ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

北山修さよならコンサート。

2010年05月02日 | テレビマスコミ
 ゴールデンウイークの真っ最中、私も仕事はカレンダー通りに休んで、英気を養う期間としたいと、朝からのんびりと過ごした。

 昼過ぎにNHKの衛星放送だったと思うが、懐かしい「北山修」九州大学付属病院の精神科医としての退官さよならコンサートの模様が再放送として映っていたので、後半部分を楽しさと懐かしさと時を感じて見たのであった。

 「北山修」氏は、あの伝説のフォークグループである「フォークル」こと、フォーク・クルセダーズのメンバーとして、一世を風靡した大ヒット曲「帰ってきたヨッパライ」の作者でもあり、教科書にも掲載されている名曲「あの素晴らしき愛をもう一度」など、多くの作詞を手がけた御仁だが、歌手、作詞家としての才能よりも、精神科医として九州大学付属病院では有名な教授として定年まで勤め上げた医者だったのである。

 昨年にフォークル結成当時からの親友であり、音楽仲間であった、ドノバンこと加藤和彦氏の自殺による突然の死亡が報じられ、たぶん一番ショックだったのが、北山修氏自身であったと推察された。

 というのは、多くの精神的病を持った患者さんたちを診察し、多くのれ臨床経験を持つ「精神科医」としての本業から、一番の親友である音楽仲間の「加藤和彦」の苦悩と死の選択に対して、友人として医者として何も出来なかったことを強く悔やむ人だったはずだからである。

 その「加藤和彦」氏の誕生日に期せずしてあたった今年の3月21日に、彼自身の「九州大学」退官さよならコンサートが開催され、晩年に加藤和彦と絶妙なユニット「和幸」を組んで音楽活動をしていた、坂崎幸之助がメインゲストとなって、このコンサートは進行されていた。

 ほかに京都時代からの音楽仲間である「杉田二郎」や、バックミュージシャンとして名を馳せている「佐久間順平」氏や矢崎あいさん等の協力も得て、加藤和彦との思い出や合作の曲の数々を披露し、最後には「南こうせつ」氏が駆けつけて、コンサートを盛り上げていた。

 加藤和彦の死を悼む形で作られた「北山修作詞、坂崎幸之助作曲」の新曲や、40年前には放送禁止とされていた「イムジン河」に三番の歌詞を創作した「イムジン河~春」なども歌われて、アンコール曲は「あの素晴らしき愛をもう一度」で締めくくっていた。

 白髪になったとは言え、相変わらずの理屈いいの面と精神科医としての実績、医大の教授としての人となりが見え隠れする独特のキャラクターは、以前とほとんど変わってはいないが、加藤和彦の追悼の意もあってか、坂崎も北山自身も黒いジャケットで、喪を表すようにいでたちでのコンサートであった。

 私たちの世代と同じ同年輩の歌手でもあり、60年代から70年代にかけて短期間ではあったが、活躍したフォークソングの世界では伝説的な人でもあり、多くの心に残る楽曲を世に生み出している「きたやまおさむ」の新たな出発という感じのコンサートであり、今後は精神科医のみならず音楽の世界で、加藤和彦氏の分まで長生きして、いい作品を創作し歌ってほしいものである。

 
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