離婚問題の相談員などで知られる池内ひろ美氏が、少子化解決策として、子供を沢山作る男性は格好いいという文化を根付かせるべきだという趣旨の論考をビジネス情報誌を扱うダイヤモンド社のサイトで発表し、話題となっている。
・子どもをたくさん作る男はカッコいい
http://diamond.jp/series/ikeuchi/10013/
これを受け、2chのニュース速報+板では早くもこの論考や池内氏に対する論評が行われている。その多くは批判的なもので、全く話にならないというか呆れ返ってしまうと言った意見が大半のようだ。
確かに、論考の内容を見れば、男性だけに意識改革を求めて女性には何も求めないというフェミニズム定番のご都合主義を並べているだけだから無理も無いだろう。特に、論考最後の「『あなたの子どもを産みたいわ』、女性にそう言わせてこそ一流の遺伝子を持つ男である。」という件(くだり)は、女性の非婚化や晩婚化は全て男性の不甲斐なさに責任があるとでも言いたげな内容だ。これでは彼女の資質が問われても仕方ない。
それに、この言葉を男女全く逆に置き換えれば、「『俺の子を産んでほしい』、男性にそう言わせてこそ一流の遺伝子を持つ女である。」ということになるが、これも妥当な意見だとでも言うのだろうか。
だが、2chのネット論客も、池内氏ばかり批判してもあまり得策とは言えないのではないだろうか。むしろあの2chの状況を見て、池内氏は「やはり日本の男は駄目な奴ばかりだ」と逆に勝ち誇った意識を強めてしまうような気がする。
では、どうすれば良いのか。それは、この論考の掲載責任がどこに存在するかを考えるということである。この論考はたとえ池内氏の個人的な脳内理論であっても、掲載場所はダイヤモンド社(以下、ダ社)のサイトであり、決して池内氏の個人サイト等に掲載されたものではないということだ。つまり掲載責任はダ社にあり、ここが内容を承諾したということだ。従って、批判をするなら、まずはダ社に対して行うべきではないかということだ。
ところで、ダ社はこの池内氏と提携することでどんなメリットを見出そうとしているのだろうか。フェミニズムと経済は女性労働という点でつながりがあり、家事労働はお金にならないが企業労働はお金になるなど、フェミニズムがやたら金銭に執着していることからもマネーフェミニズムなどと呼ばれることもある。
だが、家庭での母親育児の大切さを度外視したり、仕事を優先させて結婚しないように女性に促すなどして、女性を労働市場に送り出すのは決してあるべき姿ではなく、それが非正規雇用の増加など労働環境を悪化させ、離婚、非婚の増加、更には犯罪の増加など様々な社会の歪みを招いているのは言うまでもない。経済は国民の生活を握っているのだ。それなのに、その大切な経済情報を発信する会社がフェミニズムを支援していては、もはやその会社は信用出来ないということになる。
フェミニズムは、女性の権利だけを拡大することで自らが勝ち組となり、男性を負け組みにする格差思想である。そして経済競争も格差社会を生み出す。そして経済情報で飯を食う連中は当然勝ち組になろうとする。だからフェミニズムとも連携する。フェミニズムは社会の隅々まで入り込んでいるということを忘れてはいけない。
そして、1人でも多くの女性を自分と同じ立場に引きずり込んでやろうという野心があるのではないでしょうか。「おひとりさまの老後」なんてのはその典型例だと思います。
これに対し、ただの自己中女性は場当たり的で特に戦略性もありません。従って上野のようなフェミ連中のいいように振り回されていると思います。
しかし、当の本人達はわがままが通るものだから、自分達が翻弄されていることに気付かないのだと思います。
何れにせよ、際限のない欲求は人を幸せにすることはありません。まさに、煩悩の克服が大切だと思います。
その中で気になったのは、なぜ自分がフェミニズムをやるのかというと、そん理由は、早く自分が楽になりたいからと述べていました。
今の女性が自由になれない現状に不満を持っていて、それで自己が抑圧されていると感じているのでしょう。
それで、早く楽になりたいために、社会を自分の都合の良いように改造しようとしているのです。
しかし、問題なのは社会ではなく、自分自身ではないでしょうか。
勝ち組になれば女性の自己実現が達成されるような錯覚があるのでしょうが、社会的な地位が男性よりも上になったとしても、それはあくまでも相対的な現象であり、女性自身が自己実現をして自由を手に入れたわけではありません。
むしろ、自分の欲望に振り回されるという不自由に陥っている場合もあります。
上野は、男女共同参画法が成立したことで、女性は自由になれると喜んでいるようですが、本当に女性が自由になるためには、自分自身を克服しなければならないのです。
問題は社会にあるのではなく、人間の我欲、煩悩を如何に克服するかにあるのではないでしょうか。