社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

大橋巨泉さん死去、クイズダービーが物語る時代背景とフェミ社会への警鐘

2016-07-20 21:31:50 | 芸能、音楽

 昭和の名司会者、大橋巨泉氏が死去した。11PM、クイズダービー、世界まるごとHOWマッチ、巨泉前武ゲバゲバ90分などの人気番組で司会を務め、高視聴率を獲得した。ネットのない時代、庶民の娯楽はテレビが中心だった。それだけに印象に残っているという人も多いだろう。

 中でもクイズダービーは、単なるクイズ番組ではなく、誰が正解するかを予想し、そこへ出場者が自分の持ち点を賭けて増やしていくという斬新な内容だった。「せーの、ドン」、解答者の答えを開ける時に巨泉が放つこの台詞はいつしか名物になった。そして「倍率ドン、さらに倍」など派生的な台詞、更には出場者が解答者に点数を賭ける時の言葉「はらさんに3000点」、「はらさんに全部」などの言葉もいつしか定番となっていた。

 この番組は色々な楽しみ方が出来る。視聴者が出場者になったつもりで点数を賭けてもよし、または解答者になったつもりで出題される問題を考えるのもよし、勿論両方同時にやることも出来る。つまりクイズは不得意という人でも楽しみ方があった。人気番組となった理由がここにあるのかも知れない。

 問題にも工夫があった。番組開始当初は知識問題が多かったが、次第に知識よりも思考力を問う問題が主流になっていった。それも問題文の中にヒントが隠されている場合が多かった。当時私も番組を見ながら解答者になったつもりで問題を一緒に考えていた。しかしかなり難問が多く、その分正解できた時の喜びは格別だった覚えがある。

 番組終了からかなりの年月が経っているので、どんな問題が出題されていたのか思い出すことも困難だが、記憶を頼りに幾つか紹介してみたい。

Q1.ピノキオの鼻が伸びる時はどんな時?
Q2.レコードプレーヤーを33回転モードにして3分間回すと何回転するか?
Q3.日本で初めてチョコレートを食べたと言われている人がお札の肖像に使われています。それは誰?
Q4.北極点に方位磁針を置いたらN極はどこを指すか?(三択:真上を指す、地面を指す、くるくる回る)
Q5.スコットランドの民族衣装であるキルトを穿く時、その下には何を身に着けるか?(三択:ブルマを穿く、トランクスを穿く、何も身に着けない)
Q6.魚のサバを漢字で書いてください。
Q7.トランプのダイヤの7のマークの配置を書いてください。
Q8.男子大学生に聞いたアンケートで、女の子のパンツの色で最も好きなのは何色?

 何れもこれらの問題は番組開始当初の昭和50~52年頃に出された問題だ。
 一方、思考力を問う問題についてはなかなか思い出せないので残念だが、一つだけ印象に残っている問題がある。

Q.海外のとある著名な大富豪夫人の言葉で、「自転車に乗って笑っているよりも、何とかの中で泣いている方がいい」というものがあります。いかにもお金持ちらしい彼女の言葉ですが、さて、何の中でしょう?

 テレビ番組は時代を反映していると言われている。例えば女の子のパンツの色でどんなのが好きかといった問題などは、今ならフェミから抗議が殺到するのが予想されるから問題にすら出来ないだろう。しかし当時の女性と今の女性を比べてどちらが幸せに暮らしていたかと問われれば、私は間違いなく当時の女性と答えるし、同じ答えの人は決して少数派ではないと思う。

 フェミニズムは女性に経済力を付けることに成功した。しかしお金で幸せになれるわけではない。結婚して家庭を築き、家族として暮らすことの大切さを多くの女性達は忘れている。巨泉の番組にしても、多くの人が家族で一緒にテレビを見ていたからこそ視聴率を稼げたのだと思う。今のテレビ番組はフェミに毒された歪んだ女性像を描いているものがほとんどだ。まさに貧乏で笑える生活よりも金持ちで泣いている方がいいという、最後に紹介した問題そのものが現実となりつつあるのではないだろうか。あの問題は現代のフェミ社会を予測し、警鐘を鳴らすための問題だったのか。たとえ偶然だったとしても、何かの因果を感じてしまう。

 しかし、金持ちになれるのは高学歴フェミニストの一握りであって、多くは非正規雇用だったり、残業疲れやストレスで病気になってしまったり、全くゆとりのない生活になるだけだ。女性の活躍推進と至る所で言われているが、本当に活躍している女性は、昭和の家庭の主婦だったのではないだろうか。フェミが唱える社会は、男性は勿論、女性も破滅させる社会に他ならない。それに多くの国民、特に女性が気づいて欲しい。

(問題の答え)
Q1.嘘をついた時
Q2.100回転(33回転とは正確には33と1/3回転)
Q3.岩倉具視
Q4.地面を指す(磁極点は北極点より南方にあり、現在も移動しているという)
Q5.何も身に着けない(これについては諸説ある)
Q6.鯖
Q7.カードを縦に見た場合、2列3行で6つ、残り1つは1行目、2行目、1列目、2列目の中間地点。
Q8.白
Q .ロールスロイス(ジャクリーヌ・オナシスの言葉らしい)


・巨泉さん、自己主張する司会先駆け 「遺言」で首相批判 2016年7月20日11時54分
http://www.asahi.com/articles/ASJ7N3GHDJ7NUCLV00H.html

 戦後テレビのバラエティー番組を支えた立役者がまた一人、亡くなった。テレビの黄金期に自由奔放な司会ぶりで数々の名番組を生み出した大橋巨泉さん。活躍中に「セミリタイア」を宣言し、日本と海外を行き来する悠々自適の後半生を送ったが、晩年は病と闘い続けた。

 芸名の「巨泉」は高校時代に使った俳号で、巨人ファンから「巨」、尽きないアイデアのイメージを「泉」に込めたという。

 放送作家として立ち上げに関わった「11PM」では「テレビでいかがなものかと思われていたものを」とゴルフ、マージャン、競馬を取り上げるコーナーを提案。週1回の「巨泉のなんでもコーナー」が始まり、さらに司会の1人に。「野球は巨人、司会は巨泉」というキャッチフレーズと黒縁メガネをトレードマークに人気者となった。「ボイン」という言葉も“発明”し、世に広めた。

 「クイズダービー」では、竹下景子さんを「3択の女王」、正解率が高いはらたいらさんを「宇宙人」と名付け、「せーの、ドン」「倍率、ドン」といったかけ声で盛り上げた。「世界まるごとHOWマッチ」では、石坂浩二さんを本名からとった「兵ちゃん」、ビートたけしさんを「たけし」と呼び捨てにした。くだけたキャラクターと型破りな発言で、自己主張するタレント司会者の先駆けとなった。

 私生活では、1956年にジャズシンガーのマーサ三宅さんと結婚したが、8年で別居し、離婚。その後ニッポン放送のラジオ番組のアシスタントだった寿々子さんと69年に再婚した。

 人気だったレギュラー番組を50代半ばで降板し、生活スタイルを一変させた。「セミリタイア」後は、季候のいい時期の太陽を追い求めるように、カナダ、オーストラリア、ニュージーランド、日本を1年で巡る「ひまわり生活」を続けた。「仕事や会社は生きていくための手段ですが、究極の目的は定年後に、自分の人生を演出することです」と語り、将棋やジャズ、ゴルフ、釣りなどの趣味を楽しんだ。

 毎年受けていた人間ドックがきっかけで、2005年に胃がんが判明した。大学時代に母親を子宮がんで亡くした経験から「お袋が自分の命と引き換えに教えてくれた」と健康には人一倍気を使っていた。中咽頭(いんとう)がんやその後の転移で手術や放射線治療を繰り返した。

 1994年からのべ20年にわたって書き続けた週刊現代での連載コラムは、体調不良のため今春から休載。最終回とした7月9日号では「今のボクにはこれ以上の体力も気力もありません」などと病状を説明し、「最後の遺言」として安倍晋三首相を批判。読者に向けて「長い間ありがとうございました」とつづっていた。

 今年2月の「徹子の部屋」では「畏友(いゆう)」とする永六輔さんと出演したが、4月からの3カ月間は「死を覚悟し、すべてを受け入れ、一言の文句も言わず、痛みも訴えずに、じっと我慢をしてくれました」(妻の寿々子さん)。7月に入ると眠っている時間が長くなり、7日に亡くなった永さんの訃報(ふほう)は「ショックの大きさを考えて」伝えなかったという。寿々子さんは関係者宛てのファクスに「どうぞ大橋巨泉の闘病生活に“アッパレ!”をあげて下さい」と記した。一方で、在宅介護中に鎮痛剤を過剰投与され、病状が悪化したとも指摘した。