まほろばの泉

亜細亜人、孫景文の交遊録にある酔譚、清談、独語、粋話など、人の吐息が感じられる無名でかつ有力な残像集です

マスコミ考 存在と分の弁え 2008 あの頃

2023-05-21 21:00:25 | Weblog
  •           郷学にて 右端卜部氏 安岡正明氏




    産経新聞の一面に掲載され、かつ紙面の縦軸を掌る産経抄が陛下のお言葉に触れている。
    ことは、米国のチェイニー副大統領が宮中参殿のおりの会話であった。
    チェイニー氏がイラク派遣の自衛隊を評価するにおよび、陛下は
    自衛隊は給水活動や医療活動など、復興支援のために派遣されたものであり、無事にイラクの人のために貢献することを願っている」と発言されたことを受け筆者は、
    「なんと、陛下は自衛隊のイラク派遣が人道支援であることを明言された」と続き、
    「小欄の知る限り始めてのこと、すごいことである・・」と感動で結んでいる。

    ことさら、戦前の天皇制は、などと言い募ることでもないが、小生にもこれに似た望念に駆られたことがある。
    それはいまも慙愧の念を抱く言辞だった。
    一つは、皇太后御用係であった故卜部亮吾氏との回顧に、高齢化社会を憂慮してこう提言したことがあった。

    「近頃、女性週刊誌をにぎわしている皇后や妃殿下のファッションや旅先の逸話やイベントが多く取り上げられ、鎮まりの象徴である皇室が世俗の騒がしさに順化しているようにも拝察されるが、もし、皇后が皇太后を介護ている姿を自然に表せたら、ややもすれば浮情に流されやすい女性の価値観を変化させることができるのではないか。
  •  陛下の発言を世俗に晒すことは多岐に問題を誘発することもあるが、皇后の仕草や高齢である皇太后への労わり、女性ならこその役割表現として民風を変化させると考ます」

     願望に過ぎないものだったが、皇室の語り部として昭和天皇、そして皇太后につかえた卜部御用係の頷きを得るのには刻を要さなかったと記憶している。
    しかし、うかつにも行動を要望したのである。はたしてそのことが善例の創造だったとしても、いずれ訪れるだろう次なる願望の出現は、歴史の残像が作り出したさまざまな知恵の結実である我が国の皇室のあり方を、異国で晒される百家争鳴に似た後戻りできないような環境を醸し出してしまうという反省の憂慮だった。

     存在の座標は国民に在りといっても、時節の変化は否応なしにその姿を変化させている。
    政治、経済が織りなす世俗の変化に囚われず、歴史を俯瞰して下座に視点を置く鎮まりは、ひとえに、『おたちば』といわれる言葉に集約されている。

    以前、産経抄の筆者は、靖国参拝を懇願する趣旨の論を記していた。
    中国、韓国、靖国、小泉総理という登場人物のなかで、陛下の靖国参拝を請うている。

    はたして陛下に行動を懇請したり、御意思の確認をする意味があろうか。
    幕末にもとってつけたように、錦の御旗を持ち出し、明治の国家創生と国民という呼称の発生とともに、まるで為政者の屏風代わりとして使った。

    それは、「軍は竜眼の袖に隠れて云々・・」といわれたように、当時天皇の専権であった統帥権の乱用を誘発して議会を形骸化した。

    つまり、王道であったスメラギの道に、覇道の衣を纏わせることでもあった。

    我が意を得たりと肩の入った書き込みだが、真打登場のような表現は却ってその在らしめるお立場を窮屈にしないかと心配になる。
    「直なれば則ち絞ず」、一時の歓喜や大樹の傘を安堵することによって、わが国の行く末を絞め付けてはならない。

    子供心に祖父から学んだカミの意識は、お願いしてはならない、守ることだ、と。
    そして無条件の忠恕は国家のカテゴリーを超越して、救いを求めるものを包み込み、亡命者を「逃げてきたもの」とは考えない。
    産経抄の屏風の陰には無名有力な民の存在がある。

    それは、豪華社屋や部数の多少に一喜一憂する商業マスコミの立場を錯覚した知識人に多く観られるような、附属性価値に錯覚する元老院的猫鈴物書きの座標なのかもしれない。



    平成16年4月15日 産経抄考
コメント
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