まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

敢えて再々読  出処進退   「あるボスの話」

2024-08-16 08:45:37 | Weblog

 
         国会の腹きり問答    浜田国松氏   
  《舌鋒火を噴くような議論は時の陸軍大臣に切腹を迫っている》         



平成6年、あの当時は、゛変わり者゛゛はじかれ者゛と世間から非難された意見文だが・・・・再度,問う】

震災後に海外ジャーナリスト達が集まっての懇談が放映されていた
要はこの「まほろばの泉」で読者にはくどいように映る人間(人物)の問題だった。制度・マニュアル・コンプライアンスなど人間を括る方策はあっても、土壇場では能力発揮の自由度と責任感がなければ役に立たない。
一人がこう述べていた。
「・・・原発や震災の現状をみると作業員の連帯と調和は世界でも驚嘆するの力がある。しかしそれを指揮し背後で支えるべきエリートの醜態は世界ても稀な非能力だ。日本の教育でのエリートの選別はそれほどひどい。どこで間違ったのだろう・・・」

この種の人間に囲まれたら、たとえ総理大臣でも政権は維持できない。

さて、中央の政財官も然りだが、全国津々浦々にある中小諸団体、特に御上御用に成り下がったような集まりにこのような風潮は無いだろうか。そのために稚拙だが良質な問題意識を持つ若者や哲人の様な庶民の意志は覆い被されていないだろうか。
それゆえ、弛緩した社会を形成してはいないだろうか。以下の拙章をもって考えてみたい。





「キャッシュで4000億ある。だから安心・・・」軽々に金の話をする指導者は金で堕落する。



「出処進退」

 意味するところ官に仕えるか、民に退くか。また、現在の地位に、役職に止まるか、辞意するかの熟語である。

 名利位官という現在ではさほど本来の人格構成に必要ではない俗世価値に埋没してしまうと、まるで中毒やまいの如く抜け切れない世界を、無自覚のまま形成し、ときには世のため、人のため、あるいは弱者救済に名を借りて御上からの褒賞を待ち望む人々を称して社会悪といいます。

あるいは誰がその地位につくのか、誰が辞めるのか、などといとも高邁な理屈で予想屋的言動を並べる一群も同様と言えるでしょう。

出処進退は当事者の秘奥にあるものです。
世に言うところの当て職は能力、専門知識とは別の、床の間の季節変わりの掛け軸のようなものであり、一喜一憂すべき類いのものではありません。

その他一同があってこそ成り立つ貪りの舞台です。
天下りしかり、無意識に官に添う心しかり、創業、創成の意味なく、不特定多数の利福など望むべくもなく、単なる“兵隊ごっこ”の有り様が繰り広げられます。

一度この病にかかると終生治らないのもこの特徴です。
人集えば中央に位置し、出たとこ勝負で己を偽り相手に従うことの不可、強いて相手を己に従わせることの不可を、反省することのない状態です。

孔子は“六十にして耳に従い”七十にして心の欲するところに従えど矩をこえず”と言いますが、年齢とともに“分”の範囲を収斂し、なを且つ普遍な精神と、善悪一如というべき全て人間から生じた様々な現象を自然の生きざまとして認識し、たおやかな道に入境すべきです。

その中で、心あるもの、生命を継ぐべきものに普遍な精神と、忠恕な心での覚醒と決起を促すべきものです。

  「小富在勤 大富在天」
(小さな富は自らの意志の働きにあり、大きな富は天意に添った行いにあり)と、言います。

 また、孟子は「富貴も淫するあたわず、貧賎も移すあたわず、威武も屈するあたわず、これを大丈夫という」 富貴は浮雲のごとしです。

 明治の言論人、陸羯南は信じた道に人生をかける人間の少なくなった事を叱咤して、
「挙世滔々、勢い百川に東するが如きに当たり、独り毅然としてこれに逆らうものは、千百人中すなわち一人のみ。甚だしいかな。才多くして而うして気の少なきことを」と述べています。

我が国には各省認可による特殊法人がありますが、それに真似たのか地方自治体にも芸術、文化、国際交流、何々記念、等に名を借りておおく法人が創設されています。↑
構成事務の多くは自治体に委ね、役員は元首長を始め管理職以上の退職者のおこぼれ人事が大部分のようです。

中小自治体のことですから基本財産は少なく、金利低下の折り給与を支払ったら事業費が無いといった有り様が続いており、しかも自治体本体の経常経費の増大からか、にっちもさっちも行かない状態があります。 チェック機能としては議会があるはずですが質問事項さえ官吏の援助(指導)を受けているようでは望むべき効果はありません。

 しかも、リストラとか称して各種事業の委託、計画立案の外部コンサルタントへの膨大な支払いなど、一層の硬直化を助長し、なかには閉塞状態に陥っている自治体もあります。

審議会、協議会、あるいは外郭団体と称するもの、前記、特殊法人の委員、理事には民間人が多く任命されていますが、狭い範囲の自治体のこと、一人の人間が多くの役職につくことが多く、しかも貪りの民の役職病の如く、官位を貪る官吏とともに一層の深みに陥っているのが現状です。

会議でも意見開示もなく、通称“出面(ズラ)”と称する日当を頂戴しているのが地域の大もの(ボスまがい)であり、民間の“分”を忘れた社会悪の一団です。

゛一人ぐらいはまともに゛、とは思いますが“白い目”“はじかれ”の恐れか、あるいは元々、問題意識すらないのでしょう。

半世紀まえに亡国の瀬戸際にあった民が、いまはその繁栄と共に自らの手で自国を崩壊に追いやっていることに気が付かなければならないことです。

 「警鐘」すらしまい込んでしまった亡者に覚醒はあるのだろうか。

龍馬や西郷も憧れではない。「成りたい」より「成る」意志がなければ教育も意味がない。

コメント
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