ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

我が儘な自分勝手

2010年05月08日 | とんでもない!
 このところ、小さな我が儘が引き起こす事件、事故が目立って多くなっていると思う。

 今年に入ってからも幼児や児童虐待と思われる、わが子や連れ子をいじめや虐待で殺してしまった親や義父母のニュースが後を絶たないし、自動車の無謀運転や飲酒運転も相変わらず多くて、いつ何処からそんなドライバーが運転する自動車が突っ込んでくることやら。

 先日も小さな隣町の交差点付近で、直進車優先と思われる道路に一旦停止義務の「止まれ」の道路標識のある狭い道路から飛び出してきた自動二輪に危うく衝突しかかった軽四輪トラックが交差点の中央部で少し接触し停止していた。

 後続を走っていたために、私も目撃したのだが、一方的に悪いはずのバイクの運転手の方が一方的に軽トラックの運転手に対して、「謝れ!」と怒鳴っていたのだが、どう見ても貴方の方が悪いと思うのだが、ともかく「先に怒鳴った方が勝ち!」みたいな風潮の世の中を物語る如く、自分勝手な論調でまくし立てていた。

 警察官がやってきて、ようやく少し治まった感があったが、単車の親父は息子らしき青年を同乗させていたにも係わらず、自分勝手を棚に上げて相手を批判ばかりしていた。

 私の経験からすると、数年前に一本道を直進していた私の八百屋の軽自動車が右折しようとウインカーを出していたら、右前方からやってきた軽乗用車が左折のウインカーを出して狭い道の手前で停車してしまって動かないので、窓から大きな声で「少し前へ出て下さい」とお願いしたのだが、自分はバックが苦手なのでしたくないと言うのである。

 お互いの「譲り合いの心」や「どう対処すればスムーズに行き交う」かを考えれば、明らかな状況なのに、頑として動かないのであった。

 私の後ろからは既に100m以上入ってきた形で後続のトラックも来ていたので、再度てで直進を促しても動かずに、しばらくすると携帯電話を駆け出したのである。

 小学生低学年ぐらいの女の子を同乗させていた若い母親らしき女性なのだが、「警察に連絡している」というのである。

 「呆れてものが言えない!」心境になって、後ろのトラックの運転手とアイコンタクトで了解を求めて、ちっとも悪くはないのに、相手の我が儘に屈した形で、我々が左折をして遠回りの目的地へと車を進行させて事なきを得たのであった。

 近頃は、自動車交通上の交通法規違反だけでなく、我が儘や自分勝手な運転をよく見かける様になっていて、交通取締りのおまわりさんがいたら、間違いなく停止を求められたり、切符を切られると思われる危険かついい加減な運転手によく遭遇するのである。

 血液型のB型がよく無謀な運転や違法行為で批判されているらしいが、血液型の問題ではなくて、自分勝手で我が儘なドライバーが何故こんなにも増えてしまったのかと驚くばかりである。

 「黄色信号」は停止なのに、突っ込んできて「赤信号」でも平気に「交差点を通過」してしまう自動車が何と多いことだろうか。

 交通マナーやルールに留まらず、相手の心や思いを全く感知せずに暴走する人も増えていて、コュニケーションの大切さを重視していても、全く道理に反した自己主張を繰り返す「我が儘な自分勝手」がまかり通っている様である。
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82の法則って?

2010年05月06日 | 感じたこと
 最近、NHKの日曜日午後八時に始まる大河ドラマ「龍馬伝」の多大な影響で全国各地、また経済消費の上でも、「龍馬ブーム」が、あらゆるジャンルで熱を帯びてきている。

 出版業界も本が売れないという時代の流れの中で、福山雅治が演ずる「坂本龍馬」にあやかって何とか本を売ろうと躍起になっているようで、最近は「龍馬の如く、自分らしく幸せに生きる・82の法則」という単行本が出ているらしい。

 そのサブタイトルには、「世界一不幸か、世界一幸せか・決めるのはおまんの心ぜよ。」という如何にも坂本龍馬が言った如き台詞まで記されているのである。
 
 私自身が聞いた「82の法則」というのは、「経済において、全体の数値の大部分は、全体を構成するうちの一部の要素が生み出しているという説であり、「パレートの法則」と呼ばれているものである。

 イタリアの経済学者ヴィルフレド・パレートが発見した法則とされていて、経済以外にも自然現象や社会現象等様々な事例が当てはまるといわれている。

 現代社会では、パレートの法則の多くは、経験則の類であり、決して絶対的な平均則ではなく、ばらつきや偏りが存在はするが、概ね集約すると一部が全体に大きな影響を持っていることが多いということである。

 80:20の法則でいう、20%の部分である主要な一部だけが重要なのではなく、残りの80%も重要なのだが、どうしても2割だけが重要だとの解釈もされることが多い。

 私の経験則からでも、この80:20の法則はほぼ立証されるのだが、八百屋の毎週の収入を100とすると、お客様の数の約2割の消費者が、売り上げの8割り近くを占めているという現実があるのである。

 すなわち、十軒に二軒のお客様が売り上げの八割を購入していただいていると言っても過言ではないという感じの売り上げとなっていて、5軒に1軒のお客様が全体の8割に当たるお買い物をしていただいているのである。

 だからと言って、逆に5軒中の4軒のお客様は重要ではないのではなくて、時間や効率だけを考えると、実際上は2割のお客様で経済の8割が成り立っているのですが、残りの8割のお客様の2割の売り上げが収益となっていて、8割は仕入れや必要経費で消えていると言ってもいいのが実情なのである。

 それにしても、坂本龍馬にあやかったとしか思えない「龍馬の自分らしく生きる、82の法則」とやらの真意は全く分からないのだが、私なりの解釈で推察すれば、結局大多数の意見やマジョリティと思われる人々が全てを決めているのではなくて、小数派と呼ばれかねない人々が全体のベクトルや方向性を決めている場合が多いということである。

 「自分らしく生きる」というのは、全ての人々にとって永遠のテーマだと思うが、決して付和雷同的に、多くの人たちが考え動くという形にとらわれずに、少数派でも自分自身の確信ある異見や考えに従って、行動したり意見したりすることが大切なのである。

 いつの時代にも、こうした82の法則もしくは理論が社会を動かし国を変革し、経済をも動かしているということなのである。
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『子どもの日』

2010年05月05日 | 感じたこと
 五月五日はこどもの日、端午の節句である。そして「立夏」でもあった。

 さすがに「立夏」にふさわしい様な天候に恵まれて、今日は全国的に高温に達し、京都でも摂氏30℃を超す「真夏日」となり、近くの行楽地や公園は子どもたちの歓声と笑い声で賑わっていたらしい。

 私自身は、数日前からの咳が止まらず、少し体調不良も感じていたので、連休最後の日ということもあって、六月に開催する地元出身のチェロ奏者と昨年暮れに入籍された琴の奏者とのジョイントコンサートのチケットづくりなど室内作業に明け暮れていた。

 テレビの報道やバラエティ番組では、「こどもの日」にちなんでの放送も見受けられたが、祝日としての「こどもの日」を取り上げた報道は少なかったように感じた。

 その中で、日本のこどもたちの将来の夢としての仕事、すなわち職業希望が、男子はプロ野球選手、公務員、女子は教師、サラリーマン、パテシェなどと報じられていて、どんな調査かアンケートか知らないが、相変わらずの「夢」と「現実」が入り混じった子どもたちの思いが察しられた。

 私自身は、子どもの頃に「何になりたいか?」と問われることもなかったが、はっきりとした「職業」選択の将来の夢などは考えたこともなかったと思うのだが、近頃の親の世代の「子どもになってほしい」という職業は、医師や弁護士など社会的地位や収入の多い仕事であるらしい。

 そんな現代の社会的状況の中だが、相変わらず子どもたちの夢として出てくるのは、タレントやお笑いといったテレビに出る人というイメージが多いようである。

 中堅、若手としてでも日常的に私たちが知っているクラスのタレントやお笑い芸人たちは、たぶんその裾野を日々「有名になりたい」と願って頑張っている「予備軍」「下積み」時代を送っている卵が、たぶん十倍以上いるはずである。

 子どもたちの夢なのだから、文句をいう筋合いではないのだが、ともかく楽しんで稼げる仕事としてとらえているとしたら大間違いだろうし、普通の社会的常識と言われる親たちの思いからすると、やめてほしいと願う夢を追い続けているのかもしれない。

 しかし、「夢と現実」のギャップは常にあるもので、そこには厳しい経済的生活や日々の暮らしが待っているのかもしれないが、そこは「若さ」がそれを耐えさせることもできるのだし、夢へのエネルギーさえあれば何とか頑張れるのである。

 多くの有名人となった人たちの成功例や苦労話などを耳にすると、いくつまでが適当とは言えないが、本人が納得できる形に少しでも近づくことが出来たら、本望なのであって、決して社会的や親にとって、期待する姿とは限らないので、大いにチャレンジしてもらいたいものである。

 公務員やサラリーマンが悪いとは思わないが、自分自身の個性や才能を磨いて、人を喜ばせたり、楽しくさせることが出来るのであれば、「他人の役に立つ」という、満足を得られる仕事として、自分自身がやりがいを感じればそれでいいのではないだろうか。

 子どもの日は、子供たちが「子どもらしく生きられる」ことをサポートする大人の意識や支援を再考する日でもあってほしいものである。
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敦賀トンネル温泉へ。

2010年05月04日 | 季節の話題
 今年のゴールデンウイークは好天に恵まれて、私も日頃のパートのおじさんを休んで、少しは休日らしく、何処かへちょっと行ってみたくなったので、男の料理サークルの仲間たちと一緒におっさん五人で温泉へと行くこととなった。

 先日の男の料理サークルとして月に一度、第四日曜日に担当している「宇治ゆめカフェ」の料理人としての担当日に集った仲間たちと話していて、福井県敦賀の北陸自動車道の敦賀トンネルを抜けたところにある「トンネル温泉」へ行こうと決まったのであった。

 突然の思いつきながら、男五人がほぼ即決した「温泉旅行」には、年配のおかぁさんたちは驚きつつ、「男の人たちの決定」は気持ちがいいくらいすぐ決まるので素晴らしいと、ヘンに絶賛されたこともあって、天気さえ好くて全員が元気ならば、ドライブがてら温泉を目指しつつも、渋滞やトラブルがなければ、何処かで一泊泊まってもいいという感じで早朝に出発したのであった。

 あいにくメンバーの一人が数日前からの風邪の症状で、昨日は一日寝ていたということもあって、無理をせずにゆっくりと行って、彼の体調が良くなっていれば、その時は宿泊も検討しようという、見切り発車でのドライブとなった。

 案の定と言うべきか、やはりゴールデンウイークの真っ最中のためか、宇治を出発してすぐの有料道路、京滋バイパスが混みだしていて、名神道路への接続を前に渋滞状態となったために、予定より一時間ほど遅くはなったが、無事3時間弱で敦賀に到着した。

 せっかくの敦賀訪問だったので、日本海の海の幸を昼食には食べようと思ったので、しばらく時間があったので、突然の情報と共に、昆布館と称する「昆布食品を販売し、試食ができる」所へと車を走らせて入った。

 懐かしい感じすらする「昆布茶」の自動飲み放題機があって、温かくて美味しい「昆布茶」を数杯飲んだり、多種多様な昆布加工食品の試食をしたりしている内に、メンバーたちもいつのまにか「お土産」を手にしており、私は「昆布ソフトクリーム」を口に運んでいた。

 土産を買いに出かけたわけではないのに、いつの間にか全員が「土産」を手にしていて、日本人の土産好きには驚きつつ、日本の経済もちょっぴり安泰だと感じた次第でもあった。

 せっかくの日本海に近い町なので、海鮮丼を食べてから、待望の「トンネル温泉」へと向かったのだが、トンネル温泉とは地名にもなっているために、何処で「温泉に浸かれる」のか不安にもなったが、ようやく自然豊かな高い位置にある近代的な建物が公営で運営されている「トンネル温泉」の建物であることがわかった。

 風邪気味で顔色も悪く体調が優れなかった友人も、温泉に入浴している内に少し元気さを取り戻しておられたので、皆で寛いで温泉のイベントにねも参加して、その場で参加者が搗いた餅を食べたり、クイズ大会に参加したりして、夕刻の名神の渋滞を避けるように、従来の国道をひた走って宇治へと帰ったのであった。

 ちょっとしたゴールデンウイークノ小さな旅は、今秋の一泊旅行を再び約束して解散となったのであった。
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今日は憲法記念日。

2010年05月03日 | 季節の話題
 今日はゴールデンウイークのちょうど中日の様な日だったが、全国的に好天に恵まれて、京都は27℃の初夏の陽気となった。

 ゴールデンウイークとやらのマスコミや旅行会社の宣伝などで、すっかり「何の日」的祝日の意味が昨今は忘れられた「休日」となってしまっている感が強いが、4月29日は以前の「天皇誕生日」で、その後「みどりの日」となり、今は「昭和の日」となり、今日は「憲法記念日」だったのである。

 昭和21年11月3日に制定された「日本国憲法」が、翌年の昭和22年(1947年)に施行されたことを記念して「五月三日」を憲法記念日としたらしいのだが、戦後も65年経ち、憲法も60年の歳月が過ぎて、忘れられかかっていたり、憲法改悪を試みようとする異見も見え隠れしている事実がある。

 数年前の総選挙による自民党の圧倒的勝利で、勢いだった「憲法改正」を掲げる勢力が「国民投票法」なる「憲法改正」のための法的手段としてのルールを確立して、国会議員の2/3以上の賛成多数で、現行憲法を「自主憲法」とか「大日本帝国憲法」時代の内容に戻そうとする「復古主義者」たちの願いと狙いが渦巻いていたのであった。

 幸い、先の総選挙で民主党勢力を中心とした新政権が誕生したことにより、保守派の勢力が少し後退したために、こうした「自主憲法」制定派の勢いが少し止まって、現在は「憲法改正論議」も低調なのだが、国民の世論調査では何故か「憲法改正」の意がいまだ50%近くを占めているという。

 今日のテレビニュースを見ていても、あまり「日本国憲法」に関する動向やニュースは伝えられていないが、全国各地で小さな「憲法を守る集会」や「自主憲法制定の集い」などが開催されていたことだろう。

 私は現行の「日本国憲法」が「自主憲法」であり、決してアメリカ進駐軍のお仕着せの憲法などとは思っていないので、「戦争放棄」と「軍隊をもたない」と宣言した第9条だけでなく、基本的人権や三権分立の制度など、まだまだ十分にその意義が浸透していない様なお題目的内容もあるが、民主主義の基本を国民が見誤まらなければ、現状の改悪は必要ないと考えている。

 環境権や天皇制などについての異見や考え方もあるが、決して現行憲法を改正するといった形で、大きなムーブメントを起こす必要はないと思っている。

 この「憲法記念日」に、私は孫の元気なK君と、午前中に隣町の大ホールで上映された地球の海に行き続ける動物たちを中心に撮影された「OCEANS」を鑑賞し、午後は京都市内の千本えんま堂で催された「えんま堂狂言」を見たのであった。

 本当に初夏を思わせる25度を超す炎天下の下で、約300人近い観客が楽しんだ「狂言芝居」は、素人の役者たちが結構本格的な練習と演技力を身につけて演じる狂言が6作演じられ、私の知人の7歳になる男の子が「猿」を演じていて、なかなかの好演であった。
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北山修さよならコンサート。

2010年05月02日 | テレビマスコミ
 ゴールデンウイークの真っ最中、私も仕事はカレンダー通りに休んで、英気を養う期間としたいと、朝からのんびりと過ごした。

 昼過ぎにNHKの衛星放送だったと思うが、懐かしい「北山修」九州大学付属病院の精神科医としての退官さよならコンサートの模様が再放送として映っていたので、後半部分を楽しさと懐かしさと時を感じて見たのであった。

 「北山修」氏は、あの伝説のフォークグループである「フォークル」こと、フォーク・クルセダーズのメンバーとして、一世を風靡した大ヒット曲「帰ってきたヨッパライ」の作者でもあり、教科書にも掲載されている名曲「あの素晴らしき愛をもう一度」など、多くの作詞を手がけた御仁だが、歌手、作詞家としての才能よりも、精神科医として九州大学付属病院では有名な教授として定年まで勤め上げた医者だったのである。

 昨年にフォークル結成当時からの親友であり、音楽仲間であった、ドノバンこと加藤和彦氏の自殺による突然の死亡が報じられ、たぶん一番ショックだったのが、北山修氏自身であったと推察された。

 というのは、多くの精神的病を持った患者さんたちを診察し、多くのれ臨床経験を持つ「精神科医」としての本業から、一番の親友である音楽仲間の「加藤和彦」の苦悩と死の選択に対して、友人として医者として何も出来なかったことを強く悔やむ人だったはずだからである。

 その「加藤和彦」氏の誕生日に期せずしてあたった今年の3月21日に、彼自身の「九州大学」退官さよならコンサートが開催され、晩年に加藤和彦と絶妙なユニット「和幸」を組んで音楽活動をしていた、坂崎幸之助がメインゲストとなって、このコンサートは進行されていた。

 ほかに京都時代からの音楽仲間である「杉田二郎」や、バックミュージシャンとして名を馳せている「佐久間順平」氏や矢崎あいさん等の協力も得て、加藤和彦との思い出や合作の曲の数々を披露し、最後には「南こうせつ」氏が駆けつけて、コンサートを盛り上げていた。

 加藤和彦の死を悼む形で作られた「北山修作詞、坂崎幸之助作曲」の新曲や、40年前には放送禁止とされていた「イムジン河」に三番の歌詞を創作した「イムジン河~春」なども歌われて、アンコール曲は「あの素晴らしき愛をもう一度」で締めくくっていた。

 白髪になったとは言え、相変わらずの理屈いいの面と精神科医としての実績、医大の教授としての人となりが見え隠れする独特のキャラクターは、以前とほとんど変わってはいないが、加藤和彦の追悼の意もあってか、坂崎も北山自身も黒いジャケットで、喪を表すようにいでたちでのコンサートであった。

 私たちの世代と同じ同年輩の歌手でもあり、60年代から70年代にかけて短期間ではあったが、活躍したフォークソングの世界では伝説的な人でもあり、多くの心に残る楽曲を世に生み出している「きたやまおさむ」の新たな出発という感じのコンサートであり、今後は精神科医のみならず音楽の世界で、加藤和彦氏の分まで長生きして、いい作品を創作し歌ってほしいものである。

 
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米軍は出て行って!

2010年05月01日 | 日本の課題
 鳩山首相のリーダーシップのなさや決断力のなさがクローズアップされて、内閣支持率が昨年9月の新政権発足当初は70%以上あったのが、ここにきて急落し、今や20%台になったとテレビや新聞各紙は報じている。

 いずれにせよ、この全国世論調査という名のアンケート結果は、いつも2000名を無作為抽別で選び、その中の約6割前後の回答を元に推計されている、意図的な国民調査であり、一億二千万人の日本の人口のなんと0.00166パーセントの回答で推計されている数字なのだが、まことしやかに全国民の意見として報じられている。

 私なんか一回も、そんな全国意識調査を受けたこともなければ、友人のI氏も携帯に過去に三回ほど全国意識調査のコンタクトがあったらしいが、忙しくて一度もまともに返答したことがないのに、よっぽど暇か時間が許す人しか回答していない状況で、全国的な「民意」とまで言うことができるのだろうか。

 それにしても、ここ数ヶ月の「普天間基地問題」の推移を見聞きしていて、一番不思議かつ聞こえてこない議論があるのである。

 いくら日米安保という軍事同盟的国際協約があるとしても、日米間に「同盟」と名づけるほどの賢固な「絆」がいつどういう経過で出来たのだろうか。

 吉田茂首相当時の敗戦処理から岸信介首相当時の日米安保条約の締結までを見ても、戦後の日本の平和と安全に、米国が寄与してきたことは明らかだが、米ソ冷戦構造が長期に続いていた時期ならいざ知らず、現在の世界情勢の中で、日本にこんなにも「米軍基地」が本当にいるのだろうか。

 私は、日本の憲法が記す「陸、海、空」の軍隊を持たず、自衛権だけを有すとされる「自衛隊」の軍事力だけで、果たして日本の平和と経済を守れるかは疑問な部分があるが、現代の国際社会が、果たして軍事力による「平和の維持」や「核の抑止力」で全てが成り立っているとは思い難いのである。

 すなわち、戦後60年を超えた日本の真の独立と国際社会での発言権と行動を見守る全世界の国々にあって、いつまでも米国の属国的隷従をし続ける国であってはならないと、はっきりと言うべきなのである。

 徳之島、沖縄のキャンプシュワブなどの「普天間基地」の代替基地の提供が、当然の如く暗黙の了解とされているみたいだが、素直に多くの国民が望んでいるのは、普天間から何処かへ米軍のヘリコプター発着訓練基地を移すのではなく、普天間基地の撤廃、返還をはじめとして、沖縄を中心とする全国の米軍基地を徐々に撤廃し、日本から米軍基地をなくすことなのではないだろうか。

 戦後の敗戦処理と恒久平和の実現のために、本当に日本がなすべきことは、決して米国の僕として従順に屈辱的な「米軍の占領状態」から脱出して、日本独自の国際社会における自立と平和への手立てを構築することなのである。

 世界の200以上もある独立国の中で、今でも大国の軍隊に日本ほど占拠されている異常な国は少ないのではないだろうか。

 すなわち、基地移転を前提に考えるのではなく、アメリカ軍には徐々に海外、すなわちアメリカ合衆国に帰っていただくことが、本来の日本が選ぶべき選択なのである。

 いつまでも、飴と思いやり予算などで、米国と米軍のご機嫌伺いをし続ける様な国であってはならないのである。

 鳩山首相よ、沖縄、徳之島に協力を求めるのではなく、アメリカ合衆国に対して、きっぱりと「米軍基地の縮小、撤廃」の方針を宣言すべきなのではないだろうか。

 
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