ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

何が大事なのかな?

2010年05月26日 | 感じたこと
 今日は仕事で宇治に行ったので、昼ごはんを知り合いの小さな作業所で、毎週土曜日に八百屋で出会う通所の障害を持つ青年たちと一緒にお弁当をいただいた。

 外歩きの営業の仕事の関係で、なかなかゆっくりと食事が出来ない場合が多いのだが、皆と一緒に並びの食堂で作られたお弁当を出前してもらって昼食としていただいたのであった。

 マイ箸が久しぶりに役立って、いろんなおかずを楽しみながら食したのだが、いつも会ってはいるがゆっくりとお話することが少ないオカァサンたちと「食の問題」について話す機会となった。

 現在私自身が自営でやっている「有機八百屋ガリバー」の宣伝ではないのだが、多くの家庭において、一番大事なのは何ですか?と聞きたくなるような考え方やお金の使い方が問題だという話になったのである。

 1990年代当初にはじけたと言われている「バブル経済」と呼ばれた「金余り状況」なぞ夢のまた夢の現在の庶民生活において、ガソリン代も徐々に値上げしているし、お父さんの給料や年金も決して増えない家庭の財布の状態の中で、何が一番大事なのだろうか。

 昔から、「大阪の食いだおれ」、「京都の着だおれ」などと言って、大阪の人は食べ物にお金を使うのが平気で、京都の人は着衣にお金をかける人が多いと言われてきたという。

 しかし、現代人の庶民生活は各個人、各家庭まちまちの考え方であり、それは自由なのだけれども、自動車にお金をかける人、家に大金をかける人、遊びにお金を使う人など、千差万別なのだが、人間が生きる源である「体を作り、生きるエネルギーを生み出す」ための原動力の「食べ物」にお金と知恵と時間をかける人があまりにも少なすぎる感じがする。

 と言うのも、コンビ二ストアやファーストフード店が増えて、食べ物を買ったり、すぐに食べれたりと確かに便利になった現代なのだが、益々インスタント食品やチェーン展開している食べ物屋の冷凍食品を「ちーン」したメニューなどを食する人が意外と多いのである。

 政府や学校、教育機関などでも、国産の食料自給率の低下を食い止めようとする狙いもあって、盛んに「食育」の大切さを強調したりはしているが、中身ときたらお粗末なものであって、決して健康と生きるための大切な「食糧や食品」についての作り手から流通を経て、消費者に渡り、家庭や食堂、学校などで調理されて出される『料理』に至るまでの「食育」とはほど遠く、大切な体と健康を保つための「食」の大事さの核心がづれている様です。

 つまり、何でもカンでも安い商品を買っていては、添加物もいっぱいですし、農薬や化学薬品漬けの食品も多いですし、足らなくなった栄養素を、サプリメントや栄養補助食品などで補うなんてのは愚の骨頂なのですが、病人やまともに食事が取れない人は止む得ないことですが、自然に近い農産物や食品をバランス良く食することが一番なのではないでしょうか。

 家、車、衣装、遊び、趣味、その他の多種多様な出費が日常生活には必要ですが、一番大事なのは体を作り健康を保つための「食事」なのですよ。

 
コメント
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