ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

モンゴル草原で落馬。

2010年05月12日 | とんでもない!
 五月も半ばというのに、ほんとうに今年の天候不順はいつまで続くのかと思うほど、今日は晴れたり小雨が降ったりして、気温は15度を少し上回る程度で肌寒さを感じる、けったいな一日でもあった。

 仕事を終えて事務所へと車を走らせていると、珍しい友人から携帯電話に電話がかかってきたので、車を停車させて話したのだが、突然のモンゴル人からの電話で、「ムーレンの弟を知っていますか?」と聞かれて、少し間を置いて思い出した。

 「ムーレン」とは中国読みである名前で「牧人」と書く、1989年に中国内蒙古自治区に行った際に出会って以来の知人で、その弟とはたぶん1993年か4年に内蒙古草原に再び行った際に、共に一週間ほどの草原生活をしたことがあったのであった。

 しばらく内蒙古からやってきて既に20年以上経つと思われる、友人のスーチンドロン氏が言うには、その弟たちのロックバンドが来日していて、東京で三回の公演を行った後、明日奈良にやって来て、彼が一日観光案内をするというのであった。

 私は思い出したことがあった。そのムーレンの弟のモンゴル名は覚えていないのだが、彼の顔と彼の彼女の顔ははっきりと記憶にあり、実はその年の夏のモンゴル草原で、私は牧民の馬に乗って草原散歩を試みていた際に、馬が急に疾走しだして危険を感じたので、草原のど真ん中で馬から意識的に落ちた際に、強く右大腿部を強打したのであった。

 それから二日たって、痛みは激しくなって、近くの美しい山である「白音教包」に登る頃には痛みが増して、翌日の北京行きの寝台列車では、痛みに耐えられず眠ることが出来にないほどとなっていた。

 その事件の結末は、「へぇー!」と思う様な結果とになったのだが、ムーレンの弟の引率で北京の日中友好病院で診察を受けて、全治3ヶ月以上の骨折で、入院二ヶ月を要すると診断されたのであった。

 しかし、私は十数名の仲間の引率をしていたので、翌日の万里の長城見学だけは現地のガイドに依頼し、ホテルで日本の甲子園の高校野球準々決勝の4試合の衛星中継を見ながら、腰の痛みと格闘し、翌日大阪伊丹空港へと帰国したのであった。

 妻や友人たちは私が腰の骨を折る大怪我をしたと思って、車椅子や自動車の手配もして空港に迎えに来てくれたのだが、私は意外と歩いてタラップを降りて迎えに感謝しつつ、翌日大阪の病院へ中国で撮影したレントゲン写真を持って出向いたのであった。

 すると、何と骨折はしておらず、強打したための打撲で一週間ほどで痛みもなくなり、ウソのように全治していたのであった。

 しかし、私がたぶんモンゴル草原で馬から落ちた頃に、我が妻のお父さん、私の義父がこの世を去るという大事件が日本では起きていたのであった。

 思い出した、この落馬事件に我が友ムーレンの弟が大きく関与していたのであった。
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