まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

津軽平川という郷のこと  其の一

2014-09-29 11:12:54 | Weblog


新幹線の新青森から在来線で桜の城下町弘前、弘南鉄道に乗りつぎ平賀駅まで15分、そこが平川市だ。昨今は全国の耳目を集めた津軽選挙大量逮捕で有名になったところだが、市長は元県議長尾忠之氏だ。
いきさつは、市政を牛耳った有力者が仕切った典型的な利権選挙だった。市議には20万、おもだった者には100万、高齢になった元職市長を押しのけて新聞販売店の押し紙ならぬ、押しつけ金を配布したのだ。もとより津軽選挙は落選候補を応援すれば市発注入札さえ排除される恐怖と、邪魔されたくない対価として金が配られる倣いがあった。懇意な担当官吏の便宜供与がなければ有力者が企図した認可事業などはできないが、いまでも残り火のように次の逮捕者は云々と市民の口の端にのっている。
現在は3,2万人の人口で市議は20人、そのうちの大半が逮捕された。だだ、当時の職務権限のあった市の関係者には今のところ警吏の御咎めはない。

市民からすれば降って湧いたことだが、どことなく、゛いまさら゛゛下手なこと゛との感覚もある。上は国会から全国津々浦々の地方選挙には少なからず、いやその世界では当然の如くあるようだ。隣国中国のように賄賂を、゛人情を贈る゛として、地位が昇り影響力があれば黙っていても金が集まってくる事情、つまり「昇官発財」は民主や共産などの謳い文句の主義如何にかかわらず我が国の何処にでもある姿のようだ。

似て非なるものは、中国の大物は数千億とか一兆を懐に入れ、「一官九族に繁える」というくらい一族郎党もその利得にあずかる。我が国は数億がたまにある程度だ、それも立場における優遇が狡猾にも制度化され、堂々と高給や手当として収受される姑息さもある。首長や議員は落ちればただの人、それが今どき票の取りまとめ依頼で市民が動くものではないと思うが、20万円で老後人生を棒に振ったのでは嘆かわしい。
たとえ、見つかったことが「運が悪かった」「今度の県警は厳しい」と嘆いたところで、子供に聴かせられる話ではない。いわんや教育界や取り締まりに係る官吏とて、子孫縁者の世襲に似た採用が多いのも不思議な現象だ。彼らに言わせれば多くの税補助で成り立つ国立大学法学部出身者の国会議員が巨悪なら、捕縛するのも同窓では、何のための官学最高学府なのか、教育とはいかなるものか、まさに「上濁れば下倣う」嘆かわしさがある。

平川の一罰百戒は、この地域をしばらく緊張感が留まる。いや、全国の心当たり有る人たちも注意くらいするだろうが、困る有権者もいる。
ある県の国政選挙では箪笥を貰った、子供に小遣い、おにぎりの中に一万円、など当たり前だった。子供に玩具をねだられれば「もうすぐ選挙があるから、それまで待て」というのも常だった。官吏も休日出勤や残業手当など、都内の区部では一日6万になることもある。実働臨時アルバイトは時給1200円、これも選挙待望による潤いだ。選挙経費の大半は人件費とも聞く。








今回の選挙違反は一過性の話題を提供したが、もともと選挙法を厳格適用することは難しい作業だ。違反は「捕えなくてはならない」ではなく、「捕えることができる」警吏の運用に任されている。その点、交通違反もそうだ。また防犯啓蒙の協働経験のある地元警察でも、いくら津軽選挙と騒がれても逮捕者まではあまりなかったようだ。それはあらゆることに法を盾に触法を探すことより、互いに協調することこそ郷の安定を得る手だとする気風がながらく存在していた。ゆえに固陋と云われようと主立った者、長(おさ)に類似した立場を推戴することで無条件に委任する、ある意味では役割を立て各々の生活を庇護なり担保する仕組みがあった。

しかし税の仕組み、世代間の考え方が「長」や「主立った」人物の篤志的行為を衰えさせ、御上御用の任職である議員、官吏、がそれに代わった。昔は酒田の本間家などの豪農は子弟に今どきの数値教育では適わない人格教育を施し、官選首長には到底届くことのない郷の情緒涵養を道徳律や人格を以て具現していた。つまり俸給対価のない長(おさ)の忠恕として人心に鎮まりを与えていた。
くわえて、その背景には郷の精霊やその祷りを以て我が身を観照するような厳しい環境におく長(おさ)の姿勢があった。住民に良質なる感化を与え、人心は落ち着き邪悪なこと行為すら起きることは少なかった。

中央官庁による税と事業の管理は、ひも付き補助金供与によって地方政治をコントロールしているが、その様相は顔のない市政と揶揄されるように至るところ同様な悩みと将来の憂いを抱いている。備中の山田方谷・松代藩の恩田杢(もく)のような独自な改革すら難しくなってくる。
彼らに共通していることは、自身のみならず家族の生活をあえて厳しい環境においた。贅沢はしない、簡素、節制を体現する背中を見せる政治だ。何よりも安心して任せられる人格に畏敬を添えている。
現代の首長にそれを求めるのは難しいが、こと平川市長の長尾氏はリンゴ農家を経営しているゆえ、早朝から出勤前にリンゴ畑に云っていると聴く。その勤労と政治は、公私の峻別を促し、何よりも地に足がついた深い考察を可能にしていると、多くの住民の声がある。


補助金に多くを委ねる政治は、法の庇護が安逸と弛緩に変容し、一定範囲からの逸脱を恐れるあまり、全国の金融機関が陥っているような、リスクは信用保証機関に委ねるよことによる独自の審査能力が衰えたことに似ている状況がある。なかには市長の自由裁量が限定され、有望職員の献策さえ机上に乗せられない鬱々とした状況がある自治体もある。
そうなると、実務評価すらない安定職高給担保や生涯賃金換算などの意識が蔓延して、ますます市民の面従腹背は昂進して形骸化した政治になってしまう。


つまり、郷なりの自由発想や自立した経営が、補助金ありきに依存することによって市政運営者の能力が衰え、元気や爽やかさで市民の人心を安定させることが衰え、箱物、観光、物産などの施策が先行する他の自治体の模倣となり、自治独立の気概が発揮できない状況に停滞する。
それは地域内に住む人々を、ときに悪しき慣習に閉じ込めることになり、外部からの客観的にみた郷の特徴なり優越性さえ鋭敏に取り込めなくなるようだ。
あくまで一般論だが、それが地方自治の拘泥する心の実態であろう。


市民が選んだ議員さえまともな議論や調査する雰囲気さえなくなり、かえって異なる意見を疎外するようになり、再び市民に徒労感が漂うようになる。このような地域は固陋な雰囲気のなか、゛風評 ゛が漂い、足の引張りが横行し、職掌も形式化して進取の議論さえ閉ざしてしまう。
平川市の選挙違反についても、面白いことに、゛呆れた゛゛恥ずかしい゛との声は聴くが、義憤に声を上げることもなく、゛そんなもの゛と話す市民も多く、その、゛恥ずかしいも゛多くの人に知られたことが恥ずかしいという市民も多い。つまり、捕まってもマスコミに取り上げられなければ郷で消化できることなのだろう。









ともあれ、多少にかかわらず礼金なり協力金を渡すことは郷の習慣であり、あの世界の倣いだった。外野の天に唾するような似非道徳の声は人の世のならいだが、郷の成立には様々な空気がある。理屈も論理も合理性も時に用を為さないことがある。つまり情理の実を如何に汲み取るかは人の応答の妙として生き、活かされていることだ。
わざわざ持ってきた金を受け取らなくては顔をつぶす、あるいは別の方法で還す、もしくは金持ちなら飲み屋で二三回席をもてば無くなる些少な額だと思うだろう。何よりも永年慣行となっている郷の潤い金に、法を盾に警吏が手を出さなかったことが良し悪しはともかく、それが郷の調和であり寛容の政治だった。
だから、一旦は受け取って直ぐに返すのも悪いので、一週間置いて返したものもいる。
また、それを逡巡しながら返しそびれた者もいる。それが逮捕だ。
なかには、マスコミのインタビューに「困ったことだ」「そのような人もいたか・・」と平然と応えた直後に逮捕された議員も幾人かいる。

成文化された法の厳格な運用は歓迎されるが、或る意味では世情に疎く、習慣化された行為は事前警告をするなり、顔見知りなら注意すればよい。それが単なる法の上での正邪の感覚弛緩が逮捕というには馴染まないばかりか、郷は郷なりの陋規が衰える心配がある。
つまり法遵守の慣性順行がショック療法のように空から投網が降ってきた驚きだったようだ。ここでは今までは了解されていたと思っていた。それは間違いではない。
郷は徐々に変化したり、世代を超えて時流に沿うものもある。有権者の阿吽の理解なのか諦めなのかは、この郷においては損得勘定も見え隠れする。それは「津軽の足ひっぱり」と自嘲気味に語られる民風だ。熱いようで冷たい。立場替われば意見も変わる、落ち目には触らない、どうも江戸っ子の心情では「義理と人情とやせ我慢」が為せる、゛善意のお節介゛が乏しいようだ。








しかし、そのことは個々の自由を担保する環境でもあると現代の東京人も思うようだが、郷の人たちが一種のステータスとして参加もしくは選任される、官吏、議員、商工会会員やライオンズなどの篤志団体が郷の主立った衆を集約して、それぞれの集団帰属に一種の安心感を抱く、郷のみならず邦人独特の集団化気質によるものだろう。
個々の自由担保と集団帰属の安心感は一種矛盾するようだが、流行りものに易々乗じながらモノマネ、西洋かぶれと云われようと邁進した我が国の民情である。

それゆえに、社会通念の変化や、官民の関係における当局の法執行意欲が読み取れず、郷内では自制できなかった習慣化された郷の掟への問題を、成文化された法によって覚醒できたという良機とも見ることができる。そういう世界があることを知ったのだ。

戦後、軍官吏の横行、国会の無力は進駐軍(GHQ)の強権によって是正された。国民に対しての懲罰は少なかったが、国家の組織体とややもすると恣意的政策を遂行した為政運用者に、その多くが向けられた。前後の良し悪しは歴史に委ねるが、外部の刺激や強権によってしか変化できなかった強大な軍の威力と現追する弛緩無力化した議員の姿は、国民の問題意識やその制度化された選挙では購うことができなかった。
それは依頼心、無関心、阿諛迎合を気質とする日本人が、つねに注意して更新に努めなければならない日本型権力構造に宿った劣性なのではないだろうか。

その選挙だが、配っていれば善人、独り占めするのが悪人と故事があるが、選挙事務所に行けば陣中見舞いには食事が出される。事務所が賑やかなら優勢とばかり、集まって世間話に興じる住民もいるが、なかにはスパイもどきで出入りする人を観察している相手方応援者もいる。
選挙応援で候補者を誉めそやす仕切り屋が、相手候補から大枚懐に入れたと判ったときの驚きは、まるで郷の謀略戦の様相だ。
それでも当局も温情ならぬ盆の休暇都合もあるせいか、郷ではまだ大物がある、と固唾をのんでいる。また首謀者と職務権限のあった官吏の関係が囁かれ、市の信任にも影響しかねない状況だという。

ともあれ、色々表れたが切掛けは、ある応援議員が「○○が金を持ってきたが、私は受け取らなかった。多くの議員に配られ貰っている」と、マイクで連呼したことで、当局も動かざるを得なくなった事情もあったのだろう。

つづく

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