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社会の荒廃 研究室(蜻蛉の眼鏡)

国連の女子差別撤廃条約に基づく男女共同参画を強行する女性独裁権力(フェミニズム)の社会病理に言及、コメント欄も充実。

いじめ問題に関する「免疫力」の必要性とは

2006-11-03 13:04:50 | いじめ、DV
 今朝のテレ朝のワイドショーで、虐めに関する討論を行っていた。本ブログの前回の論考で、虐めで自殺する子に対する批判意見が多いという話をしたが、今朝の番組でもそれに類する発言があった。虐めはどこにでもあるからむしろそれに耐えうる免疫力が必要である、虐められる側にも何か変なところがある、など、しかしこれで問題の解決に繋がるのだろうか。

 虐めというのはそもそも虐める側のストレスが根源として考えられる。ストレスに耐えられずに何かに当たる。それが虐めに繋がるのではないだろうか。従って免疫力が必要というのなら、虐める側のストレスをむやみに野放しにするのではなく、虐める側が耐えることに重点を置くべきではないのか。

 更に、ストレスの発生源についても考察する必要がある。虐める側の家庭環境にも着目し、子供にストレスを与えていないか検証することだ。両親が不仲であったり、共働きなど忙しいという理由で子供と触れ合う機会が少ないなど潜在的な問題はないか考える必要がある。

 そして、もう一つ重要な点は、他の類似した例と比較が出来ないかどうかということだ。例えば虐め問題を職場でのセクハラ問題などに置き換えたらどうなるか。虐められる側にも問題があるというなら、セクハラの標的となる女性にも問題があるということになる。しかし実際は男性側が100%悪とされ、職場は負われ、更に民事的刑事的訴訟になることもある。女性側にも多少の非があるなどと言おうものなら、フェミニズム系の女性団体などが大騒ぎして、言論封鎖されてしまう。

 虐められる側に免疫力を要求するという発想を、セクハラされる側にも同じように要求するというのなら、一つの論理としては通用するかも知れない。だが虐めの場合はされる側にも問題があるが、セクハラの場合はされる側に一切非はないというのでは明らかなダブルスタンダードだ。特に虐めの場合はする側がされる側を身勝手な理由で一方的に軽蔑したり敵視している場合が多い。これに対しセクハラの場合は得てしてする側がされる側に好意的な意識を持っている場合が多く、される側の意識だけを一方的に優先させるというのは、女性権力主義フェミニズムの独裁的な解釈に基づくものであり、あるべき姿ではない。

 このように、虐め問題もそれ単体の問題として考えると泥沼にはまり結論が出ない。従って類似の例と比較することにより矛盾のない一貫性のある論理に基づき最適解を見出していくことが必要であろう。更に虐め問題を考えることにより、セクハラのような他の類似の例に関する問題点を考え直す手がかりとしていくことも重要である。

【主な出来事、話題】
・同性愛、妊娠中絶の根絶目指し「お化け屋敷」で神の教え、若者に広がる、米国。(1日)
・大阪市の職員309人が住居手当総額5千万円を不正に受給。(1日)
・コンビニに女性運転の車が突っ込み男性客重傷、兵庫。(1日)
・「男女混合名簿」を巡り異論噴出、埼玉。(2日)
・北朝鮮拉致問題で曽我さん拉致に関与の工作員の女に逮捕状。(2日)

自殺者を批判する論調の真意は? ~中2女子生徒の自殺2~

2006-11-01 09:31:28 | いじめ、DV
 学校での虐めや未履修に関する問題が更に波紋を広げている。岐阜県瑞浪市の中2女子が自殺した問題では、虐めの存在を巡り学校側の回答が二転三転、全校集会では生徒に緘口令を引くなど隠蔽に終始、虐めた側の女生徒4名の両親が自殺生徒宅を訪れ謝罪し、学校側もようやく虐めの存在を認める形となった。

 また、鹿児島県では32歳の女性中学教諭が上司に虐められたと遺書を残して自殺、更に福岡県では小中学時代に虐められた恨みから、母校に爆弾を仕掛けたとの脅迫電話をしたとして37歳の男が逮捕された。

 一方、茨城県では未履修問題を抱えた高校の校長が自殺、更に埼玉県のある高校では豪州への修学旅行を世界史の単位として与えようとしていたことが発覚した。

 虐めや未履修の問題を教育問題として一括りにすることは出来ないが、原因の一つとして教育問題を考えるのは差し支えないだろう。そもそも教育というのは学校だけではなく、家庭や地域社会も教育の場なのだ。子供は生れたらすぐに託児所へ、そして保育園、学校と全て外部に任せて、女性は働くことに喜びを感じましょうなどといった安易なフェミニズムの政策に歯止めをかけるためにも、今回の問題に関して安倍政権は真剣に取り組んで頂きたい。

 しかしながら、未履修の問題はさておき、今回の一連の問題で気になるのは、自殺を巡る問題の扱い方だ。例えばマスコミの報道で、全校集会で命の大切さを生徒に説いたなどという報道を見かけるが、だとすれば自殺した人は命を粗末にしたということなのか、いかにも死者に鞭打つような説明で違和感を感じる。

 ネット世論にもそれに近い論調がある。例えば2chのニュース速報+板でも、この程度の虐めで自殺するなとか、自殺は他人の迷惑を考えてないなど、虐めた側の問題を棚に上げて自殺者を批判する論調が少なからず見受けられる。

 これは今回の虐め自殺だけではなく、JR福知山線脱線事故で婚約者を失った女性が自殺した件でも、同様に自殺者を批判する論調が目立った。(*1)

 自殺者を批判したところで何が教訓として得られるというのだろうか。特に今回の場合は直接的な虐めが原因なのだ。自殺者を批判する者達の核心がどこにあるのか、何らかの権力が働いているのだろうか、引き続き様子を見ていきたい。

(*1)《関連記事》
・弱い者虐めで憂さ晴らしをするネット世論 ~福知山線事故の後追い自殺2~(本ブログ2006-10-18)

【主な出来事、話題】
・天皇が来る意味を問う毎日記者発言巡りネットで騒動。(10月31日)
・ブッシュ米大統領、日韓などの核武装論に反対意思。(10月31日)
・覚醒剤使用で元プロ野球選手を逮捕、高知。(10月31日)

学校での虐めは社会の縮図 ~中2女子生徒の自殺~

2006-10-30 11:45:35 | いじめ、DV
 学校での虐めによる自殺が相次いでいる。北海道の小6女子、福岡の中2男子に続き、今度は岐阜県瑞浪市の中2女子が自殺し、今朝のフジ系の朝のワイドショーでもこの問題を取り上げていた。

 番組では、女子生徒の遺書に4人の実名が書かれていたことや自殺する数日前に母親が学校に相談していたことなどを紹介、学校側の対応の遅れを指摘していた。

 しかし、ゲストのコメントには異論もあった。事前に学校が虐めを察知することは不可能だったのではないかという意見や、或いは世の中には勝ち組と負け組が必ず発生し、負け組になった時に自分がそれをどう受け入れていくか訓練することも大切といった意見など、むしろ自殺した女子生徒の精神的な軟弱さを指摘するものもあった。

 今回の件で問題としたいのは、ゲストのコメントの中で負け組の弱さを更に批判するような意見があったということだ。もしそれを主張するなら、学校はじめ職場など様々な集団での虐めなども全て肯定するのかという疑問が生じる。それに勝ち組負け組といった格差社会もそのまま野放しにすればいいのかということになる。これは全くの強者の論理であり、絶対に容認することは出来ない。

 高校の必修科目未履修問題は今週中に文科省が対応策を出すとのことで収束に向かい始めたようだが、これに関して伊吹文科相は虐め問題との関連性も指摘し、全てが学校任せということも問題で、共働き家庭が増えたことによる家庭での触れ合いも大切だという発言を昨日のNHKの討論番組で行っている。

 特に虐め問題に関しては、虐めた側の生徒の家庭環境にも注目すべきではないだろうか。しかしマスコミの報道姿勢は、虐められた側の報道には積極的だが、虐めた側の報道には消極的なのが現状だ。これでは真相究明や再発防止は難しい。少なくとも学校側が虐めた側に対して何をしたかぐらいは報道すべきではないか。

 世の中には、様々な虐めが存在する。特に大人になってからの虐めというのは卑劣でしかも加害者が何の処罰もされないケースが多い。セクハラや痴漢で男性が処罰されるのはごく単純な例であり、それよりもこうした女性保護制度を女性が逆手に取って男性を弾圧したり、恋愛や結婚における女性の売手市場を盾に、交際したければ私の言うことを全部聞けとばかりに女性が男性に対し支配的立場を取るといった現状にも目を向けるべきではないだろうか。

 更に、そうした権力乱用を平然と行う女性というのは、今回の虐めの件に照らせば、虐めた側の女子生徒に極めて近いということだ。男女共同参画を進めるフェミニストも、かつては虐めっ子だったのかも知れない。虐める側に支配された社会であれば、虐める側を批判することも出来なくなる。ゲストのコメントもそれに影響されたということなのだろうか。

 虐められ追い詰められるような子は絶対に汚い真似はしない。遺書に書かれた「これでお荷物が減るから」という自虐的な行は最後の抵抗だったのだろう。しかし本当のお荷物とは一体誰だろうか。


【主な出来事、話題】
・女性専用車両の拡大更に、JR総武線各駅、東京メトロ東西線。(27日)
・携帯電話の番号継続制度導入開始、ソフトバンクなどトラブル相次ぐ。(28日)