http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20080123-00000054-jij-soci
果たして真相は解明されるのか。今月16日に大阪で起きた乳児殺害事件は、母親が自殺してしまうという複雑な事態に発展し、捜査への影響は避けられない状況だ。
この事件は、今月16日、大阪府守口市の民家に男が押し入り、この家に住む無職、山中いづみさん(22)を粘着テープで縛り、室内を物色。山中さんの長男で生後2週間の禮弥(れいや)ちゃんが泣き出したため口と鼻に粘着テープを張り、数万円を奪って逃走したとされるもの。2人は約4時間半後に発見、救助されたが、禮弥ちゃんは病院で死亡が確認された。山中さんにけがはなかった。大阪府警捜査1課は強盗殺人事件として守口署に捜査本部を設置した。
だが、粘着テープが山中さんの自宅にあったものであることや、犯人も侵入時には何も持っておらず、物色したのは1階だけなど、禮弥ちゃんの殺害は突発的である可能性が高く、犯人像も掴みにくい状況だ。
更に、今月23日には、犯人の顔を見ているはずの山中いづみさん本人が歩道橋から道路に飛び降り自殺を図り、死亡した。捜査本部では、乳児殺害事件発生当時の状況を詳しく聞くため、21日に山中さんから事情聴取を行なった。しかし22日は体調不良のため断念し、23日にも体調次第で事情聴取を行う予定だったという。
こうした事態を受けて、ネット上では様々な憶測が飛び交っている。だか今回注目すべき点は、強盗そのものが自作自演ではないかという憶測に対して、過剰にその可能性を否定する意見が対抗し、論争状態になっているということだ。
しかし、ここで不思議に思えることは、何故自演説を頑なに否定する意見が殺到するのかということだ。事件の全容が明らかになっていない以上、様々な憶測が飛び交うのは普通のことではないだろうか。しかし自演説を否定する者の論調は、強盗事件ありきでそれ以外の意見は許さないという強い思いが見え隠れする。しかも、自演説を唱える者は決して強盗事件の可能性がゼロと言っているわけではない。だが自演説否定論者の姿勢はいわば口封じとも言える強硬なものを感じてしまう。
こうした強硬な姿勢は、フェミニズムの独裁性を表していると思う。女性を疑う意見は許さないというのが連中の本音だろう。しかし連中は女性専用車両など平気で男性を疑うことを正当化している。
またつい最近でも、広末涼子さんが出演するCMで「ブラジャーが透けるくらいの汗を」というくだりが不快であるなどと文句がついて差し替えになった。文句をつけたのも恐らくフェミニズムに汚染された人達だろう。判断基準は全て「自分」、そうした自己中心的な考えで社会を統制しようというフェミニズムの発想はまさに独裁的としか言い様がない。
そのような、不快だから止めろ、という姿勢で言論統制が行なわれてしまうのであれば、果たして民主主義とは何なのか、その根幹が揺らいでしまう。