ガリバー通信

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「鈍感力」が再び話題に。

2010年05月22日 | とんでもない!
 数年前に渡邊淳一氏が書いた「鈍感力」という言葉が再び、民主党政権を担う鳩山由紀夫首相と小沢一郎幹事長に関して話題となっているらしい。

 先日、この造語的新語を生み出した張本人が、民主党のご両人についての「鈍感力」について語っておられたが、いずれにせよ国民、有権者の声や叫びに「鈍感」であることが「鈍感力」ではなく、そうした声や叫びにへこたれずに堂々と応答し乗り越えて行くことの出来るパワー、エネルギーを持っていることだとのことであった。

 そういう意味では、良くも悪くもないが「小泉純一郎首相」は、最近の宰相としては「鈍感力」のあるリーダーだったと評価されているらしいのだが、歴代の首相の中でも最も「鈍感力」に優れた政治家だったのは、「吉田茂」と「田中角栄」だったというから大したことはない。

 とにかく、その小泉純一郎首相が五年半、日本のトップリーダーとして君臨?した後は、何と二世、三世の代議士ファミリーの中で幼少期から育った「お坊ちゃま」が代々の首相を務めてきたわけで、福田、安部、麻生と続いた自民党と公明党の連立内閣における首相も、政権交代はしたけれど、元自民党の世襲制の様な代議士家族の中から選出された「鳩山由紀夫」も「小沢一郎」も同じ穴の狢と言っても過言ではないのだろう。

 すなわち、庶民の生活実感をしろうにも、そうした経済的にも環境的にも、厳しい家庭に育ってはいないのだから、いくら言葉で語ってもわからないのである。

 つまり「鈍感」なのではなく、そうした現状や心情を理解する能力に欠けているとでも言うべきか、そうした想像力や実感の経験がほぼないのだから、しょうがないのではなかろうか。

 麻生太郎氏が首相の時に発した、インスタントラーメンの値段、400円くらいや、ハローワークで向かい合った失業中の青年と交わした、世にも不思議な上から目線のアドバイスなどは、笑ってしまったのだが、止むを得ない環境にお育ちの方なのだから、しょうがないとしか言いようがないのであった。

 この「鈍感力」と言った言葉そのものが不可思議な造語であるために、勝手に渡邊淳一風に解釈されたり、全く違う感じでひとり歩きしたりするのは止む得ないのだが、いずれにせよ、あまりにも庶民や関係ある沖縄をはじめとする米軍基地に占拠された地域や、新たな移転先として取りざたされている「徳之島け」などの住民の感覚や心の中の思いとは、かけ離れていることだけは間違いないと言えよう。

 「鈍感力」があるとかないとかではなくて、日本と言う国家が将来も日米安保や日米同盟と称される軍事的サポートや占領に委ねて行くのかが問われている、今回の「普天間基地」移転問題だという認識で、移転先を探すのではなく、独立国家としての米軍依存からの脱却が問われているのではなかろうか。
コメント (2)
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