福祉、税制、自衛隊、年金など山積した課題に取り組む政策を追って、批判の為の論評ではなく、建設的な実現への応援をしてほしいものである。
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大相撲はやっている。

2010年09月13日 | 感じたこと
 皆さんもご承知の通り、大相撲秋場所が始まっている。

 しかも、横綱「白鵬」が昭和の大横綱「千代の富士」が持つ、大相撲の長い歴史上二位の大記録53連勝に挑むというチャレンジの場所であり、今日三日目の勝利で49連勝に達していて、あと4勝で大記録と肩を並べるという「大相撲」のはずなのである。

 しかし、先場所の「名古屋場所」前に、多くの幕内力士を含む大量の「野球賭博関与事件」により、辛うじて場所は開催されたが天下のNHKのテレビ生中継もなく、盛り上がりに欠く中での二場所連続全勝優勝を成し遂げたのが、モンゴル出身の平成の大横綱「白鵬」なのだが、今場所は平常通りの開催のはずが初日から「満員御礼」どころか、観客はガラガラで、興行的には元通りにはほど遠い「寂しい場所」となっている。

 あの憎まれっ子横綱『朝青龍』との二人横綱の時代とは打って変わって、暴力団関係者との大相撲関連の疑惑が払拭されないまま、大量の幕内力士や十両力士の「謹慎、出場停止」などの影響もあって、番付の見慣れたお相撲さんが大きく入れ替わったこともあって、なかなか「大相撲人気」が回復するには、相当な時間を必要とする様である。

 そんな中、一人横綱を張って、しかも自らの連勝記録をひた走る「横綱・白鵬」の孤独な戦いが続いているのだが、もひとつ盛り上がりに欠くのは気のせいだろうか。

 野球賭博への関与で「譴責処分」を受けて十両に降格したお相撲さんの中に、大阪出身の唯一の関取、「豪栄道」がいたのだが、東十両筆頭に陥落して初日は勝っていたと思うが、元大関「雅山」と元関脇「豊ノ島」が十両で対戦している現実を観ると、とっても現実の厳しさを痛感する実態となっている。

 こんな大相撲の大変な時期に、連勝記録を続ける「横綱・白鵬」の影で話題性は乏しいかもしれないが、現役力士としては最年長と思われる、38歳の大関「魁皇」がカド番大関として元気に頑張っていて、昨日も何とか平幕の29歳の豊真将との相撲で辛うじて「はたきこみ」で勝っていたのが印象的であった。

 それにしても、私たちが「大相撲」に大いに沸いたのは、「巨人・大鵬・卵焼き」とまで言われた時代を象徴する名横綱「大鵬」の頃が記憶に残っているのだが、今やその大鵬の連続勝利記録である「45勝」をはるかに超して、堂々と我が連勝街道を突っ走る「平成の大横綱」「白鵬」を中心とする「大相撲人気」が、徐々に高まればと願っている。

 いずれにせよ、外部理事も投入し、放駒新理事長の下、「大相撲の大改革」がされなければ、現代のプロスポーツ界は、野球、サッカー、ゴルフを中心に多くのスター選手、少年、少女も含む多くの子どもたちと大人たちの人気を独占する競技として盛り上がっているので、昔の時代の「大相撲人気」に胡坐をかいていた「大相撲」では、いくら「国技」と言っても「人気」を回復することは難しいといわざるを得ない。

 
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9.11に思う。

2010年09月12日 | 世界の問題
 2001年9月11日、私たちにとっては茶の間で夜のニュース番組、「ニュースステーション」を観ている最中に、あのニューヨークのマンハッタンの象徴、アメリカ経済のシンボルとも言える、世界貿易センタービルに旅客機が映画のワンシーンの様に突入し、次々とテロが続き、「アメリカ同時テロ」となって、後日イスラム系アルカイダという組織による犯行だと判明したのである。

 とんでもない出来ごとがニュースショーを観ている世界中の人々に衝撃的に伝えられ、三千人以上の人が亡くなり、日本人も数人犠牲となったわけだが、あれから丸9年、世の中はこの事件を忘れてはいないけれど、未だに首謀者と言われる「ヴイン、ラディン」と称される髭面の男も逮捕されていなければ、アルカイダト称される組織も解明されていない。

 そんな中、ニューヨークの事件現場となった「グランド・ゼロ」では、様々な追悼式典やこの地を記憶に残して、世界の平和への足がかりにしょうとする計画や思いも渦巻く中、近くに建設が予定されている「イスラム教のモスク」の建設を巡って、反対運動やイスラム経典の「コーラン」を焼却するという過激なキリスト教会の牧師たちの運動が宣言されたりしている。

 本当に人類は、いつの時代にも「賢いのか愚かなのか」、世界の平和を望みながら、多くの人種間、民族間、宗教間の対立から、全世界的にまた地域的に「戦争や抗争」を続けてきているのだが、またもやこの地を巡って「イスラムVSキリスト」もしくは、反テロのためのテロ的行為を是認するという風潮も交えた「愚かな動き」が渦巻いている。

 世界の中に、多くの人たちが日々の平安と家族や友人、知人たちを含む全ての人々の健康と幸せを祈りつつ、対立する思想や宗教、民族、地域のためには、死をもってしても戦うという姿勢を歴史的に受け継いでいる人たちがいるのである。

 確かに長い歴史の流れの中で、多くの不幸な戦いや抗争が生じて、多くの無駄な犠牲者が出たことは事実であり、あの「9・11」による多大な犠牲も、関係者、遺族たちにとっては「とんでもない事件」ではあるが、「目には目を、歯には歯を」では解決しきれない矛盾が潜んでいるのである。

 キリスト教徒と言っても多種多様な組織、集団が現存しているが、同じくイスラム教徒にしても、まったく穏健な従順かつ真摯なイスラム教徒も多いのだが、一部の過激なイスラム教徒に対する攻防から、イスラムの聖書でもある「コーラン」を焼却するという、とんでもない「嫌がらせ」、「挑発行為」を敢えて宣言する「愚かな牧師」がいることを寂しく思うものである。

 世界から「戦争や抗争」が無くならないのは、人間のエゴであり、特に組織的な自分たちだけが正しいとする「思い上がった組織を守る理念」の結果だと推察するが、人類皆兄弟という様なキレイごとでは済まされないが、愚かな戦いや挑発はやめて、日常の人間的な平安と健康を大切にする個人の延長上で素直に考え直してほしいものである。
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厚労省元局長冤罪事件。

2010年09月11日 | テレビマスコミ
 障害者団体の郵便割引制度を悪用した虚偽有印公文書作成、同行使罪に問われて、求刑では懲役一年六ヶ月を言い渡されていた、厚生労働省の局長だった村木厚子被告に大阪地裁は無罪を言い渡した。

 検察が捜査を通じて描きあげた「代議士の関与、局長の指示、課員の実行犯」という構図自体が全否定された形で、村木被告は満面の笑みで記者会見し、「自分の時間をこれ以上奪わないでほしい」と訴えた。

 完全に検察の敗北である。たぶん控訴はむりだろうから「無罪が確定」、国家公務員の「冤罪事件」として、今後も語りつくされる例となるであろう。

しかし、この事件の背景を考えると、いろんな人間の欲と欺瞞、それに公務員の姿、役得など多くのエゴが介在しているという、シビアな背景が見え隠れしている。

 ともかく、村木厚子被告は逮捕されて以来、ずっと「無罪」を主張してきたらしいが、国会での局長としての答弁ぶりや日常の顔立ち、話し方、振る舞いなど私たちから見ると、何とも高級官僚の冷たさと共にちょっと偉そうにも感じる「公務員らしさ」を感じずにはいられなかった。

 たぶん、普通の女性で主婦であったとしても、厚生労働省に関わらず、国の省庁の幹部官僚となってしまわれると、少なからず多種多様なお誘いや誘惑が周辺に忍び寄ってきたり、ご近所や知人、友人との関係も、「高級官僚」と一目置かれてしまい、徐々に孤立感や非人間的な風情を感じさせてしまう様な振る舞いになってしまったりするのではないだろうか。

 国会内答弁や裁判になってからの記者会見やコメント取材なども、どうしても「女性官僚エリート」としての物腰や言い回しが目だって、一般庶民のテレビや新聞報道から感じる印象は、決して「無罪」を信じるよりも「胡散臭さ」を感じざるを得ない感じが強かったのではないだろうか。

 一昨日の「無罪判決」後の村木被告の「満面の笑み」の写真やテレビ取材の様子は、全く百八十度違っていて、ひとりの中年女性として、やっと自分の主張が裁判によって認められたことによる安堵感と共に、普通の女性としての穏やかな表情の素顔であった気がする。

 厚生労働省の元係長である上村勉被告が「村木元局長からの指示」とする捜査段階での調書を公判で全面否定したことと、障害者団体の代表が「村木被告から偽証明書を受け取った」とする証言にも信憑性が乏しく、さらに参議院議員の口添えについても認定が出来なかった。

 今回の裁判では検察が捜査段階で作成した「証言より信用できる」として提出した43通の調書を証拠とし請求したが、裁判長は「取り調べに問題がある」として、上村被告と障害者団体の倉沢被告の全調書など34通を却下し、検察の捜査段階からの事件に関する構図とでもいうべき予測、憶測が全面否定された珍しいケースとなった。

 この裁判は最終的に結審したわけではないが、たぶん検察の控訴も断念されて「村木被告の無罪が確定」するだろうが、官僚機構と公務員たちの仕事と権力や人間的弱さを巡る象徴的な事件として、後世に語り継がれることであろう。
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『台風一過』

2010年09月08日 | 季節の話題
 台風9号が気象庁で日本に接近した台風を観測して以来、初めてというコースで北陸の福井県に初めて上陸して、何と「熱帯性低気圧」となって、中部から関東圏に大いに雨を降らせて、多くの被害を残して太平洋上へと東進している。

 「温帯性低気圧」ではなく、日本も今年は間違いなく「熱帯」と同様の暑さがつづいているので、台風も勢力が弱まっても「熱帯性低気圧」にしかならないのだろうか、ともかく「暑さ」は、ちょっと中休みで「台風一過」の気候で少しは猛暑が和らいだのか、窓の外では「秋の虫たち」が鳴きだしている。

 しかし、明日は「九月九日」の「重陽の節句」とやらで、今日は「白露」という暦の上での「秋が本格的になり、草葉に露が白く見えるようになる」という日なのだが、全く「秋の気配」は、今日だけで明日からは「台風一過」の温かい空気が戻ってきて、再び「熱帯夜」が続くという。

 ところで、わが町「京田辺」の先日の日本一の暑さの報道のもととなった京田辺市内にある「アメダス」が、なんと手入れが悪くて、たくさんのツタや草木に覆われていて、結局風通しが悪くなっていたらしく、実際の気温とは違う「蒸し暑さ」になっていたと思われるという報道が今朝の新聞各紙に掲載されていて、とんだ「誤報」もしくは「お笑い沙汰」となる可能性が出てきたというのである。

 私たち京田辺市民にとっても、「寝耳に水」といった感じの全国最高気温、しかも九月の気温としては記録的と言われた、摂氏39.9度という水銀柱の気温が「がさネタ」だったということになるのかも知れないので、全く恥ずかしいやら呆れるやら、本当に「暑さ」で可笑しくなったのだったら、いざしらず人為的なミスか手入れしなかったための「最高気温」だったらしい。

 ともかく今日一日、雨と風をもたらしてくれた「台風9号」については、我々の地域は何の被害もなく、かえって「台風のお陰」で、少し涼しく、雨にも恵まれてほっとした感じなのだが、被害に合われた地域の皆さんには申し訳ないが、ちょっと一息つくことができました。

 明日の「重陽の節句」は、古代中国の陰陽五行思想から来ているもので、奇数が陽数とされて、9の奇数、つまり陽が重なって重陽、陽の最大値である9が並ぶ明日は、重九と呼ばれ、めでたい日とされ、日本では平安時代からは、「観菊の宴」として、杯に菊の花を浮かべた酒で長寿を願うという慣わしがある。

 また「重陽の節句」には、「着せ綿」という風習があり、前日八日の夕べに菊の花に綿を被せておくと、朝露に濡れた綿に菊の香が移り、その綿で体を拭うと「若返る」といわれている。

 紫式部も藤原道長の妻に綿を贈り、感激した歌を詠んだという。

 菊の露 わかゆばかりに

 袖ふれて 花のあるじに

 千代はゆずらむ (紫式部日記)

 旧暦の9月9日は、菊の旬だが、新暦では残暑の真っ最中、特に今年は全く暑すぎる「台風一過」と「地球温暖化」のダブルパンチで、暑さが続く。いつになったら秋が来るの?
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「薬」を服用してますか?

2010年09月07日 | 感じたこと
 先日、久しぶりに昔の職場の同僚の住まいの近くに行ったので、某君に会った。

 「会った」と言っても、何とも奇妙な訪問、もしくは「連れ出し」となったのである。

 携帯電話で突然の電話だったとは言え、暴君こと彼は高級マンションの最上階の自分の部屋にいたのだが、「元気?」と訊ねる私に対して、「まぁまぁ」と曖昧に答えるだけで、「お昼ご飯でも一緒にどう?」と誘ったのだか、どうも調子が悪い様で、最初の返事は「また今度誘って・・・」とのことだったので、私は彼のマンションの前から車で一旦は立ち去ったのであった。

 しかしほんの数分後、某君から携帯に「行くからちょっと下で待っていて・・」との電話がかかってきたため、一人で昼飯を何処でとろうかと車を走らせていたのだが、Uターンして彼が来るのを待った。

 実は、某君は長い間「うつ病」の症状があって、なかなか回復しないし、ほとんど最低限の用事以外は、自分の部屋に閉じこもっている生活をしている様で、時々気になるので、近くに行ったら電話してみたり、誘ってみたりするだけのことなのだが、春頃にも一度食事をしたことがあったので、半年ぶりの再会となった。

 少し腹が出たような体型になっているのも、糖尿病の傾向もあるらしく、本人曰く「生活習慣病、うつ病、高血圧」の病気との付き合いが長く、ほんとしんどいと言うのであった。

 彼がお気に入りのレストランへと車を走らせて、広いスペースの中のテーブルに腰を下ろして、レストランメニューから各々がオーダーをした。

 私は仕事の合間の昼食ということもあるし、昼飯はいつも簡単に済ませているので、日替わりのランチを頼んだのだが、彼はスペシャルランチを注文し、お肉のメインデッシュだけてなく、サラダやデザート、コーヒーまでついて、2500円のランチであった。

 食事をしながら、一方的に私が話題をつけては、彼の近況や体調、仕事のことなどを聞くうちに、彼は一言答えると後は黙々と食事を口に運ぶだけなので、いい加減に私自身も何を話そうかと迷うほどで、彼の言動はいつも「一言」だけなのであった。


 そのうち食事を終えたかと思うと、おもむろにテーブルの上に多様な薬を広げて、コップの水で次から次へと各種の色とりどりの薬剤を彼は飲んだのであった。

 食事を楽しんでするというよりも、「食後の薬」を飲むために食事をしていると言った感じの彼の日常に思えて、少し言葉を失った。

 そういえば、昔病院の待合で、処方された各種の薬を、たぶん二週間分か一ヶ月分もあろうかと思える大量のタブレットの列を手にとって数えて確認していた中高年の女性患者らしき人を見たことがあったが、どうも彼も多様な「薬」を手放せないみたいだった。

 私自身は、ここ十年いっさいの「薬」を常用することなく「健康」でいられるので、ありがたいと思うのだが、ほんとうに世の中には、毎日、毎食後とに大量の「薬を飲む」ことを日常としている人が多くいることを考えて、「薬漬け」になるよりも、少しでも「薬の服用」を減らして、健康な食べ物をきちんと美味しく食べることの方が大事だと言いたい気持ちになった。
 
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「全国で一番」なんだって!!!

2010年09月06日 | とんでもない!
 昨日の七時のNHKテレビのニュースで、九月になって過去例を見ない極暑が続く中、私の住む「京田辺市」が、何と全国一の高温を記録したらしく、日本全国に「京田辺」の名が轟いたのである。

 昨日の午前中は日曜日ということもあって、ゆっくりと家で寛いでいたのだが昼からは、市役所の前にある「コミュニティホール」で開催されている、「白いキャンバス」というグループの絵の展覧会を観に行って、その後やはり市民が集って結成された「コールハート」と言う名のコーラスグループのコンサートを聴いたのであった。

 確かに八月中旬になっても暑さの衰えも感じないどころか、九月の声を聞いても益々「暑さが増している」という感じの昨今であったが、全国的に「地球温暖化」の影響もあって、今年の「異常な暑さ」は、気象庁始まって以来の歴史的な「暑さ」だと言われていた。

 そんな全国的な「猛暑列島」の中で、先週に突然「38,7度」を記録した日があって、新聞の小さな記事で「京田辺が全国一」と報道されただけでもビックリだったのだが、九月に入っても更に高温の「39,9度で全国一」と全国ニュースで伝えられることとなったために、友人、知人、兄弟たちからも電話やメールで「大丈夫ですか?」と問われる始末となったのである。

 数日前の全国一も我々としてはほとんど自覚もなく、たまたま京田辺市の某所に設置されている昔で言うと「百葉箱」、現在はアメダスポイントがあって、偶然いろんな条件から、とんでもない高温が記録されていたというだけのことなのだが、とんでもないニュースが伝わった物である。

 午後のコンサートでも、小さな田舎の公民館といった感じのホールに集まったお客さん約300名を前にして、主催者側の開演の挨拶で冗談交じりで、「ようこそ日本一暑い京田辺へお越しくださいました!」とアナウンスされていたが、まさかその当日も「九月一番の高温を記録した」なんて、誰も自覚はしていなかったはずなのですが、冷房温度を20度に設定しても、会衆の集まりのせいか、それとも古いエアコンの性能が悪いのか、ちっとも涼しいと言う感じまでは会場は冷えていなかったと思います。

 それにしても冗談の如く「日本で一番暑い町、京田辺」なんて言っていたら、とんでもない「この暑さ」に、特にお年寄りたちや体調が悪かったり、病気の方々はとんでもなく不調になることもあるでしょうから、とっても心配になります。

 室町時代に晩年をすごされた「一休禅師」が住まわれた町、「京田辺」が、こんなことで全国的に有名になったとすると、たぶん「とんちの一休さん」は、「暑くても住民の面の皮が厚いから大丈夫」なんて仰るかもしれません。

 とにかく今年の異常な暑さを象徴するような記録的な高温が観測されて、NHKの全国放送で有名になったのですから、今度は「あの最高気温を記録した町、京田辺が素敵な町」だと伝えられる「いいニュース」を発信したいものだと願っています。

 皆さんのお住まいの地域も暑いと思います。残暑お見舞い申し上げます。

 補足ですが、我が息子夫婦が沖縄・那覇に住んでいて、沖縄より暑い京田辺にお見舞いのメールがありました。 
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「限界集落」の再生!

2010年09月05日 | ちょっと可笑しいよ
 全国的な少子高齢化と共に、自動車交通の普及、高速道路の整備など、日本各地がとってもアクセス的には便利になった一面が強調されている場合が多いが、一億二千万人を越す日本の人口も徐々に減少傾向の一歩を辿りだしていて、特に山間部の町村を中心に「限界集落」と呼ばれる、高齢化率が50%以上で生活基盤すら危ぶまれる僻地的地域が急増しているという。

 そんな「限界集落」と呼ばれて、地方行政からもほって置かれかねない地域は、あとは老人たちが住み慣れた家を放置するか、死ぬまで住もうとしても生活基盤が維持できなくなって故郷を離れざるを得なくなったり、ともかく「死」を待つのみといった感じの地域も多いといわれている。

 今朝のテレビで、こんな「限界集落」の活性化、再生に取り組んだ地方行政マンの一人である石川県羽咋市の高野さんという地方公務員、お役所の職員が紹介されていた。

 役所と言えば「縦割り行政」と言われて、先日来の100歳以上の高齢者の戸籍上や住民登録はされていても、実際は行方不明であったり、既に死亡されているケースが続出している実態も、死亡届けが出されていても、年金受給者としてのストップは自動的には届けがされないとなされないという様なケースが多いのである。

 そんな行政システムそのものにも問題が多いのだが、行政マンそのものにも大いに問題がある場合が多く、公務員は万事が「休まず、遅れず、逆らわず」などの「仕事をする」ことよりも、事なかれ主義とでも言うべき、突出したり目立ってはいけないという目に見えない常道があるらしいのである。

 そういえば、私が16年間の地方議員として、当時の町役場から市役所への変遷を見守って来たのだが、定年退職で役所を去ることになった部長職以上のお役人さんたちは、議会で必ず「退職の弁」を語られるのが慣わしとなっていたのだが、大抵は「大過なく○○年、務めさせていたただいた」と仰ったのである。

 「大過なく過ごせた」とは、結局極端に言えば「何もしなかった」、それとも「問題になるような挑戦や仕事」はしなかったと仰っていると受け取らざるを得なく感じたことがしばしばであった。

 そんな地方公務員の典型ではなく、自らが「限界集落」と呼ばれた地域に通われて、農家が主体の老人世帯に、女子大生の農業体験ボランティアを派遣し続けて、高齢者の農業に若い助っ人と共に、新しい新鮮な話し相手や家族同様の明るい風を吹き込まれたのであった。

 それからは、地域特産のお米や農産物のブランド化や差別化を試し、何と「神の子」という地域名をヒントに、キリスト教の大本山、ローマ教皇にお米を献上したことがきっかけで有名になったために、高額の価格でおいしさが評判で売れ出したというのである。

 ともかく、実際の地方地域の疲弊は厳しい場合が多いのだが、「やる気」のある職員がアイデアと共に地域の高齢者と共に、地域再生に真剣に取り組んだ一例だが、「お役人仕事」で終らせない、一職員の努力が実を結んだ例だと紹介されていた。

 全国のお役人さんたちよ、給料泥棒、税金泥棒と言われない、住民本意の仕事を試みてほしいものである。
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初代若乃花の死。

2010年09月04日 | 感じたこと
 初代の「若乃花」、つまり貴乃花、若乃花の叔父さんであり、相撲協会理事長職も二期務めた、現役時代は105キロ、179センチの小兵ながら、大技の連続で土俵を沸かせて、三歳年上の栃錦と共に、「栃若時代」なる相撲ブームを作った、年寄り二子山勝治さんが一日亡くなられた。

 特に栃若時代当時は「土俵の鬼」として定評があり、小兵の筋肉質の動きの早い相撲の先がけ的お相撲さんで、「巨人、大鵬、卵焼き」と称された人気の横綱大鵬以前の相撲ブームの中心的存在であった。

 私たちの少年時代は、ほんとうによく相撲をとったもので、友だち同士でちょっと時間があると、地面に足で土俵の大きな丸を描いて、マワシもなく裸にもならずに、相撲ごっこで何度も相撲をしたものだが、昭和30年代から40年代にかけての大相撲人気の立役者であったに違いない。

 栃若時代と呼ばれる少し前までは、私の記憶では「吉葉山、鏡里」などの横綱がいて、背の高いやせた大関「大内山」などが人気だったのだが、若乃花の登場が相撲協会にとってもテレビ時代の「大相撲人気」に拍車をかける大スター的ヒーローとなった。

 引退後の「若乃花」は、二所関一門の花篭部屋から独立した二子山部屋を創設し、親方として二代目若乃花をはじめ、「若貴兄弟」と呼ばれた甥っ子たちの指導や相撲協会の理事、理事長として「日本相撲協会」を支え、発展に大きく寄与された。

 だからこそ、先場所の名古屋場所前に判明した、大関琴光喜を筆頭とした「野球賭博事件」や「相撲協会の不祥事」による、NHKの本場所相撲中継の中止にまで及んだ「日本相撲協会」の危機に際して、一番心を痛めておられたことであろう。

 何とか外部理事の登用や放駒新理事長の誕生などで、ようやく再生のための手順は少しは見えたとは言え、前途多難な日本相撲協会の行く末と今後の「相撲人気」に対して、心配と共に不安を感じておられたのも、二子山勝治さん自身だと思われる。

 私たちの少年時代は、「相撲か野球」しか一般の子供たちが手軽に真似られるスポーツがなかった頃のヒーローであり、野球で言えば間違いなく「長嶋、王」に匹敵するのが当時の若乃花であり、栃錦と共に子どもたちの憧れであり懐かしくもあり寂しくもある。

 もう二度と出ないであろう、苦労人の小兵横綱であった「若乃花」は、二代目、三代目と「若乃花」の四股名は受け継がれたが、初代「若乃花勝治」氏を超えられる横綱とはならなかったと断言できるくらい、素晴らしい鬼気迫る迫力と勝負への執念を感じさせてくれた我等がヒーロー「横綱、若乃花」の白黒テレビの映像が懐かしくもあり、寂しくさえ感じる。

 今後の相撲界がどう変革されて、平成から21世紀の「大相撲」として残って行くのか、天に召された、元横綱初代の若乃花の花田勝治さんが、見守っておられる気がしてならない。ご冥福を祈る。

 


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