ガリバー通信

「自然・いのち・元気」をモットーに「ガリバー」が綴る、出逢い・自然・子ども・音楽・旅・料理・野球・政治・京田辺など。

「夏休み」の予定は?

2010年05月19日 | 季節の話題
 五月のゴールデンウイークが去って、もうすぐ梅雨の季節に突入かと思うと、今年は春からやたら雨の日が多くて、ひょっとしたらもう降らす雨が底をついているのではと思いたくなるほどである。

 五月の中旬から下旬と言う、この時期にさしかかると若い人や子供がまだ小さい家庭では、「夏休み」の計画としての家族旅行や楽しいキャンプなどの予定がスケジュールとして浮かんで来る時期である。

 私自身が仕事として関わっていた、子どもの遊び場活動では毎年五月のこの時期には、夏休みに実施するいろんなキャンプや合宿などの企画の下み計画のための準備で大忙しであった。

 また1988年から縁あって企画していた、中国内蒙古草原への旅の企画も、数年前までは毎年遅くても五月の連休明け頃には企画を決定して、多くの人たちに葉書やチラシの送付を行いお知らせしていたものである。

 しかし、ここ二年間は内モンゴルへの旅も途絶えていて、私自身の夏休みも一昨年はインド・ネパールへの二週間の単独旅行を行ったが、昨年は国内だけで広島、福山などへの国内旅行のみで終わっている。

 昨年はぎりぎりまでベトナムへの旅行や友人が仕事の関係で滞在していたベルギーへの旅も検討したのだが、夏休みの時期とツアー料金や単独での費用や期間を検討している間に時が経ってしまった感じで、無理をせずと海外への旅行は断念してしまったのであった。

 春先に一昨年のインド、ネパールへの一人旅の際にお世話になった小さな旅行社の懸賞で、何とバリ島への往復航空券が当選したので、四日間のつもりで単身初めてバリ島に渡り、とても懐かしさと文化、芸術を感じるバリ島滞在を楽しんだのだが、それ以降は海外への旅は経済的にも余裕がなく自粛状態である。

 さて、今年はと思いを馳せれば、いろいろと生きたい国々や国内でも地域があるのだが、なかなか踏ん切りがつかないというべきか、ここ一年は我慢の期間かも知れないと思い、お金の掛かる旅行は自粛し、たぶん妻と一泊か二泊の国内旅行くらいでお茶を濁しそうである。

 確かに、夏休みがとれたとしても旅行に行かなければならないわけではないのだが、私自身は健康で仕事ができて、時間的に許せば、自分自身へのご褒美と共に妻への感謝の気持ちで、ちょっとした国内旅行はしたいと考えているのである。

 皆さんは、あと二ヶ月から三ヶ月に迫り来る、「夏休み」シーズンに、旅行やイベント参加などの計画を立てておられるであろうか。

 人は健康で日常を過ごせていたら、少しは暑い夏の期間にお休みを取って、自分と家族や仲間と共に、暑さを乗り越えて明日の英気を養うためにも、ちょっとしたご褒美を用意しても誰も叱ったり怒ったりはしないだろう。

 是非、日常生活に追われがちな忙しい方々も、一度しかない人生ですから、贅沢をしなくてもちょっとした憩いと慰めと発見が出来る非日常的空間への旅か参加を試みられては如何だろうか。

 心に念じ、夢を抱き、日々の仕事や生活に張りを持って、来るべき暑い夏に備えたいものである。
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公務員天国2

2010年05月18日 | とんでもない!
 私が市議会議員をしていた頃、何度も地方公務員の給与実態について、一般民間給与との格差が大きいと指摘すると、すぐに何故か国家公務員の給与を100としてのラスパイレル指数とやらを持ち出して、決して我が市の職員給与は高い水準とは言えず、97であるという様な返答が返ってきていた。

 しかし、職員給与実態としての年度末の決算説明書を見ると、何と41,2歳平均で年間何と730万円余を貰っているという実態が浮き彫りにされていて、中小零細企業を中心とする一般給与所得者の平均給与は決して、この公務員給与実態には及ばぬ、約350万円から400万円前後であり、大手有名企業の従業員、社員の場合で部課長クラスになると確かに700万円以上、1000万円を超える所得の方もいるのだが、一般庶民の給与のほとんどは公務員には及ばない実態が明らかなのである。

 だのに、昭和30年代から40年代の高度経済成長期に、民間給与との格差があるとして定められた、当時の「調整手当」と呼ばれた現在の「地域手当」などという「お手盛り給与」が現在も堂々と付加されているのが公務員給与の実態であり、京都市の場合で基本給与に対して9%、京田辺市でも6%が一律に加算されていて、基本給与が30万円とした場合、京都市職員で毎月2万7千円、京田辺市でも1万8千円が加算されていることになる。

 民主党政権のマニフェストの目玉でもある「子ども手当」の財源が一律子ども一人当たり2万6千円の年額でも総計6兆円要るという試算があるが、全国の国家公務員や地方公務員の削減ならびに給与ベースの減額などの公務員改革は、いまだ殆ど手付かずである。

 渡辺喜美みんなの党代表は、自民党時代から公務員の制度改革や行政刷新を政策として打ち出しているので、少し人気があると言われているが、多くの国民、有権者は民主党、自民党などの既成政党が、「お手盛り給与」や「天下り」などの是正を抜本的には出来ないという実態の中で、少しは期待度もあって支持率としては9%というとんでもない少数政党に対する数値が出ているのは、そうした見えにくい現実に対する改革への期待度からだと考える。

 数日前に、私が市議をしていた頃の市役所の幹部職員に、隣町で仕事中にばったりと久しぶりに会ったのだが、彼はこの3月に定年を迎えて、今は農業を少しやりながらの悠々自適の生活を送っているということであった。

 仕事柄、近隣市町村の一般的な住宅街をくまなく回って訪問するのが私の営業なので、翌日その出会っ元職員のお宅に伺うと、実は奥様も元同じ市役所の教育公務員であり、現在は退職されていると聞いたのだが、お二人の年間給与はたぶん1500万円を下らなかっただろうし、退職金も二人合わせれば5000万円を超えたであろうと推察される、御殿の様な立派な三階建ての邸宅であった。

 とんでもないと言えば反論もあろうが、まじめに働いておられたといっても親方日の丸の「地方公務員」なのであり、8時半~5時の典型的な勤務で土日休み、しかも育児休暇や福利厚生面はしっかりと完備された条件の恵まれた経済環境の下で、何とも羨ましいほどの資産を蓄積されたといっても過言ではない実情に改めて驚き、むかつきすら覚えたのであった。
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世論調査で煽るマスコミ。

2010年05月17日 | 日本の課題
 今朝の毎日新聞朝刊のトップは、内閣支持続落23%、小沢幹事長78%「辞任を」であった。

 またかと言った感じの新聞社の世論調査が鳩山内閣の支持率が前回調査の一ヶ月前と比べて10%も下落し、不支持率は、62%で初めて6割を超えて内閣存立の危機的状況に突入したとしている。

 この「世論調査」たるもの、内閣の発足直後からほぼ一ヶ月毎に調査しているというのだが、いずれにせよ約二千人を対象にコンピューターで選んだ無作為抽別で電話番号を使ったRDS法という方法で有権者のいる1576世帯から1039人の回答を得たものだという。

 いつも私は疑問に感じているのだが、電話での無作為という形は非常に平等の様に思えるのだが、私の友人の経験から言うと、たぶん全国世論調査だと思われる電話があったが、仕事が忙しくて出られないため、回答者とはなれなかったというのである。

 つまり、働き盛りの20代から50代のサラリーマンや外出の多い元気な人たちよりも、家にいる高齢者や仕事を持たない人たちが主な回答者になっている割合が高いのではないだろうかと思うし、たった千人ちょっとの回答で、日本の人口1億2千万人、有権者8千万人の意識調査として大々的に結果を数値化して報道してしまっていいのだろうか。

 最近の新聞ならびにテレビの報道は、少しでもセンセーショナルに「見出し」をつけたり、特ダネ的に一面的な見方や断定的な結論をトップ記事として扱うことが多く、一般の国民、有権者にとっては一つの情報ではあるが、この情報に流されやすい傾向が強くある様に感じている。

 すなわち、先に結論ありきの感が強い、新聞各紙の内閣批判や小沢批判が先行し、一般の市民、読者や視聴者は、そういった情報によるイメージをインプットされることによって、自分もほとんど関心がなくても、「鳩山批判」や「小沢は辞めろ」といった結論に達している人も多くいるようである。

 今年の春からのHKk大河ドラマ「龍馬伝」で大ブームとなっている「坂本龍馬」の時代は如何だっただろうかと思うと、決してそうしたマスコミの様な民の意識を煽るような情報伝達手段がなかったと思われるので、大きな社会の民の意識の変化はゆっくりとしていただろうし、本当の生活実感からの喜怒哀楽や権力への批判、抵抗意識があっただろうと推察される。

 先日、ある友人の元市議会議員から電話があって、自分はみんなの党に入ったとの報告と共に、お誘いを戴いたのだが、私は全く政党や組織に所属して政治的活動をしたいと思っていないので、すぐにお断りしたのだが、多くの国民、有権者も日常においては、政党人でもなく選挙の際だけが「政党」もしくは「候補者」を選んでいるに過ぎないのである。

 確かに普天間問題や政権交代時のマニフェストの政策実現への過程としては、いろいろと問題や議論、中途半端が見受けられる民主党、鳩山内閣ではあるが、新聞各紙やテレビマスコミが煽るような世論調査とは、少し温度差が感じられる一般庶民の感覚ではないだろうか。

 参議院選挙なんてどうでもいいんだよ。日常生活に密着した政策が徐々に好転して、庶民の暮らしの現状が経済的にも精神的にも豊かで不安が少なくなればいいのであって、世論調査如きに惑わされてはならないのではないだろうか。
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先祖の神事で大垣へ。

2010年05月16日 | ファミリーイベント
 今日は、いつもより早く起きて、我が愛用の軽自動車で妻とふたりで、妻の実家のご先祖様の墓地での追悼の儀式に参列するため、早朝より車を走らせて、岐阜県大垣市まで約280キロを往復した。

 お昼からの神事だったのだが、京滋バイパス、名神高速道路の混み具合が検討がつかなかったので、相当早く自宅を出たために約2時間ほどで目的地のある大垣インターまで走ってしまった。

 あまり早かったので、大垣インターの手前の養老サービスエリアで約20分はトイレ休憩とコーヒータイムをとって、漸く大垣市に入ったのは、まだ10時前であった。

 妻の母親が大阪で92歳で健在なのだが、やはり老齢なため今回は参加をしなかったので、せめてもと母の写真をと思ったが、いつもの写真帳を妻が持って来なかったので、どこかでデジカメのプリントをと探そうと、まずは大垣駅周辺へと車を走らせた。

 JR大垣駅周辺で、今回の会場である長松町という場所を交番で尋ねた後、駅ビルに入ってカメラ屋さんかデジカメプリントの出来る店を探したがないとのことで、改めて車を南下させて国道へと向かったところで漸く10時になってカメラ店を見つけて焼き増しプリントのデータを確認する機械に向かった。

 所謂神事とは言え、一般的には「法事」に当たる集いで、東京近郊からと大阪、京都からおじいさん、おばあさんの故人の世代からすると子供、孫、ひ孫の世代に至るまでの何と30人が集うというので、ご年配の方には見ずらかろうと、せめてはがき大にとプリントしたスナップ写真を5枚、それぞれビニールシートに入れて見易い状態に仕上げて持参することとした。

 第一世代と称する我が妻のいとこ頭が音頭を取って、今回の約20年ぶりの集まりになったのだが、最高齢が83歳の従兄弟頭のお嫁さんで、第二世代、第三世代が集って、一番若いのが中学一年生の女の子という30人の集団となった。

 集合場所の地元の町内会の公民館をお借りして、12時過ぎに全員が集まったところで、従兄弟頭から挨拶があって、近くのご先祖様の由緒ある昔の住まいや場所を見学した後、先祖の墓所に向かって、神主さんの祝詞と共に全員が神棚に神事の葉を奉納し、儀式が行われた。

 その後迎えのバスに便乗した親戚、従兄弟全員が市内のホテルの宴会場での会食となり、初めてお目にかかる人も多かったが、各々がマイクを持って自己紹介と共に挨拶をして、親睦を深めて、明治時代からの古きご先祖様や、妻の親父さんたちのセピア色の写真などを見ながら歓談の時が過ぎた。

 私の実家の母も93歳の高齢だが、幸い健やかに元気で健在なので、私たち兄弟も従兄弟たちや親戚を呼んで、こうした集いが出来ればとイメージしてはみたが、なかなか全ての親戚や従兄弟たちの連絡先すらままならないことに気づいて、もっと母が出歩ける時代に、呼びかけて集えたら良かったのにと、少し後悔の念が残る感じで、大垣を後に急いで京都へと車を走らせて帰ったのであった。
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『びわの葉の効用』

2010年05月15日 | 季節の話題
 今日の日中は五月中旬らしく五月晴れに恵まれて暖かな日差しがとても気持ちよく、久しぶりに「いい天気だなぁ」と感じたが、夕刻になるととっても肌寒く半そでやティーシャツ姿では寒さを感じる気候であった。

 午前中の有機八百屋の営業で近くのいつものお客さんとお話をしていたら、近くの中年の奥さんが散歩かと思ったら、手に緑濃い「びわの葉」を十数枚採って帰る途中で、私の軽自動車の野菜などを覗き込んで興味深く、こちらに話かけられた。

 お話を伺うと、お母さんと同居で、母親の病気の治療に少しでも役だてればとお近くのお庭のびわの木の葉をいただいた来たと言われるのであった。

 確かに「民間療法」とでも言うべきか、昔から何やら「びわの葉っぱ」が難病に効くという話は聞いたことがあったのだが、現代医学ではそういった話はスルーされてしまいそうなのだが、私のお客さんの年配の女性も、その女性との話に相槌を打ちながら、自分は琵琶の葉を焼酎に漬けていて、アロエの液と共に、お肌の手入れや薄毛予防に混ぜて使用しているとのことであった。

 初夏の果物として、この五月初旬頃から果物屋の店頭にも「大きくて黄色い琵琶の実」が並んでいると思うが、絵手紙や絵画のモチーフとしては用いられることが多いのだが、果たして「琵琶の葉」の効能は如何なものだろうか。

 びわの葉には、ブドウ糖、蔗糖、果糖などの成分が豊富に含まれていて、その中に「アミグダリン」というビタミンB17になる成分があり、これが薬効効果抜群で、難病の治療や中には癌にも効くとの画期的な話もあるというのである。

 3千年前のインドの「涅槃経」という仏典にも、びわの葉は大変優れた薬効効果があり、びわの木は大薬王樹とも呼ばれ、全ての憂いを取り除いてくれる「無優扇」という別名までついているそうである。

 日本でも奈良時代の天平2年に光明皇后が造ったといわれている、貧しい人々の病気を救済する施設、「施薬院」では、既に「びわの葉療法」が用いられていたという記録があり、びわの葉二枚を両手に持って擦り合わせて、熱いうちに患部に当てて摩擦するといいとされ、難病に悩む衆生たちの治療に欠かせなかったという。

 「びわ葉治療」は、お灸と共に用いる「灸療法」があり、もぐさと共にびわの葉を圧力を加えて摩擦し、血行を促すと酸素補給と共に血液浄化の効果が高まり、病気の原因とされている血液の汚れをビタミンB17が酸性血液から健康な体に流れる弱アルカリ性の血液に変えてくれることが証明されているという。

 このため、「民間療法」としては、一部には「癌治療」にも効果があるとされていて、「温灸」や「葉の焼酎漬」などの使い方で結構使用されているらしい。

 また「琵琶の種」には、葉の1300倍ものアミグダリンが含まれているそうなので、さらに薬効効果を高める療法に用いることができそうである。

 ともかく、昔からの言い伝えのひとつだが、現代でも多くの庶民が試している「副作用のない」民間治療に「琵琶の葉」が使われていることに驚いたのであった。
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雇用悪化で自殺者増加。

2010年05月13日 | 日本の課題
 今夕の毎日新聞の一面トップ記事の見出しは「失業で自殺65%増」であり、12年連続で全国の統計上の自殺者総数が3万人を超えている現実が厳しく悲しいのはもとよりだが、失業を原因の一因とする二十代、三十代の自殺者が急増しているという現実に、心が痛むのだが、国や行政の対策はほとんど見えない。

 先日も京都市内へ仕事で出向く際に伏見ハローワークの前を車で通ったのだが、老若男女の仕事を求める人たちでごった返していて、道路にまで人があふれていたし、帰りに通った宇治のハローワークも駐車場が満車の看板を持って警備員が出入りの人々の整理を行っていた。

 一昨年のリーマンショックと一般的に言われている国際経済のショックから一年半以上経過したが、一向に日本社会の雇用状況の改善は思わしくなく、昨年の完全失業率も5.1%と6年ぶりに5%台に悪化していて、有効求人倍率も何と0.47%という最悪の状況だという。

 私が知りうる知人、友人の中でも中高年齢の失業者も含め、なかなか仕事が見つからないと、日々の暮らしの支えにとアルバイトしかないと頑張っている人が数人いる。

 中には30代の男性もいて、正規雇用での社員としての雇用が見つからなければ、結婚もしたいが出来ないと嘆いている者もいて、全国的な実際の雇用悪化状況は、統計上の数値を上回っていると思われる悲惨な状況が続いている。

 そんな中で、発表された昨年2009年度の自殺者の動機として「失業」が含まれる人が前年からの七割増しの一千人を超えていることが判明したのだが、警察庁の推察での数値なのだが、景気後退による雇用状況の悪化が自殺の理由になったケースが増加している実態が明らかになったのである。

 原因、動機に「生活苦」が含まれる自殺者の数も前年よりより34%も増加しており、人口10万人に対する自殺者の人数で示す「自殺率」の推移においては、全体的には25.8とほぼ横ばいなのだが、年代別では20代が24.1、30代が26.2で過去最大であったらしい。

 こうした統計上の数値だけで全てを語るのは困難な面があることは承知してはいるが、自殺の原因、動機に関する現行の分類を採用した2007年度から、健康問題、経済・生活問題など7つの区分と細分化した「失業」「生活苦」「うつ病」「倒産」「職場の人間関係」「失恋」「いじめ」などがあり、警察官が三つまで選んだ結果としての統計なのだそうである。

 いずれにせよ、毎年3万人以上の人間が自殺する国、ニッポンで、失業や生活苦などの経済環境の悪化で自殺が増えている現実は、到底先進国や経済大国とは言えないお粗末な社会であり、政府のならず多くの自殺対策事業やカウンセリングやケア、サポートが必要な非常事態であることは間違いない。
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モンゴル草原で落馬。

2010年05月12日 | とんでもない!
 五月も半ばというのに、ほんとうに今年の天候不順はいつまで続くのかと思うほど、今日は晴れたり小雨が降ったりして、気温は15度を少し上回る程度で肌寒さを感じる、けったいな一日でもあった。

 仕事を終えて事務所へと車を走らせていると、珍しい友人から携帯電話に電話がかかってきたので、車を停車させて話したのだが、突然のモンゴル人からの電話で、「ムーレンの弟を知っていますか?」と聞かれて、少し間を置いて思い出した。

 「ムーレン」とは中国読みである名前で「牧人」と書く、1989年に中国内蒙古自治区に行った際に出会って以来の知人で、その弟とはたぶん1993年か4年に内蒙古草原に再び行った際に、共に一週間ほどの草原生活をしたことがあったのであった。

 しばらく内蒙古からやってきて既に20年以上経つと思われる、友人のスーチンドロン氏が言うには、その弟たちのロックバンドが来日していて、東京で三回の公演を行った後、明日奈良にやって来て、彼が一日観光案内をするというのであった。

 私は思い出したことがあった。そのムーレンの弟のモンゴル名は覚えていないのだが、彼の顔と彼の彼女の顔ははっきりと記憶にあり、実はその年の夏のモンゴル草原で、私は牧民の馬に乗って草原散歩を試みていた際に、馬が急に疾走しだして危険を感じたので、草原のど真ん中で馬から意識的に落ちた際に、強く右大腿部を強打したのであった。

 それから二日たって、痛みは激しくなって、近くの美しい山である「白音教包」に登る頃には痛みが増して、翌日の北京行きの寝台列車では、痛みに耐えられず眠ることが出来にないほどとなっていた。

 その事件の結末は、「へぇー!」と思う様な結果とになったのだが、ムーレンの弟の引率で北京の日中友好病院で診察を受けて、全治3ヶ月以上の骨折で、入院二ヶ月を要すると診断されたのであった。

 しかし、私は十数名の仲間の引率をしていたので、翌日の万里の長城見学だけは現地のガイドに依頼し、ホテルで日本の甲子園の高校野球準々決勝の4試合の衛星中継を見ながら、腰の痛みと格闘し、翌日大阪伊丹空港へと帰国したのであった。

 妻や友人たちは私が腰の骨を折る大怪我をしたと思って、車椅子や自動車の手配もして空港に迎えに来てくれたのだが、私は意外と歩いてタラップを降りて迎えに感謝しつつ、翌日大阪の病院へ中国で撮影したレントゲン写真を持って出向いたのであった。

 すると、何と骨折はしておらず、強打したための打撲で一週間ほどで痛みもなくなり、ウソのように全治していたのであった。

 しかし、私がたぶんモンゴル草原で馬から落ちた頃に、我が妻のお父さん、私の義父がこの世を去るという大事件が日本では起きていたのであった。

 思い出した、この落馬事件に我が友ムーレンの弟が大きく関与していたのであった。
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「いのちの山河」上映会

2010年05月11日 | 地域の話題
 「豪雪、貧困、多病」という、全国的にも多数の社会的問題を抱えていた、山間の小さな村である「岩手県・沢内村」が、全国に先駆けて、幼児と老人の医療費の無料化を開始したというニュースが伝わってから、全国各地の地方自治体でも、住民の「いのちと健康を守る」ための行政としての自主的サービスが徐々に始まったのですが、この画期的な施策を始めた、当時の深沢村長の半生を描いた「映画・いのちの山河・日本の青空Ⅱ」がわが町、京田辺でも来る5月30日に上映される。

 深沢氏は青年期の大半を海外で暮らして、多くの夢を追い続けて辛酸をなめた多くの経験から、人生の後半は故郷の村に戻って、村と村人たちのために奔走し、適材適所に人を配置して、巧みに人材を育てて、皆で力を合わせて困難を乗り越えれば幸せになれると、教育長、村長として村民に自信と希望を与えました。

 つまり、深沢氏は勇気ある行動で日本で最初の医療保険体制の改革を行ったと言っても過言ではない有言実行者だったのです。

 強い信念と熱い気持ちを持って、貧しかった一つの村に力の渦が巻き起こり、どんどんと変わって行き、多くの人を動かし幸せに導いた「革命家」のようでした。

 「生命村長」と呼ばれた、当時の深沢村長は、「人間を尊重するということは、人間の生命と健康を尊重することに始まる」という信念で、生存権を既定した、日本国憲法第25条の精神を盾に、乳幼児と老人医療費の無料化に踏み切り、全国初の乳児死亡率ゼロを達成したのです。

 当時の岩手県、沢内村は現在は合併で西和賀町となっていますが、この村の取り組とは逆行している後期高齢者医療制度や格差社会、ワーキングプア、戦争、貧困、孤立、自殺、少子化になどにも大きなテンションを与える行政施策を、なんと1950年代後半からはじめていた小さな地域の物語なのです。

 現代の様々な「いのち」の問題を考える時に、いま一度、憲法25条の精神、つまり、「すべての国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有すると国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない。」を問い質さねばならないのではないでしょうか。

 一人ひとりの「いのち」と平和を守ることは、まさに人間の生きるための車の両輪と言ってもいいのでしょう。

 この映画は、どん底に喘いでいた小さな山間の村、沢内村の人々が力を合わせて大きな苦難に立ち向かい、打開していく姿を忠実に描いていて、憲法25条の具体化のための施策をクローズアップし、人間の命の大切さを訴え、現代から未来へ希望を見出せる社会づくりを目指すものです。

 監督、大澤豊、脚本、宮負秀夫、企画・製作は、前作青空と同様で小室プロデューサー、原作「村長ありき」(及川和男著/れんが書房新社)と「沢内村奮闘記(あけび書房)。

  「いのちの山河~日本の青空Ⅱ~」

 2010年5月30日(日)①10時、②1時、③4時の三回上映、京田辺市立中公民館ホールにて、「上映協力券・前売一般1200円、高校生800円
 
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盛り上がらないWカップ!

2010年05月10日 | プロスポーツ
 いよいよ2010年サッカー、ワールドカップ南アフリカ大会の開幕まで一ヶ月となり、今日午後、日本代表チームの選抜選手23名が、岡田監督から発表された。

 一番のサプライズとして上げられたのが、34歳になるゴールキーパー川口能活選手の4連続大会出場という選出であり、チームのまとめ役として、その過去の経験と選手たちの信頼を軸に日本代表チームの要としての選出がされたことであった。

 ここに至って、ワールドカップ日本代表への期待感は大幅に薄れていて、今春の国際試合で、韓国に1-3で完敗し、続くセルビア戦でも0-3といいところなしで敗退したことから、岡田監督率いる日本チームの実力やW杯でのベスト4を目指すという目標も色あせて、監督交代もささやかれるほどであった。

 日本サッカー協会では、全く監督交代などは考えておらず、現状の岡田監督以外に、日本代表チームをまとめていける人材はないとの見解で、本日の選考選手の発表となった模様であった。

 一ヵ月後の南アフリカ大会の開幕まで再び韓国、イングランド、コートジボアールとは国際親善試合として戦う予定だとされているが、果たして選出された23名の選手たちの戦いぶりは如何となるか見ものである。

 ワールドカップ予選リーグの相手は、カメルーン、オランダ、デンマークと決まっているので、この三戦で二国には勝たなければ、決勝トーナメントへの参加ができなくなるのだが、ベスト4を目指す岡田ジャパンの戦いは厳しそうである。

 岡田ジャパンの23人の侍が決定した午後から夕方にかけての街頭インタビューでは、一般のサッカーファンや国民の方はシビアで、約70%以上が予選リーグでの敗退を予測し、三戦全敗すると思うと答えた人も、約3割近くに達していて、日本代表の活躍ぶりに期待しつつも、現実は厳しいと予測する人が多かった。

 日本サッカー協会の幹部首脳たちは、昨日和歌山県勝浦町の熊野那智大社など熊野三山で、日本代表チームの必勝祈願祭を行ったらしく、副会長や専務理事が参拝し祈願されたそうだが、やはり専門家や評論かも、日本の予選リーグの戦い予想は厳しく、たとえ奇跡的に決勝トーナメントに出場できたとしても、ベスト4になる実力は現状では乏しいと言わざるを得ない。

 お馴染みのDFの中澤、闘莉王、MFの中村俊輔、遠藤、稲本、本田らとFWの岡崎、玉田、大久保、森本らに期待したいところは山々だが、世界のサッカー強豪国がひしめき合うワールドカップでは、日本は一勝を挙げることすら厳しいといった現実が正しい予想だと言わざるを得ないのは、少し寂しいことだが、盛り上がらない理由は、やはり日本チームの弱さと実績のなさが物語っているから悔しい限りである。

 6月11日に開幕する南アフリカでのワールドカップが無事開催されることを祈って、テレビの中継や録画で応援したいと思う。
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今期初の甲子園!

2010年05月09日 | プロスポーツ
 今日は娘の誕生日であり、五月の第二日曜日は母の日でもあるので、3月から予定してチケットを購入してあった「甲子園」へと娘家族の4人と共に6人で、阪神vs広島戦を応援に行きました。

 朝十時半過ぎに出発してデイゲームだったので12時前には、阪神甲子園球場に到着したので、ダイエーでお弁当や風船を買ってから、待望のリニューアルした新甲子園球場のレフと観覧席の下に出来た「甲子園歴史資料館」を家族全員で訪れました。

 戦前の阪神タイガースや夏の高校野球の貴重な写真や記録から、最近のビッグニュースともなった「金本選手」のアメリカ野球殿堂に展示される予定の「1492試合全イニング連続出場」の記録を達成した「グローブとボール」や「ユニフォームや靴、帽子」が展示されていたので、試合開始前の時間を急ぎ足で見学し、バックスクリーン側から見る「甲子園球場」を一望した後、今回は一塁側アルプススタンドに席を取っていたので腰をかけた。

 あの黄金のバッテリーと呼ばれた「江夏と田淵」や1985年日本一に輝いた当時の「掛布、バース、岡田」のバックスクリーン3連発ホームランを達成した、新ダイナマイト打線のメンバーの写真、そした一番私にとっては懐かしい、村山、小山、バッキーらの投手陣と吉田、三宅、鎌田、藤本らの内野陣と大津、並木、ソロムコなどの外野で戦った、昭和37年、39年優勝当時の思い出シーンもふんだんに飾ってあった。

 阪神タイガースが球団として誕生したのが1946年、昭和21年なのだが、遡ること10数年に「大阪タイガース」として産声を上げた、我がタイガースは今年75周年の年を迎えているのであった。

 試合は、鶴投手の初先発で大いに不安だったのだが、辛うじて好投して6回終了時には、阪神はブラゼルの二打席連続ソロホームランで2-2の緊迫した戦いとなっていたが、7回裏にツーアウト二塁、三塁から、絶好調の新助っ人外人のマートンが期待通りの二塁打を放って2点を奪って、西村、久保田、藤川と繋いで、広島の反撃を一点に抑えて、気持ちのいい勝利となった。

 昨年は、同様の時期に沖縄に住んでいる息子夫婦も急遽駆けつけての8人で応援したのだが、残念ながら広島に負けたので、今年は雪辱をと期待していた通りの結果となって、娘の誕生日祝いともなったので、母の日にちなんでの花と熊さんのプレゼントを持って、大阪の私と妻の母に届けようと、車を走らせたのであった。

 やっぱり、甲子園への応援は勝利で終了するにこしたことはなく、今回は4-3の薄氷を踏む如き、ハラハラ、ドキドキの経過ではあったが、両外国人のヒーローインタビューも聞くことができるという最高の『初甲子園』となった。

 娘には兄弟や友人たちから、お誕生日と阪神勝利を喜び、おめでとうメールがたくさん届いたし、老いた両母親たちには、カーネーションの鉢と熊さんのかわいいマスコットを感謝の気持ちで贈れたことは、大変いい気分であった。

 「今年の阪神タイガース」は、リニューアル甲子園を舞台に優勝を目指して、いいゲーム、勝ちゲームをたくさん見せてほしいものである。
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