かつてマスコミでも取り上げられた静岡県御殿場市での少女集団強姦未遂事件、所謂「御殿場事件」が、極めて納得のいかない形での決着となってしまった。この国に果たして正義は存在するのだろうか。
・元少年5人の有罪確定へ 静岡・御殿場の少女集団強姦未遂 2009/04/15 13:14
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/event/243139/
この事件について知らない人は、以下のリンク等を参考にして頂きたい。注目すべきは、長野智子氏のような女性ジャーナリストが冤罪の可能性に言及していたり、事件の問題点の鍵である事件当日の天候に関して気象専門家の森田正光氏も言及していることだ。つまりこの事件に如何に矛盾点が多いかを物語っていると言えるだろう。
・(1)「御殿場事件」を忘れるな ~青年達の未来を奪った警察・裁判所~
(テレビ朝日「Scoop」、第2部『検証! 御殿場事件』まとめ)
http://f13.aaa.livedoor.jp/~hiroppe/gotenba/gotenba.htm
・(2)御殿場事件・判決の矛盾 2007.08.23(長野智子blog、より)
http://yaplog.jp/nagano/archive/297
・(3)御殿場事件(チーム森田の“天気で斬る!”、より)
http://blogs.yahoo.co.jp/wth_map/48963678.html
この事件に関する問題点についてはここで繰り返すまでもないが、少女が出会い系で知り合った男性と逢うため帰りが遅くなることを親に隠すために、その言い訳として暴行されたと嘘をつくというのは極めて卑劣というより他はないだろう。ショッピング等で道草をしていて遅くなったというならまだしも、暴行されたというのは架空の加害者を作り上げてしまうのだ。電車内で携帯電話を注意された腹いせに相手を痴漢扱いしたり、示談金目当てで痴漢でっち上げをするのと同様、わざわざ加害者を作り上げることがいかに重大な罪であるか、その認識が微塵もない女性が少なからず存在するということを問題視しなければならない。
そして、この事件には、絶対に冤罪にしてはならないというフェミニズムなどの何らかの圧力がかかっているものと考えざるを得ない。検察も司法も腐敗しているのは確かだが、これらを操る権力が存在するからだろう。しかしそれは一般人には何も立証する手立てはない。
ところで、この事件でもフェミニズムの悪影響が女達の心を蝕んでいることが読み取れる。何故なら、女性が何か不利な状況に陥った時に、痴漢や強姦など性犯罪に結び付けて被害者を装えばいいといった短絡的な発想を植え付けてしまったからだ。これは殊更に性被害を強調し、性犯罪の厳罰化を主張し続けることにより、女性は常に潜在的な性被害を受けているかのように覚醒的な意識を持たせていることが影響していると考えられる。今回の事件で少女が暴行されたと申告したのも、こうした社会背景が影響しているのではないだろうか。
ただ、濡れ衣を着せられたであろう少年達の人生は一体どうなってしまうのか。これが法治国家と言えるのか。事件の日を途中で1週間も前にずらすなど明らかにおかしい。しかし彼らの有罪は確定してしまったのだ。マスコミもこの結末について何故言及しないのか。同日に無罪判決が出た痴漢冤罪事件はこの御殿場事件を覆い隠すための材料に過ぎなかったのか。
(1)のリンク先の最後にはこんな記述がある。なるほど納得させられる内容だ。
ある掲示板ではこれだけの疑問点があるにもかかわらず、感情だけで狂言女子高生の味方をする民度の低い輩(おそらく、多くは女性)がいるからです。婦女暴行に不安を感じるのは分かりますが、この事件はどうみても冤罪です。女性は感情だけで話を進められる生物なのでその点にあまり期待はしていませんが、できれば「感情に基づく根拠なき決め付け」はお控え願いたいものです。
(一部引用)
まさに女性は性的な事例が絡むと冷静な判断が出来ない、こんな女性でも近々始まる裁判員制度の対象になるかと思うとぞっとする。そもそもフェミニズムというのが性欲に対する過剰なまでの嫌悪感を持ち、女性の嘘でもお構いなしに男性を悪者にしてしまう暴挙を平然と主張する。しかもそうした女性が弁護士や大学教授などの要職に就いているのだ。まさに日本は男性がいつ事実無根の罪を着せられるかわからない危険な国なのだ。明日は我が身なのかも知れない。
そして、この御殿場事件が氷山の一角に過ぎず、他にも同様なケースで濡れ衣を着せられ刑務所に服役している者が沢山いるかも知れないのだ。
しかし最近では家庭に於て不条理を教えることがなくなりました。各々、子供に自由をもたせるために、当たり前の部分をつくる躾(刷り込み)を排し、話し合いと納得のみを教育の柱としたのです。
ですが、それのみでは人間は立って居られません。不条理を教わらない世代は、何処にでも存在する思い通りにならない世界に弱過ぎるのです。つまりすべてに神経質で、気に入らないことがあれば直ぐに問題化する。そのため、契約(ヤクソク)だ、契約(ヤクソク)だ、と言い始めるのです。本当は約束されていないことを、人は人との繋がり、とするのにです。
今特に問題なのが、女性の社会進出でしょう。何れにせよ、子供ができたのなら育てなければならないのですが、育てるはずの母親が会社に行ってしまいます。子供は父親が見ればいい、という話にもなります。そして、その最終的な結論として結婚などしたくない、という不条理な部分の排除になります。
だからこそ躾は大事なのに、私を含めた現代人は矢張り視野が狭いのでしょうね。
確かに世の中に不条理なことは山ほどあります。しかしその引き換えに例えば家族愛といった慰め、安らぎというものがあってこそ人は耐えられるのだと思います。
しかし、現代はその耐えるための大切なもの、つまり家族愛を失いかけています。それが数々の悲劇をもたらす元凶になっているのではないかと思います。
家族は人間社会の基本ということは本ブログでも何度も申し上げている通りですが、ご指摘のように、女性の社会進出はじめとするフェミニズムは家族破壊を目的とする破壊政策であり、絶対に受け入れてはいけないと思います。
母親が家族に愛情をそそぐ役割の自認も同様。統制の部分は、社会のバランスを考える上で必要不可欠なのです。
では、なぜ少年たちの有罪が確定してしまったのかというと、それは裏で非常に巨大な力が働いていたと考える他ないでしょう。フェミニストの裏にある創価学会をはじめとする勢力が裁判官に向けられた訳ですから、裁判官にとっては相当な圧力でしょう。ここの記事にもかかれていますが、やはりこの事件だけは冤罪にしたくなかったのでしょう。日本国憲法には裁判官の独立の原則が規定されています。しかし、これは単なる形式上のものでしかないのでしょう。
これが日本の裁判であり、形式は裁判ですが中身は裁判ゴッコです。
過去の様々な事件を追えば追うほど日本の司法は証拠主義ではなく
言った者勝ち主義であり、逮捕した者勝ち・起訴した者勝ち・有罪判決した者勝ちです。
舞鶴事件や富山の強姦冤罪事件のように勝手に容疑をかけては逮捕し、証拠すらなくても強引に起訴し有罪に持ち込むのも日本の特徴。
得意技は他にもあり、証拠の捏造や目撃者の誘導・科学的根拠すら180度変え荒唐無稽な理論すら強引に押し付ける日本の司法。
考えて見れば日本の公務員ほどいい加減な公務員は世界中でも稀だろう。
メンタリティーが中世や江戸時代と同じであり自分達が支配者と言う意識。
司法・立法・行政と三権分立と言う建前の裏では江戸時代と同じ政治が続いている。
第4の権力と言うマスコミも同様海外のタブロイド紙より劣るクオリティーの無さ。
逮捕=犯人と言うスタンスで報道し、報道する側の原則である裏付けすら取らず権力側の発表を垂れ流す。
何故か容疑者とされた人物の過去を取材する事だけは熱心であるが無実や冤罪の可能性を探る取材はしない。
救いようのない国が日本である。
残す道は民事訴訟を起こすしかないでしょ
マスコミはおもしろおかしく報道するだけですからね
通常この手の強姦事件では現行犯で無い限り警察は捜査をしない。犯人を逮捕したとしても被害者でる「女性」が告訴を取り下げるケースが多いからである。 なのにこの場合は「強姦未遂」でありながら警察は多くの捜査員を投入し犯人を仕立て上げた。何故か? 警察がこの「両親」を恐れていたからであろう。 そしてこの両親は最高裁をも動かす人物に違いない。 この両親の裏には巨大宗教団体の匂いがする。既に「ドキュメンタリ宣言」のコメント欄にその団体らしきコメントが投稿されている。 その団体が何であるかは定かではないが、御殿場の地名から想像することは容易であろう。
「両親が娘に対して厳しい態度をとり、叱り付けてさえいればこんな事件は起きなかったのではないか? この事件は闇に葬られる。
様々な権力が蔓延る中で、報道も、判決も、何を信じて良いのかわからなくなっている状況だと思います。
つい先日も京都の大学生コンパでの集団暴行事件がニュースになりましたが、こうした事件も報道だけを真に受けられないと思います。