まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

限界集落? 君達は西洋人か・・・  2008 8 あの頃

2019-05-20 11:43:32 | Weblog



「後期」だの「限界」だのと知恵の無いハナシ

後期高齢者が考え方もイメージも悪いと、制度改正そのものより判りやすい文字使いにターゲットを絞ったような反論を聞くが、其の対象とされる年代の方々は「限界」という文字がこの国を覆っていることについて、我には関係ないとばかり批判対象にしないような雰囲気がある。

先日、高知県安芸市近郊の限界集落のことを伺った。
高知出身の通信社勤めの友人が連れてきた福祉関係のお役人さんで、さすが女性ゆえの問題意識と切り口は男に勝る見解をもっていた。

そこで素朴なお伺いを立ててみた。決して意地悪いものではなく意味不明を問うたのです。
「ところで限界とは、なにを指して限界というのですか・・?」

「まずは人が少なくなる」過疎とは違うらしい。
「医療や生活機能でいう移動、通信などのライフラインが機能しなくなる」
対処は・・
「イベントなどで人を集めることを考えている」

限界ではなく、やる事はあるが、生産性や便利さに欠ける、あるいは非生産的老人ばかりで町が維持できない、つまり行政効果ゆえの費用対効果から観た「限界集落」なのかと思えなくも無い。

いま都会では団塊の世代が、゛やりたいこと゛の欲求が過ぎて、゛やるべきこと゛への問題意識が芽生え始めている。昔は同じ人間種として人生五十年といわれたが、長生きの欲求は止め処も無く、精神も身体もヘトヘトになって平均年齢80に届こうとしている。
まさに自己限界となり、生きていくのに疲れた人が群れになって逍遥している状況がある。

限界社会なり限界国家があるとしたら、長生きはするが子供は少ないという、史上稀な現象を作り出している。

「限界」は限りある世界との意がある。あの旧約聖書にも限界を超えると終末になり、ハルマゲドンが訪れるという。限界とは其の世界の知識文字で、東洋は「循環集落」と考えるものだ。ことさら役場の官吏のデリカシーを云々するつもりは無いが、全国いたる所にその限界集落がある、また増えているという。都会に出れば何とかなると、若者はその糜爛した人ごみを目指すが、そこも口入れ屋が待ちうけている魔窟のようなところだと分かるのも、そう時を必要としない

郷に戻ればシャッター通りだが、どこでも役人と僧侶が妙に元気がいい。
たしかに限界といえば、社会構造の基礎的部分を支える「公」に携わる人間そのものが限界域に達しようとしている。
「無財の力」を人の心の知力、耐力として説く仏教が、寂れた町ほど伽藍や庫裏の建築競争に堕していては、「泣く子と地蔵・・」が、「役人と坊主には敵わない」といわれそうだ。

 

     

      津軽郷学 「悠心居」

 

青森県の或る市のことだが、日曜日に出勤している職員がいた。
「大変だね、休みも無く」
「いゃ、妻と母が買い物に行ったので家に居ても・・」
「市内なら一緒に行ったら・・」
「東京ですよ」
たしかに市内の繁華街はシャッターが閉まっている。駅前の量販店は忙しいが、東京まで出稼ぎ、いや出張買い物とは、複雑な思いがした。一昔前は、゛旅゛である。

近在の農家は俗にいう三ちゃん農家で祖父夫婦もいる。そして年収は350万位だが贅沢などの習慣も無く、この地方ではごく普通の生活を営むことができる。だが役場の若者の給料は年収でそれを超えるという。

これは単に巷間、政治家の言い争いにある単語の一種である、公務員制度、地方自治などの制度や権限のハナシではなく、一昔前の官民格差の悪しき是正不作為でしかない。
この地域は明治の創成期に多くの英傑を輩出した。また彼らを育んだ独特な郷土の学問があった。

相次ぐ凶作と維新の混乱から打ちひしがれ希望を見出せなかった人々に向かって、「人間がおるじゃないか」と精神の振起を促した菊池九郎は、新政府に援助を請う近県とは違い、「津軽は一人たりとも餓死は出さない。他の県に回して結構です」と援助を断っている。

貰って当然、もらう権利がある、と先頭に立つタレント知事がいるが、システム・制度の中で論ずる前に、黙々と働く日本人の心根の中にある、譲る、控える、そして自己完結の自立の精神を、゛おんぶに抱っこ゛という「貰い得」を助長させているようで嘆かわしい。
それとも「一村一品」を単に産物として理解しているのだろうか・・
「品」とは、何でも売る、どこにでも頭を下げるだけではない。「人」の地域文化を誇る「品性」も兼ね備えるべきだろう。

これこそ始末の悪い人間の限界であり、まさに欲得の分別を心得た英知ある国民の怒りの臨界は近づいている昨今である。

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