まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

野田君で想いだした朝霞の喧騒

2011-10-05 17:14:27 | Weblog

市井の哲人 岡本義雄

安岡正篤氏は数日間留守にするときは事前に岡本に連絡していた
なぜなら岡本は行動は電光石火で、緊急訪問が多かった
その内容は、すべて私事はなく、不特定多数の利他の増進である




朝霞(あさか)は東京を外周する台地で私鉄の東武東上線が通っている。
昔は下って川越があるせいか、そこの名物をもじって「芋電車」と云われていた。
床に新聞紙を敷いて弁当を喰い、酒を飲むことは日常茶飯事だった。
当時、秩父からはセメント、かわりに池袋を経由して石炭や炭、練炭,薪が搬送されていた。途中の上板橋では貨物専用のプラットホームと集積場があり、そこから単線でグランドハイツに向かって支線が分かれていた。

筆者が18歳のころ取りたての軽免許で通称、軽トラで基地と旧道の間を走るオリンピック道路をよく走っていた。下りには左に自衛隊、隣に米軍基地とゴルフ場、そして自衛隊の演習場があった。旧道との間は50M。そこには白人専用のクラブ、少し外れて黒人専用のバーが並んでいた。クラブはその後朝霞ショー劇場としてストリップ小屋になってけっこう繁盛していた。よく店のレジから親の目を盗んでは拝領して黒人バーに通っていた。

オリンピック道路に沿った新設の税務大学の前にピンク色のランプが点灯していた。夕暮れになると石油缶に薪をくべて暖をとっている女性が何やら話しこんでいる。近くによると「お兄ちゃん、10分で1200円だよ」と乾いた声が飛んでくる。
地元の友人とモノは試しと後に付いていく。女性はタイトスカートだが素足にサンダル,内股ならず、つま先を開いた外股で胸を張って歩いている。べニヤにペンキを塗ったドアを開けると3畳ほどの広さに、壁もべニア貼り、見るからに湿っぽい夜具が敷いてある。

隣で連れの声が聞こえる。まさにべニア1枚の世界だ。豆電球だがけっこう明るい。
こんな世界があったのか、女性は仰向けになって、あくびをしていた。
こっちは何となく周りを見回したが、何もない。
「時間がないよ・・、隣は終わっちまうょ」
18でスーツを着て黒人バーで呑んで、ころがりこんだものの「はい、どうぞ」とばかりの姿を見せられると、幾つも年かさの上の女性に切なくなってしまう。

いま想えば、「枯木寒厳」である。荒涼とした寒期に枯木が突つたっている様子、そのものである。漏電もしなかった。
余談だか、安岡正篤氏のご長男正明氏が税務大学の校長だったころ、若手役人に珍問を出した。

強盗と売春婦に税金を掛けるとすれば????
どこからでも徴収してやろうと考える習性のある税官吏のタマゴは、必要経費にこう応えた。

凶器の出刃包丁と売春婦はコンドームと布団である。官制カリキュラムの合理的といわれる部分論証と探求に長けたサイボーグの答えではあるが、安岡氏は応えた。

それは逮捕と罰金の世界で、偏狭な徴収成果主義は控えなければ、国民の信頼や情緒まで破壊してしまう。警察や税務という面前権力の姿で国民の意識は変化する。それは怨嗟と国家に対する信頼喪失だ。権力を国民から負託されたものが堕落したら国民はとたんの苦しみにあえぐ。疑わしきものは罰せず,それも税務を預かるもののホドだ。


その税務大学の真向かいに女性のたむろ場があったが、その後米軍は引き払って自衛隊が駐屯地を拡大した。駅から旧道に抜ける森のようになった敷地も返還された。

そのころから歴代首相は朝霞に来るようになった。東京都内からママっ子のように追い出された自衛隊の観閲式が演習場で行われ、総理訓示が行われる。以前は川越街道を練馬の第一師団、朝霞の駐屯地から戦車や装甲車が都心に向かっっていた。沿道の見物は名物だし拍手も起こった。余談だが、それ以外の拍手はアジア大会のマラソン走者、君原選手だけだ。






創作題「石にかじりついても」




時期外れの今度は、小役人の手代のような野田君である。
わざわざ御用マスコミを引き連れて名セリフを言いに来ている。

どこか似た風景があつた。有明防潮ゲートの管君、八んばダムの前原君 そして朝霞官舎の野田君。どこか型を取っているが、江戸っ子に言わせると、゛野暮ったらしい゛。
あの、横須賀のヤンキーのようだった小泉君も、わざわざ巨漢の秘書にことづけて記者を待機させて鎮まりの杜である靖国を騒がした。

あのとき筆者はこう記した。
鎮まりを以て鎮魂を祈る所に、敢えて騒がしくする意図は何なのか・・・
真に祷りがあるなら、早朝に近い宿舎から徒歩でもいい、もし閉門なら頭を垂れればいい。
なにも、世間を騒がせることはない


翻って野田君はどうしたか。
歩けば僅かな所に自衛隊のヘリポートかある。まずは官邸から飛ばして国土を俯瞰することだ。
あの石原知事が大勲位の中曽根氏を都庁舎の屋上に案内した時、知事として,都の長(おさ)として遮るものがない高所から周囲を睥睨して、その覚悟のエピソードを示している。

つまり、細事、部分にとらわれず歴史の時空を俯瞰してあるべき方向を確立せよ、との提示だ。公営博打場やオリンピックがそれに沿うかは別として、権力の保持と矜持、人間の尊厳を護る任の座標も少しは観えただろう

いちいち小役人の説明を聴かずとも、日中に車列を並べずとも、ヘリから建設地に着陸して樹木に触れ、地に伏して,独りで鎮考すべきだろう。往復一時間と掛からぬはずだ。
君の親父は習志野空挺団と聞く。少年のあこがれは夢のハナシだったのか。

野田君の演技する場所、その舞台に登場する役者を見れば、セリフ回し、間合い、口上、決め技は十八番までの演目も乏しい。閉会中の幕間の出し物としては振付師の情けないほどの無粋が露呈された。

あの朝霞のショー劇場の幕間(まくあい)芸人は踊り子を引き立てることに一生懸命だった。
人目には恥をさらし、泣き、わめく、愚かさを芸として、観客を踊り子の一点にくぎ付けた。
くれぐれも、サギについばまれるドジョウにならないようにと願うばかりだ。



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